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第2章

「……」

 浴槽内でくつろぐ。足を延ばせるくらいには広い。そもそも他の人の家で風呂に入ったのが初めてだ。事の始まりは簡単。先輩に風呂に入ってくるように言われたからだ。夕食を食べ終わった後のこと、僕はシンクで自分の使った皿とスプーンを洗い流していた。先輩と作った料理の数は三皿。ビーフシチュー、サラダ、サケの切り身をあえたようなもの。三品目については料理名はよくわからない。けど一番おいしかった。

「自分の使った食器を、ちゃんと洗うまでが1つの手順よ」

 という先輩の教えに従って、僕は食後の皿洗いをしていたのだ。キッチンは広いから二人分くらいは立つ余裕がある。隣では先輩が皿と調理で使っていた鍋を洗っていた。必然的に先輩のほうが、作業量が多いので時間がかる。僕は自分の分しかやっていないのですぐ終わってしまう。鍋とかも手伝おうとしたけど。

「これくらいの量なら私一人でできるから。お風呂先に入ってなさい。ゆっくりするといいわ。客人だなんてことは気にせずに」

 と言われてお風呂に、入っているのだった。湯加減もちょうどいい。体の底から温まる気がする。肩はおろか口のあたりまで、水に浸かるくらいまでの位置に体を移す。ほとんど全身が入ってないと、僕は落ち着かなかった。気が付いたらこの方法というか、姿勢でお風呂に入るようになっている。夏場は暑いから違うけど、寒くなり始める時期は特に。

「少年。湯加減はどうかしら」

 扉の奥からぐぐもった声が聞こえる。

「ちょうどいいですよ」

「そうよかったわ。それはそうと」

「はい」

「私も一緒に入るから」

「そうですか」

 ……なんか様子がおかしい。言葉の意味を理解して、疑問の言葉を投げようとしたときにはもう遅かった。浴室の中に先輩が立ってる。タオルを巻いてるけども。ってそういうところじゃない。

「なんで先輩まで、入ってきてるんですか」

「いいじゃないタオル巻いてるし。ガス代の節約、二人で入れば」

 反論のしようのない、素晴らしいまでに合理的な理由。感情論とか私情だとかを一切合切切り捨てている。

「いや僕タオルとかないんですけど」

「大丈夫、まだ見えてないから。ほら前の方に詰めて頂戴な」

 先輩に促されるまま、浴槽の端へと移る。先輩が気を使ってくれて、後ろを向いているうちに。

「移れたかしら」

「はい」

 僕の返事の後に、水に触れる音が聞こえる。そして背中にお湯とは違うぬくもりが感じられた。多分先輩の背中。触れ合っているし距離が近いしで。というか感触からしてもしかして。

「タオルはないわよ。そこに掛けてきたの」

「困ります」

「こっち向かなければいいじゃない。狭くないでしょ。浴槽」

「そうはいっても」

「気持ちの問題よ。少年ってば変態なのね」

 これで変態と言われてしまうとは。逆に、そういう気持ちにならない人のほうが変態だと思う。人それぞれだから、断定はできないけど。なんで感情の機微が低いのにこういうところ僕は人並みなのやら。

「私だってそういう気持ちになることは、あるけど今は平気よ。ああ、誤解無いように言っておくと別に、少年にそういう感情を抱かないってわけじゃないわ。今は違う気持ちが勝ってるから切り替えられるってわけ」

 何とも喜びづらい気遣いの言葉をかけてくれた。誰に尋ねればいいのか、知らないけど一体どういう顔をすればいいんだろうね、こういうときは。 

「さてちょうどいいしゆっくりしましょ。休息の時間は長いほうがいいわよ」

「そうはいっても話すことは」

「私が色々話題を考えてあげるから、そうは思ったけど私に何か聞きたいことあるかしら」

先輩に質問したいことといえば、何があったか。僕は少し逡巡する。この平常心を失うかもしれないという状況の中で。先輩が言っていた通り違う気持ちを、生み出すために別のことを。その中で僕は夕方のことを思い出した。

