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さらさら  作者: 藤堂左近
2/14

『ところで重実よ』


 肩の上で、狐がのんびりと言った。


『さっきから大分進んでいるが、宿場など見当たらぬなぁ』


 もうちょっとで宿場、と言ってから、ゆうに一刻は歩いている。行けども行けども白い山道が続くばかりだ。


「おかしいのぅ。麓の村で聞いた限りでは、峠を越えたらすぐに宿場があるとのことだったが」


『おぬしは極度の方向音痴じゃからのぅ。今まで一発で目的地に着けたことはないし』


 道を聞いた傍から反対方向に進むほどだ。もっとも目的があるわけではないので、行きたいところに行けなくても、さほど困らない。元々行きたいところもない。


「別に宿場じゃなくてもいいんだけど、屋根は欲しいな」


『雪の中、野宿は避けたいのぅ』


 死なない身体でも寒さは感じる。両手を擦り合わせ、重実はきょろきょろと辺りを見回した。

 峠を越えたとはいえ、まだ山の中だ。宿場がありそうな雰囲気もない。


「峠に茶屋もなかったなぁ。この辺りに人はおらぬのか」


『もしかして、峠と思ってたところが違ったのかもしれぬのぅ』


 あり得る、と狐は、くんかくんかと鼻をひくつかせた。


『寒。鼻の中が凍り付きそうじゃ』


 人のニオイを嗅ごうとしたが、すぐにやめてしまう。もぞもぞと肩の上で、狐は丸まった。


「どうしたもんかな……」


 雪は止みそうにない。このまま夜を迎えるのは避けたい事態だ。


「かまくらでも作るかな」


 言いつつ歩いていた街道から外れ、藪の中に分け入った重実は、おや、と思った。空気がいきなり緊迫した。


『どうした?』


「何か空気が変わったな」


『ほ。腐っても剣客の端くれか』


「まだ腐ってない」


 ぶつぶつ言いながら、藪をかき分けていく。緊迫した空気など、首を突っ込むとろくなことにならない。

 だが興味をそそられるのも確かだ。あてどない旅を続ける重実にとっては、好奇心は原動力でもある。例えろくなことにならなくても。


 街道から結構奥に入ったところで、雪にまみれてい震えている影を見つけた。かろうじて姿を隠していた笹をばさ、と払うと、あからさまに怯えた顔の娘が身体を強張らせて重実を見上げていた。


 なかなか綺麗な娘に心底怯えられるのは傷付く。ひょろっこい小男なだけの重実など、見てくれで怯えられる謂れはないはずだが。


「……えーと、こんなところで、どうされた?」


 できるだけ穏やかに聞いてみると、娘は驚いたような顔になった。


「……ひ、姫様……」


 別の声に娘の向こうに目をやると、そこにも一人、女子おなごがいた。ただこちらは雪の中に埋もれるように、倒れている。


「姫様……お逃げ下され……」


 女子が言った。異変を察し、重実は娘の横をすり抜けて、倒れている女子の傍にしゃがみ込んだ。顔を近づけると、血のニオイが鼻を衝く。


『わぁ、怪我しておるのか』


「お前、獣のくせに気付かなかったのか」


『鼻の中が凍ってるから』


 本当に妖狐か、とつくづく思う。人に見えず、人語を喋らなければ、普通の狐と変わらない。

 重実は倒れている女子を、そろりと転がしてうつ伏せにした。血が滲んでいるのは背中だ。赤く染まった着物の奥に、斬られた痕が見えた。


「刀傷か。追剥ぎにでもやられたのか?」


 着物の斬り口を広げ、重実は雪で傷口を洗った。浅くもないが、骨に異常はないようだ。


「これなら傷口を縛って大人しくしておれば、じきに治るだろう」


 懐から出した手拭いを裂きながら、重実は傷口を見分した。単なる追剥ぎが使うとも思えない、鮮やかな斬り口だ。刀も上物だろう。もう少し近くで斬られていたら、肩口から斜めに、身体を二つにされていたかもしれない。


 そういえば、この二人は旅装束でもない。形なりは商家の娘のようだが、先ほどこの斬られている女子は『姫様』と言った。

 

