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さらさら  作者: 藤堂左近
3/14

 日が落ちるぎりぎり前に、宿場につくことができた。少し小さめの宿に草鞋を脱ぎ、背負った女子については旅の疲れだとだけ言って、怪我のことは伏せた。茶筅髷に袴で、重実の肩に顔を埋めていたので、女子だとは気付かれなかっただろう。


「病なんだったら、長逗留だねぇ。金はあんのかい」


 宿の女将らしき老婆が、重実をじろじろと値踏みしながら言う。ただでさえ病の旅人など厄介なのに、重実はどう見ても痩せ浪人だ。金を持っているようにも見えない。実際路銀は尽きかけている。

 が、そこで後ろに小さく控えていた娘が、ごそごそと懐中を探った。


あにさん。さっきの村で稼いだ金があるから大丈夫だよ」


 そう言って、す、と小判を差し出す。重実はもちろん、老婆も目を剥いた。


「お、おめ、こりゃ虎の子の蓄えじゃねぇかっ」


 慌てて重実が話を合わす。小判など、庶民の目に触れること自体がそうないのだ。


「虎の子の蓄えってのは、こういうときに使うもんだろっ」


 一体この娘はどういう身分なんだ、という物言いに、思わず重実が口を噤む。その隙に、娘は老婆に小判を握らせた。


「足りませぬか?」


「と、とんでもねぇっ! もも、貰いすぎだよっ!」


 老婆も狼狽えつつ、ぶんぶんと首を振る。だが手の小判は離さない。


「ではそれで、お部屋を用意してくださいな」


「はいっ! かしこまりましてごぜぇます!」


 しゅたっと姿勢を正すと、老婆はさっきまでとは打って変わっててきぱきと、三人を奥へ通した。

 小判効果は絶大で、三人が通されたのは通りからは見えなかった離れだった。さほど大きくない宿のわりに、奥にこのような離れがあるとは。


「ここは山深い宿場ですからなぁ、追剥ぎにやられたとか、どこぞから命からがら逃げて来たとか、まぁそういった訳ありの旅人が多ごぜぇます。特にここに来るまでの山は、たちの悪い輩がよぅ出ましてな。時には宿場の中まで入り込んで、狼藉を働きますのじゃ。そのために、表からは見えねぇ離れが必要なんで」


「ほー、そうかい。じゃあとりあえず、焼酎とサラシを用意してくれ。実はおれたちも襲われてな。何、逃げる途中で転んだだけだよ」


 部屋に入って女子を下ろすなり、重実は老婆に言った。そんな軽い傷ではない、と言いたげな娘を目で黙らせ、老婆が出て行ってから手早く女子をうつ伏せに寝かせた。


「下手に刀傷なんざ見せねぇほうがいい。あの婆さん、追剥ぎに襲われた旅人を何人も見てる。ただの追剥ぎに斬られた傷かぐらいわかるだろう」


 得物によって傷も違う。素人にはあまりわからないが、傷を見慣れた者ならわかるかもしれない。遣い手であれば、切り口から相手の力量までわかるものだ。あの老婆がそこまでわかるとも思えないが、用心に越したことはない。


「それにしてもあんた、不用意に小判なんざ出さないでくれ」


 重実が言うと、娘はむっとした顔をした。


「何故です。宿に泊まればお金を払うのは当然でしょう」


「額が違うんだ。折角あんたがおれの妹のふりしてそれらしくしてもだな、行商人でも辻芸人でも、小判なんざ持ってねぇ。そんなもん目にすることができるのは、商人でも大店の旦那ぐれぇなんだよ」


 え、と娘が驚いた顔をする。そして、困ったように懐中から袋を取り出した。


「そうなのですか。困ったわ、手持ちのお金は、全て小判なので」


 掌に乗るぐらいの小さな巾着だが、重そうに膨らんでいる。その袋一杯に小判が詰まっているのかと、重実は眩暈がした。


「とりあえず、それは肌身離さず持っておいて、出さないでくれ」


「でも」


「いいから」


 ぐいぐいと重そうな巾着を娘に押し付け、重実は一旦部屋を出た。盥を借りて水を汲み、部屋に戻る途中で行き会った老婆から頼んでいた焼酎とサラシを受け取る。そろそろ夕餉の支度で忙しく、老婆もさっさと店のほうに戻っていった。