「先輩の両親は、どうしてここにいらっしゃらないんですか」

「二人とも海外にいるのよ。ポルトガルだったかしらね。といってもここにいる、という限定はできないけれど」

「行動的なんですね」

「紛争地体とか、極端に情勢の悪いところには行かないって聞いてたし、何回か送られてきた絵葉書でどこにいるかは想像つくわ。次はアメリカ辺りかしらね。ポルトガルの前はフランス、イギリス、スペインって感じだったし」

 ということは、ヨーロッパを徐々に移動しているんだな。それから大西洋を移動してアメリカ大陸に上陸。ワシントンかニューヨークか、西海岸の大都市から、始めるつもりなのかな。

「二人が出会ったのも、海外だったのよ。当時アメリカ辺りで翻訳家業をしていた母さんと留学生だった父さんが、出会って結婚したの。そのまま生活していたけどあるとき日本に戻ってきたってわけ。でその時に生まれたのが私よ」

「なかなかドラマチックというか」

 普遍的な人生ではない。というかお母さんのほうが、年上だったのか。著者近影で顔は見たこととがあったけれど、年齢とか生年までは載っていなかった。お父さんの方は僕が学術書の類を読んだりってことをあまりしなかったから、実は知らなかった。もっと知らないといけないことが、いっぱいあるってことなんだ。読んだことない本だって、ただでさえ現状だと多いからなおさら。

「で、あとはこの近くにさっき話した、親戚のお姉ちゃんが住んでるわ。時々会って話すけど、基本は私一人だけよ」

「だから料理とかも手際よくこなしていてんですね」

「そうね。全部の工程を自分一人でこなさないといけないわけだからね」

 水音が二人だけの空間に響いた。背中合わせで入っているから音だけが頼りになる。

「これでも昔は二人とも家にいてくれたほうなのよ。あの当時から出張が多かったみたいだけど。私が中学生になったころから急に行く回数が増えたの」

 声のトーンから少しばかり、嘆息しているのが伝わってくる。冷静沈着そうな先輩からするとあまり性格は合わない行動なのかな。面白そうと思うけどそれはたぶん僕が部外者だから気楽な感想を持てるんだ。

「まあなかよしなのはいいと思うわよ。ギスギスしてるより圧倒的に楽だもの」

 息を吐く音が聞こえて先輩が気を抜いたんだと、僕は察知する。

「さて、と」

 先輩が一区切りを置いて沈黙が流れる。

「少年の話が聞きたいわね」

「僕の話ですか」

「そうよ。私が色々話して、家族のことを教えてあげたの。次は少年が私と同じように話す番よ。別にこれといった指定は、しないから自由に話して頂戴ね。もちろん言いたくないことがったら言わなくても結構よ」

「家族……」

 僕は考える。どこから話すべきか。とりあえず思いつく限りだと言って、先輩は両親のことを話してくれた。なら僕も同じように話すことにしよう。

「じゃあ僕も自分のことを話しますね。まず両親のことなんですけど」

「うん」

「普通の両親って言えば、普通ですよ。父親がどこかの企業で勤め人してて。母親の方は隣町のスーパーで、パートをしてるんです。あとは妹がいます。ただ祖父母の家に住んでるんで、最近はあまり会いませんけど」

 というか、父親とも、母親ともあまり話していない。父親の方は僕が、早く起きてるし寝る頃になって、やっと帰ってくるという具合だ。残業が多いっていうよりも仕事始まりが遅いんだ。で、両親同士の仲はたぶんよくない。

「少し思い出したけど、少年のお母様の方ね。三者面談に来ているのを、確認したことあるわ。そう、まだ少年のことを査定していた時のこと」

「先輩、そういうところも見てたんですか」

 見方によっては、先輩のほうが変態っぽい。そういえば半年間観察していたといっていたけど、僕は先輩の姿を見たことなかった。あるといえば朝礼の時くらい。

「少年のことを知るためよ。どれくらい話しているかとか目を合わせているかとかね。学校だと目が輝いている奴でも親と二人になると濁るタイプもいるし」

 結構その人の人となりを、詳しく掘り下げるために重要なのよ と付け加える。先輩は僕のことを知るために、いろんな策を打ち出していたんだな。表面上から情報をとれるだけ取って自分の仕事を手伝うに値する、もしくは耐えうる存在なのかを確認するために。それで査定をクリアして、最終確認としてあの喫茶店に呼ばれたのか。