訳あり娘か、と思いつつ、裂いた手拭いを傷口に当てたとき、別の気配を感じた。振り向くと、蓑をつけ笠を被った集団が、街道に集まっている。


「何だ? あれは」


 訝しそうに見下ろす重実の横で、娘が息をのんだ。蒼白になって震えだす。

 同時に下の集団も、こちらに気付いたようだ。重実らを指さし、何か喚いた後でこちらに向かってくる。

 娘の様子から、おそらくこの者たちから逃げていたのだろう。藪に分け入ってくる集団からは、殺気が放たれている。


「……あれは敵かい?」


 重実の問いに、娘は弾かれたように首を縦に振った。背を斬られている女子が、身を起こして娘に必死な顔を向ける。


「逃げてください! 早ぅ!」


叫び、女子は懐から懐剣を抜いた。片手で上体を支え、片手で逆手に懐剣を構える。娘を逃がすために、上がってくる連中と戦う気だ。

 そうこうしているうちに、連中はあっという間に重実たちの前に散開した。皆、頬かむりをしている。顔を見られたらヤバいということか。


「浪人、死にたくなければ去ることだ」


 重実の前に立った男が、くぐもった声で言い、ずらりと刀を抜いた。

 じ、と男たちを見、重実は状況を読む。見たところ、男たちは素浪人ではない。どこかの家臣だろう。顔を隠しているところからしても、それなりの地位にある者ではないか。


「へ。おれのことは見逃してくれんのか」


 若干馬鹿にしたように言うと、すっと男の目が細められた。大袈裟に顔を隠した剣客が、目撃者を逃すはずがない。


「何だい、あんたら。女子に刀を向けるたぁ、感心しねぇな」


 答えるとは思っていないが、一応聞いてみる。案の定、男は威嚇するように刀を重実に突き付けた。


「素浪人には関わりのないことよ。よくあるお家騒動になど、好きこのんで関わりたくないだろう?」


 ははぁ、と重実は心の中で呟いた。お家騒動というからには、娘は殿様の姫君か。

 さて、ここの殿様は誰だったかな、と考えていると、いきなり背を斬られた女子が、立ち上がりつつ雪の塊を男に投げつけた。


「うおっ!」


 いきなりな攻撃に、雪玉をまともに食らった男が思わず目を瞑る。次の瞬間には、女子は地を蹴っていた。


「はぁっ!」


 気合いと共に、懐剣を繰り出す。使い慣れていない娘のよくある突きではなく、男の間近で大きく下から薙ぎ上げる。

 ぶわ、と血が飛んだ。斬られた男はよろめき、がくりと雪の上に膝をついた。


「お逃げください!」


 女子が叫んだ。そしてそのまま、色めき立つ男たちの中に飛び込んで行こうとする。

 が、不意にがくりと頽れた。背の傷は、まだ手当ての途中で開いたままだ。


「死ね!」


 男の一人が、女子に刀を落とそうとする。が、女子の頭を割る前に、男の刀は金属音と共に弾け飛んだ。


「とりあえず、詫びに助太刀してやるよ」


 女子と男の間に、いつの間にか割り込んでいた重実が、抜いた刀を手に言った。


『ふふふ、馬鹿どもめ。むざむざ命を捨てるようなものよ』


 狐が言うが、そう簡単なことでもない。死なないとはいえ、斬られれば痛い。死なないだけで傷はできるし病にだってなる。

 切り刻まれても死なないのは、ある意味地獄なのだ。故に、強くあらねばならない。


「いや、切り刻まれたらさすがに死ぬかな」


 喉を刺しても胸を突いても死なないとしても、身体の原型がなくなるほどぐちゃぐちゃになったらどうだろう。再生機能があるわけではないと思うので、ぐちゃぐちゃになったら死ぬのではないだろうか。


