10.紙の価値
いつもより少しだけ手の込んだ食事をとりながら今日の相手を観察する。完璧とは言い難いが食事のマナーをあらかた守れてる。公式な食事会という訳ではないからあの位出来ているのならば問題はないだろう。
致し方なくとはいえ招待をしたのは私なのだから、話を切り出すのは私であるべきだろう。それに先日のお披露目会の様な親睦を深める場面や、仕事の時でないと地位が低い者から高い者に話しかける事は基本的に許されていない。気は乗らないが、リシャールが上辺だけでも取り繕うべきだと言っている。
「そういえば、読書がお好きだとお聞きしました。どのような種類の本をお読みになっているのですか?」
「一番最近に読んだ物は御伽噺です。ドラゴンからお姫様を助けるために旅をしている物で、絵が綺麗でとても好きなんです。」
絵が綺麗でとても好き?この世界の小説に挿絵はなく、表紙にさえイラストはつかないはずだ。完全に文字だけの本。……ああ、いや待て。確かに絵付きの本はあるがそれは小説ではなく絵本だ。貴族向けに作られる幼子の情操教育用の物。
そういえば、私が小説を読んでいるのを初めて見たセバスが目を丸くしていたな。そうだった、私は異端児だ。
どの世界に絵本よりも先に小説に食いつく子供がいるんだ。五歳児が本好きというのなら、絵本や文字数が少ない小説を読んでいると考えるのが普通だ。なぜ私は五歳児相手に長編小説を読んでいるかもしれないという期待を持ったのだろう。
「第一王子さまはどのような物がお好きなんですか?」
「そうですね、私は冒険者の方が様々な場所を探検している物が好きです。私の知らない場所が沢山あるのかと思うと心が躍ります。」
異世界の文学がどんな方向に発展しているのか気になって様々なジャンルを読んでいたから話を合わせる事はできる。良かった、これで合わせられんかったらリシャールの評価が下がる所だった。話を振ったくせに話についていけないなんてお笑い種だ。
「この後二時間程、時間があるのですが一緒に書庫に行きませんか?多くの書物があるのでお気に召して頂けるかと。」
「うわぁ、本当ですか?パパからお城の書庫は素晴らしいと聞いていたのでとても嬉しいです。」
書庫の話題で顔を輝かせるところを見ると本が好きである事に偽りではなさそうだ。言葉遣いが適切でない事が時々あるが、次男であるがゆえに少々甘やかされたと考えるべきだろう。しかし、流石は公爵家。五歳児ならば十分なレベルにまでは教育している。話していて苦にならない。また、服のセンスも悪くない。この年代は煌びやかな物を好む子が多い上、この世界の貴族の親は子供の好きなように服を着せている様だ。
先日のパーティで大人の服には色やシルエットが洗練された物が多く、どの人も服装で自分を引き立てる事が出来ていたのに対し、子供等は服装により自身を霞ませていた者が多かった。恐らく作法等の講義の中でコーディネートについて学び、それまでは各々の好みのみで服を選ぶのだろう。つまり現段階で自身に合うような服を選べる者なら、教育されればより美しく着飾れる様になるだろう。
ふむ。現段階で彼が読んでいるのは絵本ではあるが、そこから徐々に小説や歴史書へ興味を示すよう促す事が出来れば優秀な文官になるかもしれない。
リシャール自体がどれだけ優秀であっても全ての事象を知り管理するには時間が足りない。幅広く物事を知る知恵袋は多い程こちらとしても助かる。それに先程覗き見をしていた連中の中に彼はいなかったから常識も持ち合わせている。
顔合わせをした際に有能だと思えば本命以外にも声をかける事は許されている。彼は公爵家の者であるし最初の部下候補としては十分な人材だろう。
「ああ、自己紹介が遅れました。エーテル国第一王子、リシャールペルナントと申します。お名前を伺ってもよろしいでしょうか。」
「はい。僕はウーゴ・マルティンと申します。自己紹介ができ、とても光栄です。」
マルティン……。確か父の右腕との呼び声高い宰相もマルティンだった気がする。何より攻略対象者の一人もマルティンだ。
