「サヴァン症候群」
明人はこの光景を、何も言わずに見続けていた。
『私、言う前に失恋しちゃってるね。でも、伝える前にわかって良かったよ。この関係が崩れちゃうところだった』
音禰は何とか涙を拭い、震える声で言う。元気な振る舞いをしているが、それでも涙が止まっていないため、それが空元気だと言うのはすぐに分かった。
『相想は優しいし、頭も良いからモテるよね。その上運動も出来る。逆に、相想に出来ない事ってなんだろう』
『天才様だからな』
『ふふっ。そうだね。それでいて、人を惹きつける力もある。私もその一人』
音禰の言葉に、真陽留は簡潔に答えていく。
『この関係が気に入ってる──か。彼女は面倒臭いか。確かに、相想が考えそうな事だね。私、諦めないと駄目なのかな』
『…………諦められるのか?』
感情が込められていない彼の質問に、音禰はすぐに答えられず沈黙してしまった。
『諦められるなら諦めた方が良い。その方がお前のためでもあるからな』
『そう、だね。でも、諦め、たくは……ないなぁ』
涙が次から次へと溢れ出る。フローリングの床に水滴が落ち、濡れてしまう。真陽留はその様子を見て、怒りや悲しみをこらえるように歯ぎしりしている。
『なら、僕はどうだよ』
『────え?』
真陽留の言葉に驚き、音禰は思わず顔を上げ彼を凝視した。その時、真陽留も音禰を見ていたため、視線が交差する。
『僕ならお前をそんな風に泣かせない。必ず幸せにしてやる。僕はじゃ、ダメか?』
適当に言っている訳でも、冗談を言っている訳でもない。本気で真陽留は音禰に告白をしている。
相手を射抜くような目線に、音禰は一瞬頷きかけたが。すぐに顔を横に振り、笑みを浮かべた。
『ありがとう真陽留。でも、ごめんね。今、貴方のその言葉に頷いてしまったら、私はもっと弱くなっちゃう。貴方達の優しさに甘えてしまう。だから、貴方の気持ちに応える事が出来ない』
『──そうか』
その後は沈黙が続き、壁にかけられている時計の時を刻む音だけが聞こえるだけだった。その沈黙の中、真陽留は『今日はもう帰るな』と隣に置いてあったバックを持ち、返答を待たず部屋から出て行く。
残された音禰は顔をまた俯かせてしまい、鼻をすすりながら涙を流し続ける。
『なんでこんなにも、弱いのかなぁ……』
後悔の込められた声を零し、先程まで我慢していた分、大量の涙を流し声を上げ泣いた。
それを、ドアの外で真陽留は、怒りの表情を浮かべながら──聞いていた。
明人はその光景を、表情一つ変えず、見続けている。
どこか他人事のように。だが、それでもどこか懐かしむように。彼は、真剣にその光景をずっと眺めていた。
光景が切り替わると、次に映し出されたのは真陽留と相想だった。
場所は相想の家の玄関。真陽留は玄関に立ち、相想は廊下に立っている。
『お前が一人で来るなんて珍しいじゃねぇか。どうしたんだ?』
相想は、いきなり訪問してきた真陽留を不思議に思い首を傾げ、腕を組みながら問いかけた。
『……』
『おいおい、まさかなんの用もないのに来たのか? ならさっさと帰れ。俺はこれから昼寝という名の大事な使命が──』
彼の軽口を真陽留は途中で遮り、怒りの込められた口調で聞いた。
『お前、何を考えてやがんだよ』
真陽留の言葉に、相想はすぐに答える事が出来ず、口を結ぶ。
『お前、分かっているはずだろ。あいつの気持ち。なんで分かっているのに、今日あんな事言ったんだよ……』
顔を俯かせているため、真陽留が今どのような表情を浮かべているのか見えない。だが、声からして怒っているのは明らか。それに対し、相想は溜息をつき、重い口を開く。