「まあ続けますね。多分家は放任主義、だと思います。言い方をすればですけど」

 友達の家に泊まるって、言っても一々聞いてこない時点でそれほど関心もないのだ。別に今に始まったことでもないし、大して興味もないのに、無理やり興味がある風で聞かれるのも辛い。

「だから、ごはんも誰かと一緒に食べるのも久しぶりです。そもそも家で言葉が飛び交うこともないし現状で良い、って思ってるというのもあるので」

 両親仲が良くない。もし接触して暴発したら、壊れてしまうのかもしれない。ならば今のままで維持するべきなのだ。ひとしきり喋り終えると、手の上に何か違う感触が当たる。暖かい感じが背中を合わせた時と一緒。多分先輩が自分の手と、僕の手を重ねてきたのだ。

「変化させないようにしてるんです。違うことをしたら何かのきっかけになって、崩れてしまうのが」

「苦しいわね。放任はつまり自由だけれど、総てを自分で決めるということ。たぶん少年が周囲に対する関心が薄くなっていったのも、そのあたりが関係してると思うわ」

 分析してくれた結果を聞く限りだと、あまり自分でも考えたことがないものだった。やっぱり先輩は、違う角度から切り込んでくる。

「現状を維持しようとしてるんでしょ。だから周囲で何が起きようとも、自分に関係ないから関わろうとしない。よって関心が薄くなるってわけ。私の推測よ」

 分かりやすい。やたらと難しい理論やらカタカナ言葉を多用しない。本人に伝わるように理解できるよう。それが一番重要なものときっと認識しているから。

「周りはそのことで色々言ってくると思うけどね。気にすることはないわ。どうせ人並みのことしか言えないんだから」

「先輩は言い辛いこととか、必要だと思うことを色々教えてくれるんですね」

「だからといって、私の言うことばかり信じてもだめよ。あくまで私の理論であって本当に正しいものであるという保証はないのだから」

 嬉しいという気持ちが心の中で芽生える。自然と先輩の手を握る力が強くなる。先輩もそれに気づいて、握り返してくれた。しばしの間手を握ってて先に上がるわね。とだけ先輩は言うと浴室を出ていく。しばらく湯船につかっていると「もういいわよ」という曇った先輩の声が響いた。それを聞いて僕も脱衣場へ行く。リラックスは十二分にできた。本来の目的はここからだった。

「似合ってるわね、サイズちょうどいいじゃない」

「先輩、これって」

「着流し。私がが持っていたものなんだけどサイズ的に問題なかったわね」

 着方は先輩に教えてもらった。下着類はあの巨大なレジ袋の中に、入れておいたのだけれどそれ以外の物は買ってなかった。というか買ってもらえなかったという方が正しい。

「いいじゃない、別に。誰かが見てるわけじゃないんだもの。でも少年無関心で感情の気迫が薄いと思ったけど異性絡みだとやっぱりそうでもないのね」

 イスに座るように手で促されるので、座ってみた。すると先輩が神を結び始める。今更嫌がるのもあれなので、任せてみることにした。長くなると自分で切ったりしてるから結んでみようって、あまり意識してみたことはない。

「それにね。少年くらいの年頃ならそういうのに興味があるってのは別に珍しいことでもないんだから」

「そうですか」

「健康な証拠ね。さて少年。すっきりしたでしょ」

「だいぶ違いますね」

 新しく結った状態を鏡で見せてくれる。頭の後ろで一つ結びにしてあった。中々いいかもしれない。

「じゃ、情報のまとめを行いましょうか。資料の数は少ないけれどね」

 先輩が昼間にとったメモ、少しだけ僕に見せてくれた警察の捜査資料、クラスの名簿を机の上に出した。最後の奴はクラス替えの時に発表した後、生徒に配布されるもので僕も持っていた。

「まあ重要なことは一点に限ったことよ。これだけで答えに到達するかどうか」

「難しいと思います」

 この二つに明示されている情報は、名前と死んだ時の状況だけ。重要なのは死ぬという選択肢をとるに至るまでの経緯。 

「妊娠していたとか って思ったんですけど違うんですね」

 単純に彼氏に捨てられて絶望したから っていう話を最初の頃は思っていたけど考えてみれば、その線はないと思うべきだったかもしれない。だってそれなら理由だって分かってるし、先輩のところに話を持ってくる必要もないから。