「ていうか、そうであって欲しい。ぐちゃぐちゃのまま生きるのは御免だ」


 自分の考えにぞっとし、重実は一人でぶるっと身体を震わせた。


「ふはは。怖気づいたか、小僧」


 震えた重実を見て取り、男たちが笑う。全然違うことを考えていた重実は、それでやっと我に返った。うっかりしているとやられてしまう。男たちは結構な人数だ。

 死なない故に斬られるのは嫌だ。不必要に痛い目には遭いたくない。


「七、八人か……。きついなぁ」


 ざっと人数を数え、ため息をつく。そのとき、背後に回していた女子が、きつい口調で言った。


「何の関りもない方を巻き込むわけには参りません。ですが、お願いできるのであれば、姫様を連れて逃げてください」


 懐剣を構えなおし、起き上がる。背からは新たな血が流れていた。


「と言ってもなぁ、おれが足跡をつけてしまったからバレたんだし」


 ぽりぽりと頭を掻く。

 街道から娘の隠れていたところまで、ばっちり足跡がついてしまった。娘らを追ってきた者であれば、そのような足跡、真っ先に疑うだろう。

 知らなかったこととはいえ、折角隠れていた娘らが見つかってしまったのは、重実のせいと言える。


「ですから、姫様を逃がすことで、その償いをしてください!」


 言うなり女子は、またも地を蹴った。先ほどとは違い、高く跳躍する。この雪の斜面で、驚くほどの脚力だ。


「やぁっ!」


 気合いを発し、振り被った懐剣を一人の男の頭上目掛けて振り下ろす。驚いた男だが、咄嗟に刀を掲げ、降ってくる懐剣を十字に受け止めた。がきぃん、と凄い音がし、男の態勢が崩れる。いくら女子とはいえ、全体重をかけた刀だ。軽く受け止められるものではない。

 唐竹割は阻まれたが、女子は地に降り立つと同時に、ぐんと上体と腕を伸ばして懐剣を横に払った。男の喉が、ぱっくりと開く。流れるような太刀さばきだ。


 だが女子はまたも、ふらりとふらついた。強くとも、体力は男に負けるし、背に大怪我を負っているのだ。そうもつまい。

 別の男が、女子に斬りかかってきた。


「女子一人に任せて逃げるほど、臆病じゃねーよっ」


 軽く言い、重実は一足飛びに女子に近づいた。そして斬りかかってきていた男の刀を紙一重で避けると、一旦納刀していた刀を抜く。しゃっという音と共に、男の脛を斬る。刀を振り上げた格好のまま、一瞬後には男は身体の後ろに両足を残したまま、前に顔から倒れこんだ。

 その男を飛び越えざま、背中から心の臓を一突きにしてとどめを刺し、重実はそのまま群がる男たちに突っ込んだ。

 気合いも何もない。銀の閃光が走り、赤い飛沫が飛ぶ。男たちの絶叫だけが聞こえ、真っ白だった山の斜面は辺り一面赤く染まった。


「何だ、呆気ないな」


『女子二人だと思うて、油断しておったのじゃろ』


 びゅん、と血振りをくれながら、重実は倒れた男たちから蓑と笠を奪った。それを持って元のところまで戻る。

 女二人は驚いた顔で、その場に蹲っていた。


「ほら、いいものが手に入った」


 なるべく血のついていない二つを渡すと、女子はじっと重実を見た。非難がましい目だ。


「追剥ぎみたいなことするなってか? けどあんたら、どう見たって旅慣れてねぇし。そんな恰好じゃ、あっという間に雪だるまだぜ」


 重実の言葉に、女子は振り向いて娘を見た。ずっと大して動いていない娘のほうは、なるほど確かに、すでにほぼ雪に埋もれている。


「仕方ありません。姫様、これを」


 蓑を娘にかけようと身体を捻った途端、女子はその場に頽れた。見ると真っ青だ。


伊勢いせっ!」


 娘が女子に縋りつく。


「おっと、そういや手当ての途中だったな」


 とはいえこんな屋外では、大した治療もできない。


「宿場は本当に近いんかなぁ」


 きょろ、と見回してみても、宿場はおろか建物自体見えない。街道よりも斜面を上がっているのに、周りは山ばかりだ。


「あ、あの……。宿場はちょっと……」


 娘が、おずおずと言った。そういえば追われているようだし、足取りが掴めるようなところには泊まりたくないだろう。

 だが雪の中野宿などすれば、あっという間に死んでしまう。伊勢という女子のこともある。


「訳ありなんだろうがな、必死で逃げてんのに追っ手に捕まるでもなく野垂れ死になんて、逃げた意味ねぇだろ。このねーさんの傷もある。ちゃんとしたところで休まねぇと危ないぜ」


