序
ざくざくと、足の下で雪が解けていく。
ふぅ、と息をつき、久世 重実は来た道を振り返った。ようやく峠を超えた。
『おお寒。よぅもまぁ、こんな雪の中山越えをしようと思ったものじゃ』
にゅ、と重実の胸元から、一匹の狐が顔を出す。
「こんな大雪だとは思わなかったんだ」
『おぬしの読みはいつも甘いのぅ。山の天気なんぞ女子おなごの心のようにくるくる変わるぞ』
「なかなか風流なことを言う」
『ふふん。伊達に千年生きておらぬ』
鼻を鳴らし、狐はするりと懐から出ると、ひょい、と重実の肩に上がった。そのまま、襟巻のように首に尻尾を巻き付ける。
「おお、あったかい」
『おぬしの体温で十分温かくなったからの』
ほかほかの襟巻のお陰で、冷え切っていた身体が少し温まった。
「さて、もうちょっと行けば、宿場があるはずだ」
気を取り直し、重実は雪道を進み始めた。
重実は元々れっきとした武家に生まれた。
だが五つの歳に病にかかり、ほとんど危篤に陥った。何日も死線を彷徨い、もう駄目かとなったとき、何故か重実はふらふらと庭に降りて、茂みの中に傷付いた狐を見つけたのだ。
当時のことは覚えていない。家人は皆、重実がおかしくなったのだと思ったようだ。
何せ何もないところをしきりに撫で回し、独り言をぶつぶつ言う。慌てて床に入れても、目を離すとまた何もない部屋の隅でぶつぶつ言っている。
そして八日目に意識を失い、目を覚ましたときにはすっかり元気になっていた。いっそ不気味なほどに。
以来、重実は丈夫になった。どのような怪我をしてもすぐに治る。病にもならない。
初めは喜んだ家人だったが、やがて重実を見る目が変わってきた。
無理もない。高い崖から落ちても、暴走した馬に踏まれても死なないのだ。
そして十七のとき、通っていた道場での諍いで、普段から素行の悪かった男に斬られた。
酒乱でどうしようもない男だったが、腕は確かだった。刀は重実の喉を確実に突いた。
が、重実は死ななかった。
ここまでくると土地にもいられなくなり、普通であれば致命傷なのを幸い、そのまま死んだことにして故郷を捨てた。
同時に子供の頃から常に傍にあった狐の姿が、他の者には見えないことに気が付いた。いい加減自分の身体が他と違うことに違和感を覚え始めた頃に、狐が言った。
『助けられた恩がある。命を助けられたから、わしもおぬしの命を救った』
狐は重実の魂を食い、重実に乗り移った。故に重実は死なないのだと。
ただ身体は普通に成長している。憑いている狐は人には見えないし、人前ででかい怪我さえしなければ、何ら人と変わらないので、昔から重実を知っている者がいなければ暮らしていくに困ることはない。
だがあまり長い間一所ひとところに留まることは避けている。あまり深く人と交わると、重実の違和感に気付く者もおろう。
面倒を避けるために旅を続けて、十年余りが経っていた。