「失礼します」
「では、貴方は幸せ処を守りたくここにいらしたという事ですね」
明人は秋穂の言葉を全て聞き、確認するためそう問いかけた。
「はい。あの、噂で聞いたのですが……。ここは本当に願いを叶えてくれるのでしょうか?」
「残念ながら。私達が行っているのは〈匣を開ける〉事なので、願いを叶えることはできません」
残念そうに眉を下げて説明する明人に、秋穂はやっぱりかとでも言うように薄く笑みを浮かべる。諦めたような表情に、明人は不思議に思ったらしく目を丸くした。
「おや、落ち着いていますね」
「はい。元々ダメ元でもありましたし、そう簡単に願いが叶えられるとは思っていませんでしたから。ですが、噂が本当だったということは分かりました。今回はそれがわかっただけで嬉しいです」
秋穂は少し悲しげな笑顔を明人達に向け、静かに立ち上がり、小屋を出て行ってしまう。
小屋を出る時も「ありがとうございました」と一礼をしていた。
「いいのか明人。帰らせてしまって」
「あいつの匣を開けるのは時間の無駄だ。それに、追いかけるのもめんどくせぇ。自己完結させたんならいいだろうが」
そう言うと、明人は立ち上がり面白くなさそうに小屋の奥へと入っていった。
「あんな綺麗な匣には興味ねぇわ」
そう吐き捨てて──
今日もまた、正司が幸せ処に向かい紙とペンを渡す。
「もうそろそろ諦めたらどうですか」
「何度言われましてもサインは書きません」
「周りの方々の迷惑になっております。よろしいのですか?」
「本当に迷惑だと思っているのでしたら直接私に言えばいいだけです」
こんな会話が今日はもう10分以上続いている。
いつもは5分くらいで帰ってくれるのに、今日はすごく長い。
秋穂と皐月は心配そうに由紀子を見ていた。
「今日が本当に最後の忠告です。ここにサインをして頂かなければ、貴方達には無理やりにでもここを出て行っていただくことになります」
その言葉に3人は顔を青くした。
秋穂はバイトの身なのでただバイト先が無くなるだけで終わる。だが、由紀子と皐月は違う。
幸せ処が無くなれば2人は仕事を失うことになる。
皐月は大学を通いながらなためお金がどうしても必要だ。
由紀子も独り身な為、働かなければ生きてはいけない。しかし、歳が歳なだけにまた新しい仕事を見つけるのは大変だろう。
サインをすれば少しはマシにはなる。だが、ここでサインをしてしまえばもう後戻りができない。
どうすれば良いか3人は寄り添い頭を抱えてしまった。
「考えるまでもないかと思います。ここにサインをしていただければ良いのです。さぁ、サインをお願いします」
急かすように正司は紙とペンを由紀子へと渡す。
紙に目線を向け、ペンを添えるがそのまま固まってしまった。
「もう、やめてください……」
秋穂のか細く震えた声に、冷ややかな声が被さる。
「なんと言われようとここは取り壊させていただきます。どれだけの人に迷惑をかけていると思っているのですか。ここはただの古い小屋でしょう。早く売りに出した方がいいですよ」
その言葉に、皐月と秋穂は顔を赤くして正司を睨んだ。
このパン屋さんに皐月と秋穂が入る前は、由紀子と旦那さんの2人でひっそりと経営していた。
高校生から付き合っていた由紀子と旦那さんの将来の夢は『みんなに幸せを届けられるような、素敵なパン屋さんを作る事』だった。
お店を建てるため、高校からバイトを初め少しずつだがお金を貯めることができ、やっと作れたのがこの〈幸せ処〉だ。
パンは旦那さんが作り、由紀子は接客を主にやっていた。しかし、パン屋さんを開いて6年ぐらいだった頃。
旦那さんが病で倒れてしまったのだ。病院で長いこと入院していたが、病には勝てなかった。
旦那さんは若いうちに亡くなってしまったのだ。
由紀子は最後までパン屋の事を心配していた旦那さんの気持ちを受け取り、1人でも経営をしてやると意気込んででいたが、そんなに上手くいく訳もなく、経営が傾いてしまった。
このままではこのお店を売りに出さなければならない。
旦那さんの想いをここで切らせてしまう。そう思い由紀子は頭を抱えていた。
そんなある日、パン屋に1人の高校生がやってきた。
その人はこのパン屋さんで働きたいと申し出てくれた。その人の名前が《《青木皐月》》だった。そして、そこから3年後に秋穂がバイトと言う形で一緒に働くことになる。
幸せ処はお客さんに幸せを届けるだけでなく、3人の思い出の場所なのだ。
そう簡単に渡せるわけが無い。
「ここにサインをしないのですね。でしたらここから出て行っていただきます。そして、来週から取り壊し作業に入らせていただきます」
「ま、待ってください!!」
由紀子がそう叫んだ瞬間、小屋のドアが開いた。
「失礼します。貴方は詩月正司さん──で合っていますか?」
ドアを開けて入ってきたのは、柔和な笑みを浮かべた明人だった。
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