「よいしょっと。誰かが飯を運んで来たら、受け取っておいてくれよ」


 部屋の隅にあった屏風を襖の前に立て、重実は寝かせた女子の手当てにあたった。袴を脱がせ、着物も全て脱がせる。娘が慌てた。


「ちょ、ちょっとお待ちください! 見ず知らずの男性に、そのようなことを任せるのは……」


「うつ伏せなんだから、別にいいだろ。あんた、刀傷の手当てなんかできんのかい」


 ぐ、と黙った娘を横目に、重実は傷口を洗い、口に含んだ焼酎を噴きかけた。


「思った通り、鮮やかな斬り口だな。結構な手練れだぜ。そんな奴もいなかったように思うが」


『そうじゃのぅ。皆おぬしの一撃で倒されるほどの雑魚だったし』


 狐もまじまじと傷を見る。恥ずかしそうに顔を赤らめていた娘が、ようやく少しだけ近付いた。


「あの……伊勢を斬った男は、あそこにはおりませんでした」


「ん? さっきの奴らとは、また別口ってことか?」


 そんないろいろな者から追われているのだろうか。厄介な、と思ったが、娘はふるふると首を振った。


「いえ、命令の出処は同じです。山に入った時点で、山に慣れた者を集めたのでしょう。伊勢は山に入る直前に斬られました」


「ふーん……。じゃあ斬られてから、結構時間が経ってるってことかな。斬り口は見事だが、避け方も上手かったんだろう。この女子が避けたのか、何かがあって上手く斬れなかったのか、そう深く斬れてねぇ。まぁその後も動き回ったお陰で、血が止まる間がなかったようだがな」


 最後にサラシを巻き付ける。巻き付けるためには身体の下も通さねばならない。重実が女子の胸の下に手を突っ込むと、また娘は真っ赤になって顔を背けた。


「よっと。これで大人しくしてりゃ大丈夫だろ」


 布団をかけ、ようやく重実は娘に向き直った。宿場に入る前に髷は下して後ろで括っているだけだが、やはり単なる町娘には見えない。


「そういや姫様って言ってたな」


 姫様、と言われればそうも見えるが、本当の姫様にあのような物言いができるだろうか。あのような言葉遣いすら知らないものではないだろうか。

 娘は少し迷う素振りを見せたが、居住まいを正すと、重実を真っ直ぐに見た。


「わたくしはつやと申します。志摩の屋という両替商の娘で……これは伊勢」


「両替商の娘が、何で命を狙われてるんだい? よくある拐かしじゃねぇみたいだな。お家騒動って言ってたぜ」


 びく、と艶と名乗った娘の顔が強張った。両替商であれば小判をぽんと出してもおかしくない。お付きの者がいることもあろうが、さすがに『姫様』はないだろう。


「わ、わたくし……よくわからないのです。本当に、ずっと志摩の屋で育ちましたし」


 いきなり少し前に、家から逃亡する羽目になったという。何でも殿様がその昔、手を付けたのが艶の母親だったとか。


「殿様が病で先が長くねぇから、お前さんを跡継ぎにって?」


「他に子がいないらしいのです。私を身籠った母は、たまたまお座敷で知り合っただけの芸者だったので、お抱えの両替商に下したそうです。でもその後、お子ができることもなく」


「じゃあとっとと城に上がっちまえば安心なんじゃねぇの」


「それを阻む勢力があります。卑しい座敷芸者の子の上、わたくしは女子。城に入ったとて、誰ぞと結婚せねば後は継げませぬ。殿はすでに内々に、他国の方に婚約を取り付けたようですが」


 他国の者といっても、武者修行に出ていた家臣の息子を呼び戻しただけらしいが。


「伊勢が言うには、藩主の座を狙っているのは現藩主の叔父君だとか」


「はぁっ? 藩主がくたばりそうなのに、何でその叔父がぴんぴんしてるんだ?」


 思わず叫んだ重実を、狐がぶん、と尻尾で叩いた。


「いえ、現藩主も、別にそんな老齢というわけでは。どうも昔から叔父君は藩主の座に執着があったらしく、現藩主を亡き者にする機会をずっと狙っていたらしいのです」


「ふーん。長い年月をかけて、少しずつ毒を盛っていったのか」


「気付いたときにはすでに遅く、でもそうなるとなおさら、叔父に藩主の座を渡すわけにはいかない。そこでわたくしの存在を明かしたそうです」


 幸い藩主の意見に従う者が多く、無事に艶と家臣の息子との婚儀が整う、と思った矢先、艶の両替商が襲われたのだという。

 元々艶は藩主の子としてではなく、両替商の子として育った。藩主が手を付け身籠った芸者を、出入りの両替商に下げ渡したのだ。よくある話である。

 この後藩主に子ができれば、艶は何事もなく両替商の娘として一生を終えただろう。だが藩主には艶しか子ができなかった。

 何も知らない艶をいきなり呼び寄せるのは気が引けたが、実子には変わりない。いきなり家臣を藩主に据えるよりも、庶子であっても間違いなく藩主の子である者が継いだほうがいい。全くの他人である家臣だと、藩主になっても、どうしても前藩主の叔父には遠慮があり、強く言えないこともあろう。そうなると、いつまでたっても藩政は落ち着かない。