 言いつつ、重実は先ほどの手拭いで、とりあえず女子の傷口を縛った。その様子を見、娘も頷く。


「……いけません。わ、わたくしのことは、お気になさらず……」


 最早起き上がる力もないくせに、女子は娘を庇う。やれやれ、と息をつき、重実は腰の小刀を抜いた。


「そんなに娘さんを案ずるなら、あんたも覚悟を決めてくれ。でかく姿を変えりゃ、宿に泊まっても、そうそう見つからんだろうさ」


「姿を変える?」


 娘が自分の身体に視線を落とす。いかにも姫君然とはしていないが、旅装束でもない若い娘が山の中の街道をふらふらしているだけでも目を引く。


「で、でも。着の身着のままで逃げ出したもので……」


 着替えもないので、変装しようにもできない。


「着物はな、そのままでも蓑で隠れるからまぁいい。そうじゃなくて、もうぱっと、見た目から変えるんだ」


 そう言って、重実は横たわる女子の髪を手に取った。


「……切るぜ」


 女子に言う。一瞬女子の目が見開かれた。が、すぐにこくりと頷く。

 重実は躊躇いなく、女子の豊かな黒髪を、肩の少し下で切り落とした。娘が、小さく息を呑んで顔を背けた。

 重実は刀の下げ緒を使って、短くなった女子の髪を、頭頂辺りで結ぶ。茶筅髷のようだ。


「よし。あとは着物も頂いちまおう」


 立ち上がると、重実は倒した男どもから袴だけを奪った。どうせ女子のあの傷ではきちんと穿けないだろうし、何より雪の屋外で全て着替えさせるのも酷だろう。倒したとはいえ、男たちを丸裸に剥くのも気が引ける。


「よっこらしょ。ちょいと失礼」


 女子を抱きかかえるように支え、とりあえず羽織っていた上の着物を脱がす。そして手早く袴を足に通した。その様子を、娘が驚いた顔で見つめた。


「さて、これでちょっとはマシだろう。あんたは、そうだなぁ。上だけ脱いで、これ背負って」


 脱いだ着物を一つにまとめ、それを娘に渡す。


「蓑をつけて笠を被れば、ちょっと汚れたしさっきよりも目立たんだろ。ところで宿場ってどっちだ?」


 気を失ってしまった女子を背負い、重実は街道に降りた。今まで重実の肩の上で大人しかった狐が、不満そうに、とん、と地に降りる。


『わしを歩かす気か』


「別におれの肩から女子の肩に移ればいいだけの話だろ」


『女子になんぞ触れたくないわ』


 つーんとそっぽを向き、狐は傍の木に飛びつくと、するすると上へ登っていく。相当な高さから、ひょいと顔を出して遠くを眺めた。


『あっちの山のほうに、宿場があるようじゃ』


 とん、と降りてきた狐が、ぴ、と前足で街道の先を示す。


「ふーん。じゃあ一応間違ってはいなかったんだな」


『一本道じゃしのぅ』


「じゃ、行くか」


 よいしょ、と女子を背負いなおし、重実は早速街道を歩きだす。それを、狐が袴の裾を咥えて止めた。


『だから、あっちじゃと言うとろうが』


「ん? あれ? 山はあっちだろ?」


『それは来た方角じゃろうがっ。おぬしは自分で進むでない。わしの後についてこい』


 きゃんきゃん言いながら、狐は雪の上を歩きだす。重実は大人しく、その後をついていった。


 何だか独り言の激しい人だ、とは思ったが、頼みの伊勢は男の背にある。それに少なくとも、今は敵ではないはずだ。旅慣れていない己は、男の言うことに従ったほうがいいだろうと、娘は行商人のように荷物を担ぐと、重実の後に続いた。

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