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さらさら  作者: 藤堂左近
14/14

 まだ朝もやの残る街並みを、重実はぶらぶらと歩いた。狐は重実の肩の上で、襟巻よろしく丸まっている。


『何もこんなに朝早くに発たなくてもよかろうに。どこまで行くとも決めておらぬであろ』


 ふわ、と欠伸をしながら狐が言う。


「文句を言うな。お前は寝てたっていいんだから」


『馬鹿もん。わしがしっかり先を見定めないと、おぬしはどこに行くやらわからんくせに』


 行く先を決めていないとはいえ、とりあえずは宿場を目指したいところだ。だが重実の方向感覚では宿場に辿り着けるか怪しいものである。


「あんまり大袈裟に見送られても面倒だし」


 ぶらぶらと歩き、川沿いの道に出る。最後まで安芸津は重実が出て行くのを渋った。おまけにわざわざこの朝早くに伊勢までいたのだ。安芸津が知らせたらしい。ただ伊勢は何か言いたそうにしていたものの、結局口は開かなかった。


『さすがに無理やりついてくる気はなかったようじゃの』


「そらぁそうだろ。家や地位を捨てるほどの価値は、どう考えたっておれにはない。小野様に貰った金子も大方置いてきたし、そのうち安芸津様と祝言でも挙げるだろ」


『あのはねっ返りが祝言か。安芸津も物好きよのぅ』


 くくく、と狐が笑う。そして川縁に目をやった。


『見送りの者が、もう一人おるぞ』


 見ると川縁の柳の木の陰から、ゆらりと人影が通りに出て来た。


「ふふ、やっぱりな」


 肩に担いでいた小さな荷物を下ろし、重実は、ざっと周りを見た。道幅はそうないが、一対一で戦う分には不都合はないだろう。


「こうなるだろうと思って、人のいない時刻に出たのさ」


「わしの行動を読んでいたわけか」


 前方に立ちはだかった鳥居が、静かに口を開いた。


「あんたも剣客の端くれだ。おそらく腕に相当の自信を持っているだろう。だがおれだって負けてない。今までよりも、手応えを感じただろ? おれとはもう一度戦いたいと思うはずだ」


 狐を地面に降ろしながら重実が言うと、鳥居は僅かに口角を上げた。


「そうだな。安芸津もなかなかの遣い手のようだったが、奴の居場所は割れている。いついなくなるかわからぬおぬしを仕留めてから、改めてお相手願うことにする」


「おれもあんたとは決着をつけてから、すっきりと去りたいと思ってたところだ。思いが通じて嬉しいぜ」


 鳥居は必ず、重実の前に姿を現すと思っていた。鳥居ほどの剣客となれば、己を脅かすほどの腕の相手と相まみえることは稀だ。その分そういった相手と剣を合わすことに、至上の悦びを感じる。まして立ち合いが中途半端に終わったとあれば、どうしても決着をつけたいと思うものなのだ。重実だってそうである。


「わしは、おぬしはてっきり死んだと思っておったのだがな」


 ゆっくりと刀を抜き、鳥居が言う。


「なのにわざわざおれを追ってたのかい」


 重実も右手で柄を握り、腰を落とした。


「おぬしを斬ったときに、確かに手応えはあった。だが何というのかな、死ぬほどの傷を負ったとは思えぬ動きが続いたというのか。倒れもしなかっただろう? だから余計気になって、探ったのだ」