『お前の方があいつの事幸せにしてやれると思ったんだよ。それに、お前もあいつの事好きなんだろ? なら、問題はねぇじゃねぇか』
相想は呆れ気味に言った。その言葉により、今まで抑えてきた怒りが爆発。真陽留は自身の鞄を落とし、相想に飛びかかった。
『ふざけてんじゃねぇぞてめぇ!!!』
『っ、な、何すんだお前!!』
胸ぐらを掴み飛び掛かる。いきなり飛びかかってきた真陽留にすぐ対応出来ず、相想はそのまま床に倒れ、背中を打ち付けてしまった。
『お前は、なんでそういう事言うんだよ!! あいつの気持ちを、お前はなんだと思ってやがる!! 考えてやれよ、ふざけるな!!!』
『っ、考えてるから言ったんだろうが!! あいつが俺に対する気持ちは友愛の延長線だ!! 勘違いなんだよ!! だから、お前があいつを幸せにしてやれよ!!』
相想も真陽留の言葉に感情を抑える事が出来ず胸倉を掴んだ。お互いの胸倉を掴んだ二人だったが、相想が怒りに体を任せ真陽留を蹴り上げた。それにより、彼は床へ倒れ、相想も打ってしまった肩を抑える。
真陽留はお腹辺りを蹴り上げられ、蹲りながら咳き込んでいる。
『ふざけるな。お前、何すんだよ』
『ゴホッ、ゲホッ!! っ、ふざけてのはお前だろ。相手の気持ちをなんとも思ってない。ゲホッ。っ……つーか、なんでそんな事思ったんだよ。理由だけは聞いてやる』
真陽留は床に転がされたが、痛みで冷静になり苦し気に聞いた。
『理由? 俺じゃあいつを幸せに出来ない。これが理由だ』
『んなもん、お前の勝手な思考だろうが!!! 音禰の気持ちはガン無視じゃねぇかよ!!』
『お前もわかってんだろうが!! 俺は──で親に捨てられたんだよ!!! 人を幸せにする方法や温かさなど知らん。んな奴が、他人を幸せになんて出来る訳ねぇだろうが!!!』
今の相想の言葉に、明人は今まで平然と見ていた瞳が開き、思わず口元に手を当てる。
「サ、サヴァン症候群?」
サヴァン症候群とは、簡単に言えば脳の障害。
知的障害や自閉症などの発達障害等のある人が、その障害とは対照的に優れた能力を持つ事。また、ある特定の分野の記憶力、芸術、計算などに、高い能力を有する人を指す。
明人が呟いたあと、光景は砂嵐のように消え、またしても暗闇が広がった。そして、後ろの方から光と共に姿を現したのは、顔を俯かせながら立っている魔蛭だった。
「そうだ。お前はサヴァン症候群。確か、お前の場合、記憶力が人より優れているんだったか。それと、計算や暗算も得意だったなぁ。さすが天才様。だが、その障害のせいでお前の親は恐怖を抱き、お前は遠い親戚へと引き取られた」
明人は後ろからの声に、ゆっくりと振り返る。それと当時に魔蛭も俯かせていた顔を上げ、彼に見下すような瞳を向けた。
「俺達と出会ったお前は、それからまもなくだったよなぁ? 引っ越してきて、初めての幼稚園。お前は周りの人と馴染めず、ずっと壁側で本を読んでいた。そんなお前に、音禰が話しかけたんだ」
過去を思い出すように、魔蛭は大袈裟に手を広げながら高々と言い放つ。
「お前は怖かったんだろう? また、捨てられるのが。だから、一人でいた。だから、お前は音禰の想いに気づかないふりをした。どうだ? 違うか? 天才様でも怖いと思う感情はあるんだもんなぁ?!」
このように口にしている魔蛭の肌は黒く、目は赤い。まるで、悪魔のような姿だった。
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