思い返せば、私のお披露目会の数日後に宰相が双子のお披露目会をしたとセバスが言っていたな。王族は基本的に他の貴族のお披露目会へは行かない上に、私はこの選考の儀を控えていたためにパーティへの出席はできなかった。だから攻略対象者の弟の顔は知らなかった。
「宰相の子ですか。」
「ええ、父から殿下の事はよくお聞きしております。」
……父?先程まではパパと言っていたし、目付きが多少鋭くなっている。確か、攻略対象者の父親譲りで機知に富んでいるという設定があったな。彼もそうである可能性は十分にある。
「なるほど、私の試したのか。君が仕える者として相応しいかどうかを見定めるために。」
「怒らないのですね。」
「当然だ。主となるかもしれない者の知性を知りたかっただけなのだろう?怒るような事ではない。」
また、そのような事を行えるのは一定レベル以上に賢い物だけであるため、彼が賢いという証にもなる。
「その様子だと、呼んでいる本の種類が絵本というのもハッタリで?」
「絵本ばかり読んでいた時期もありましたよ。最近では小説が多いですが。」
「先日新しい本を仕入れたと聞いたのだが興味はあるか?」
「ええ、もちろんです!」
間髪入れずにウーゴが回答する。そんなにも新たな本を読めるのが嬉しいのか。
「公爵家とは言え、貴重な紙が多く使用される本を頻繁に購入できませんから。」
探る様な私の視線に気づき、はにかみながらウーゴが答える。
この世界の紙は羊皮紙に似ていたっけ。材料は羊の皮でなく魔物の皮なのだけれども。印刷や製紙は魔法がある分、前世よりも高速に行えるようになってはいるが、それでも高価な物ではあるのだろう。というより、狩った魔物の皮を使っている分前世よりも高価になっている可能性もある。
植物性の物を使えば安価にできるだろうが、ペンを使う以上滲まない方が良い。こちらで科学技術を進歩させるには途方もない年月がかかりそうだから魔法の研究を進めるべきか。
「もし製紙技術が上がればより安く紙を仕入れやすくなるな。……なんだその顔は。」
ウーゴが目を瞬かせこちらを見る。まるであり得ない様な物を見た顔だ。そんなに突拍子もない発言だったか?
「紙や本が高価であるからこそ貴族や金持ちはこぞって買おうとします。そして、その保有数を自身のステータスとしています。殿下がそれをあまりにも簡単に放棄しようとしていらっしゃるので驚いたのです。」
「ステータスの維持については紙にとって代われる物のがいくらでも存在しているだろう。衣服、アクセサリー、宝石、美容品。今思いつくだけでもこれだけある。紙にまでその役目を持たせる必要はない。」
これらの物は所有者の富を見せつけ、相手に畏怖させる効果を持つ。高価であればある程その効きは強い。紙も現在はその中に含まれる。しかし、もしも紙が安く大量に得られる事ができるならば。
「多くの情報を紙に書き写す事で、より正確により広い情報を得られ知らせる事ができる。情報はどんな時代でも有用な物だろう。」
一度街を見に行った事があるが平民の住む所には文字の書かれた看板はほぼ存在しなかった。文字が書かれていたのは商業ギルドや冒険者ギルド、そして街の名前が書かれた物だけだった。つまりそれだけ識字率が低いという事。本などが手に入らないから文字を読む必要がない。生活の中ならば読める者、主に神官に読んでもらえば良い。それでは一向に文字が読めないままだ。
「もしも数百年に一度の天才が平民として生まれたが知識を得られなかった事により、才能を腐らせてしまったら?私はそれを良しとしたくない。また、月日が経ち優れた知識や技術が廃れる事も良しとしたくない。それらを解決する一歩として紙の普及が必要だと思うのだが、どう思う?」
「良い案かと。父から聞いていた通り殿下はとても聡明な方ですね。」
「取り立てて言う程優秀という訳ではない。」
何しろ、たった今気づいた事に対する考えをリシャールというフィルターを通して口にしているだけなんだから。