「そしたら案の定、生きていた、と」


「信じられんがな」


 鳥居はあの一撃で、今まで全て倒してきたのだろう。必殺の一撃を食らっても生きていたとなれば、より闘争心を掻き立てる。


「行くぞ」


 鳥居が構えを取った。特に珍しくもない、まともな正眼。だが放たれる剣気は尋常ではない。身体が何倍も大きく見え、剣先は今にも突いてきそうな威圧がある。


「……凄ぇ……」


 びりびりと剣気を肌に感じながらも、重実は思わず口角を上げた。これほどの遣い手、そうはいない。純粋な剣客としての血が沸き立つのを感じた。


『斬られるなよぉ』


 狐がじりじりと後ずさり、重実から距離を取る。


「難しいかもしれん」


 重実の額に汗が浮く。これほどの緊張、いつぶりだろう。

 鳥居は正眼に構えたまま、じりじりと間合いを詰めてくる。さわ、と風が吹き、辺りに立ち込めた朝もやを流した。


「とぅっ!」


 気合いと共に、鳥居が仕掛けた。構えた刀をそのまま突き出してくる。

 重実は見る限り居合いの構えだ。通常であれば、ここで刀を抜き放ち、相手の刀を払うだろう。鳥居もそれを読んでの突きだったのだが、重実は右手で刀の柄を握ったまま、鳥居の懐に飛び込んだ。

 弾かれた刀をそのまま回して上段から斬り落とすつもりだった鳥居の顔が驚愕に歪む。相手が己の刀を弾く力を利用して回せば、自分で力を入れなくても、より速く刀を返せるのだ。

 だが重実は鳥居の刀を弾かなかった。そのため鳥居は突き出した刀を己で止め、さらに己の力で引き戻さねばならない。


「くっ……」


 すでに重実は鳥居の懐深く入り込んでいる。ここで抜刀されたらまずい。

 かといって突き出した刀を引き戻している暇はない。


「うおおおおっ!」


 片手を放し、鳥居は無理やり身体を捻ると、握り締めた拳を重実に叩き込んだ。が、その瞬間、重実の上体が伸び上がった。がつ、と鳥居の顎に激痛が走る。


「がっ!」


「ぐっ!」


 同時に呻き、お互い後方に飛んで距離を取った。


「まさか頭突きが来るとはな」


 顎を押さえながら、鳥居が言う。重実のほうは殴られた頬を軽く撫で、とん、と足を鳴らした。体勢が不安定な状態での咄嗟の攻撃だったので、鳥居の拳は大した威力はなかった。だが重実のほうもまさか殴られるとは思わなかったので、まともに食らってしまったのだが。


「あんたの腹を抉るには、ちょいと力が足りねぇかもな、と思ったんでね」


 まだ少し、腹の傷が疼く。大の男の胴を薙ぐには、相当な力が必要だ。踏ん張りも身体の捻りも十分でないと、力は半減してしまう。


『いたーい! 可愛いわしを殴るとは何たる奴じゃっ! 重実、こんな奴は八つ裂きにしてやろうぞ!』


 重実と同じ頬を肉球で押さえながら、狐が喚く。妖狐が八つ裂きなどと言うと、洒落にならないのだが。


「女子みてぇなこと言ってんじゃねぇよ」


 呟き、重実は再び腰を落とした。ただ左手は先と同じく鞘を握っているが、右手はだらりと垂らしたままだ。居合いであれば、抜刀の速さがものを言うので、右手は柄に添えるべきなのだが。


「とあっ!」


 いきなり鳥居が足を踏み出し、刀を大きく振って突進してきた。ぶぅん、と風を切って、刃が重実を襲う。


「っと」


 少し上体を後ろにして切っ先をかわすが、鳥居はそのまま向かってくる。重実に刀を抜かせる気なのだろう。

 再び今度は逆から刀が迫る。ち、と舌打ちし、重実は一旦大きく後ろに飛んだ。が、着地と同時に地を蹴って前に飛ぶ。鳥居との間合いを一気に詰め、眼前で刀を抜き放った。キィン、と金属音が響く。


「……抜いたな」


 左右に大きく振っていた刀を顔の横で止め、そのまま八双に構えた鳥居が言う。そしてそのまま、すぐに足を踏み出した。


「そりゃっ!」


 ぶぅん、と重実の首筋ぎりぎりを鳥居の刀が掠めていく。重実に納刀の機会を与えないためか、鳥居の刀は止まらない。


「そりゃっ! そりゃっ!」


 ぶん、ぶん、と刀を振り回して、鳥居は休みなく攻撃を続ける。一見滅茶苦茶に刀を振っているように見えるが、僅かでも足を止めたら切っ先は重実の身体を裂く。ずっと動いているのに、鳥居の剣はぶれないし、息も乱れはない。