「あんたにとっては迷惑な話だな」


 いきなり藩主の娘だ、と言われ、いきなり結婚相手を決められる。そして挙句に命を狙われる羽目になるとは。


「でも相手は偶然知っている方でしたので」


 少し照れ臭そうに、艶が言う。

 藩お抱えの両替商は、城にも頻繁に出入りする。養父(艶は実父と思っていたが)である志摩の屋九兵衛は、よく艶を伴った。今思えば、父である藩主に目通りが叶えば、と思っていたのかもしれない。

 だがいくら藩の財政を支えているお抱え両替商であっても、一介の商人がおいそれと藩主に目通りなどできない。どこからか藩主が艶を見てくれていることを願う九兵衛に連れられ登城するうちに、艶は一人の子供と仲良くなった。それが勘定方の息子で、此度白羽の矢が立った、艶の相手である。


「ほぉ。そいつぁ不幸中の幸いだな」


 ぺろっと言ったことに、また狐が尻尾を振って重実を叩く。どうも重実の物言いは直球すぎるようだ。


「あの……ところで、あなたさまは……」


 いまさらながら、おずおずと艶姫が重実を見る。そういえば、ここまで聞いておいて自分のことは話していない。


「ああ、おれは語ることもない、見た通りの痩せ浪人さね。久世 重実ってもんだ」


「久世様……。旅を続けてらっしゃるの? あの、何か目的あっての旅でしょうか?」


 少し、艶姫が縋るような目を向ける。


「いや、別に目的はない。ぶらぶらと気の向くままに各地を渡り歩いてるだけさ」


 正確にはそうせざるをえないのだが。重実が言うと、艶姫は畳に手をついた。


「では、此度の騒動を収めてくれませぬか?」


 いきなりな申し出に、重実は渋面になった。聞いた限りでは、一国を左右するお家騒動だ。軽々しく受けていいものか。


「もちろん報酬はお支払いします」


 ずい、と先ほどの小判の詰まった小袋を差し出す。


「……とはいえ、何をどうすれば収まるのさ。おれみてぇなただの浪人一人で何とかなるわけでもあるめぇ」


「叔父である家老を討てば、騒ぎは収まります」


 きっぱりと言う。言うは容易いが、まず家老という地位にいる者に近付くだけで大変だ。一人になることなど、まずない。


「家老を斬ろうとしたって、さっきのような奴らが周りにうようよいるだろ。まぁ大したことなかったけど」


「だからこそ、あなたさまにお願いするのです。家老の失脚を望んでいる者は、少なくありませぬ。どうか、わたくしたちにお力をお貸しください」


 深々と頭を下げる艶姫に、重実は、うーむ、と考え込んだ。孤立無援なわけではなさそうだ。が、腕の立つ者がいないのだろうか。

 もっとも家中で大っぴらに家老を討つわけにはいかないから、外部の人間に任せる、という考えもあるのだろうが。


「実は家老は、恐ろしく腕の立つ男を飼っているのです」


「刺客か?」


 こくり、と艶姫が頷く。


安芸津あきつ 新兵衛しんべえという方が、藩主の意向を受けて動いております。この方がいろいろ教えてくれるのですが、鳥居とりい 十郎じゅうろうなる男が家老の影にいるそうです。藩主の叔父が家老の座に就いたのも、反対勢力をこの鳥居が葬ってきたからだとか」


「へぇ、そいつぁ……」


 ぶる、と武者震いをし、重実は口角を上げた。強い者とは戦ってみたい。剣客の性だ。


「安芸津様も手を尽くしてくださっておりますが、そうこうしているうちに、真之介しんのすけ様の御身が危うくなるかもしれませぬ」


「真之介? ……ああ、あんたのお相手か」


 艶姫のことは、藩主の実子であり元々城外にいるため狙いやすかった。商人として育っていたので、供もそうない。実子を消してしまうほうが効果的であるため、真之介よりも艶姫を消すほうが手っ取り早いと踏んだのだろう。

 真之介は家中の者がよく知る、勘定方の息子である。艶姫の婿として、ひいては次代の藩主としての地位を引き継ぐことは、今や家臣であれば知っている。そのような者を下手に消せば、誰がやったか一目瞭然の状態だ。


 今までの所業もあり、家老に味方は少ない。頂点に立つには細心の注意が必要だ。故に真之介には手を出さなかった。

 だが家老はいずれ真之介も亡き者にするはずなのだ。艶姫が討たれてしまっても、藩主がどうしても叔父に跡を継がせたくないのであれば、真之介を養子にすればいい。実子に継がせるという家督相続の前提は守れないが、子がいないのなら仕方ない。

 おそらく藩主はそうするだろうから、そうなる前に、家老は真之介をも消すはずだ。己の出世の道を阻む者は、今までのように全て廃するつもりだろう。


「なにとぞ、お願いいたします」


 再び、艶姫が頭を下げる。


「うーん、まぁいいか。ここまで知っちまったら、引くに引けねぇ」


 がしがしと頭を掻く重実を、狐はため息と共に眺めた。

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