 ---確かにこいつは強敵だ---


 重実は鳥居の剣から逃れるのに精一杯だ。こうも立て続けに迫られると、攻撃に転ずる機会もない。

 そうこうしているうちに、重実の踵が道の縁にかかった。これ以上さがれば、川に落ちてしまう。にやりと鳥居が口角を上げた。


「とどめだ!」


 ひと際大きく足を踏み出し、鳥居は一瞬で振り被った刀を、大上段から斬り落とす。受けようもないほどの剛剣だが、後ろにさがれない以上は避けようがない。


「せぃっ!」


 重実は足を開いて、ほとんど鳥居の背後に回る勢いで、低い位置から横に身体を投げ出した。同時に両手で持った刀を引く。落ちて来た鳥居の刃が、残った重実の片足のふくらはぎを斬った。だがそれより深く、重実の刀が鳥居の下腹部を薙いだ。


「でぇっ!」


 どたーっと地面に倒れ込んだ重実の足から血が滴る。だが鳥居の傷は、そんなものではないはずだ。


「……ぐっ……うう……」


 鳥居は川のほうを向いたまま、刀を振り下ろした格好で突っ立っている。その足元には血溜まりができ、はらわたが垂れ下がっていた。


「楽にしてやるぜ」


 腹を裂いただけでは即死はできない。助からない分苦しみが長引くのだ。切腹でも介錯なしでは一晩のたうち回ることもあるという。致命傷を与えたら、即座にとどめを刺すのが武士としての情けだ。

 だが。


「ううおおぉぉ!」


 獣のような咆哮と共に、鳥居が反転した。


「ちぃっ!」


 はらわたを晒しているのに、どこにそんな体力があるのか、斬り上げてくる鳥居の刃を、重実は上体を反らして避けた。いきなり激しく動いたので、今の一撃でさらにどこかの臓腑が破れたらしい。鳥居は口から激しく血を吐いた。


「あの世に行きな!」


 重実が鳥居の首目掛けて刀を突き出した。が、重実の刀が鳥居の首を貫く瞬間、鳥居も同じように刀を突き出した。


『重実っ!』


 思わず叫んだ狐が、直後にむせる。そして苦しそうに、その場を転げまわった。


「……ぐぅっ……」


 重実の刀は過たず鳥居の喉を貫いている。が、鳥居の刀も、重実の喉を貫いていた。至近距離で、鳥居はにやりと笑うと、ようやく力尽きたように、どさ、とその場に頽れた。相討ちだと思ったのだろう。


「ぐ……うげっ」


 がく、と膝をつき、重実は己の喉を貫いている鳥居の刀を掴んだ。血がせり上がり、息と共に口の端から漏れる。

 そのとき、不意に人の気配を感じた。振り向くと、伊勢が蒼白な顔で立っている。手に抜き身を下げていることから、助太刀に飛び込もうとしていたのかもしれない。

 だが間に合わなかった。本来であれば。

 立ち尽くす伊勢の前で、重実は首から刀を引き抜いた。


「うげっ! がはっ……」


 げほげほとむせるたびに、血が辺りを染める。普通だと確実に致命傷だ。現に鳥居は死んだ。喉を押さえた重実の手も、見る間に血に染まり、傷の酷さを物語る。

 だが、重実は血を流し苦しみながらも倒れない。己で己の喉に刺さった刀を引き抜き、生きている。話では聞いていたものの、死なない、という事実を目の前で体現され、伊勢は青い顔で固まった。


「……これで、おれが化け物だってわかっただろ」


 ぐい、と口元の血を拭い、ぽつりと言う。若干声がかすれているのは、声帯が傷付いたからか。


『痛い痛い! 久々の酷い傷じゃあ』


 喚く狐を抱え上げると、重実は鳥居から引き抜いた自分の刀を納刀した。そして震えている伊勢を残して、靄が晴れつつある街道を歩いて行った。



 *****終*****


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