「どこにもそんなことは書かれていないものね。もっと抽象的な何か、人によって答えが変わるような類のものかもしれないわね」

 先輩が持っていたボールペンを一回転させ、メモ帳に今言った話をメモする。

「感情の変化とか立ち位置の変化とかですかね」

「人には話しづらい事情かしらね。言葉にして伝達するのが難しいもの。どのみちこれだけで、真相を導き出すには情報が少ないから考えもまとめきれないわね」

 椅子から立ち上がると、先輩が伸びをする。時計を見るとまだ日付は変わっていない。しかし、深夜と呼ぶにはふさわしい時間だった。

「やっぱり、追加で調べに行く必要があるわ。明日も早いし寝ましょうか」

「僕はソファでも平気ですよ」

「お客様ベッドを出してあげるから。あと私もリビングで寝るわ。ついたてを立ててあげるから少年も安心でしょ」

 淡々と言ってのけるけど、先輩もなんで一緒に寝ようとするのか。自室がありそうだからそっちで寝ればいいのに。わざわざ、家の主がお客と一夜を共にするようなことをするのか分からない。先輩のやる行動はぶっ飛んでるから、あまり無理に理解することはないんだろうけどもさ。

「理由はシンプルよ。少年ともっと話してみたいから」

「寝る前の話ですか」

 お客様用の折り畳みベッドをセットしながら、話す。先輩は物置に使っている部屋から毛布とか枕を持ってきた。それ以外にも間を遮る衝立、なぜかお菓子やら飲み物やらいろいろと関係なものが混じっているのは一体。

「手伝います」

「そう、じゃあシーツをかけて。あと風邪ひかないようにあったかくするの。これれとこれを重ねて使いなさい」

 何枚も布を渡された。薄くて一番大きいのがシーツ。厚さの違う毛布数枚。そして羽毛布団。それらを丁寧に敷いていく。

「敷けたら横になってもいいわ。お菓子とか食べながらって思ったけど、今日は色々あったから少年疲れたでしょう」

「じゃあ寝ます」

「お菓子はまた今度ね」

 先輩にそう告げると、僕は寝台の上にの転がる。パチンというスイッチの音が聞こえた。恐らく先輩が電気を消したんだ。

「少年はこのまま時が止まればいいって思ったことはあるかしら」

 明かりの消された部屋で衝立の向こうから先輩の声が響く。姿が見えないので声に一層神経を研ぎ澄ます。先輩と出会った時もきれいな声だけど、今はいつもより美しく感じる。混じりけのない一直線に届くような。心を突き刺す声。

「いや、考えたこともないです」

「そう。とてもいい精神状態ね。それともまだそういった場面に遭遇するようなことがないのかしらね」

 明日もどうせ来る、何をして終わらせるかということを考え、今日よ続けと思ったことはない。ただ毎日同じことが繰り返される。よく今みたいな日常が続けばいいとか欲しいとかいう意見を見るけど、僕のそれは似て非なるものだ。続いてほしいんじゃない。続けなければならないのだ。あらゆるものの安定と調和のために。崇高だとか、そういうものでは決してない。裏返してしまえば、きっと僕が変化に耐えきれる自信がないからだ。だから現状を、維持させるために能力を使う。

「先輩はあるんですか」

「残念、と答えるべきかどうか迷うけれどないわよ。今のところ超えられない、逃げたいって思うほどの依頼とかに遭遇したことがないの」

 なるほど確かに先輩みたいな人であれば、めったなことではくじけることはない。

「断っておくけれど逃げるのが、悪いわけじゃないわよ。少年もね、そういう場面に遭遇したらすぐに逃げなさい」

「先輩のもとにまっすぐ行きますね」

「いいわよ。見てあげるから」

 笑うわけでもないけど、先輩は楽しそうに返してくれた。声のトーンからの推測でしかないけれど。

「まあこんなことを聞いてみたのはね。今考えていることの推測に関する話だからよ。今回に限ったことじゃない。人間は一度、苦痛に感じることが続くって思ったり、その先に何も見えなくなると、安心できる限定的な時間が続けばいいって思うようになるのよ」

 あくまでこれも推測、だけれど と付け足した。先輩の話は眠くなってるからか、半分も入ってこなかったけど声は聴いてるだけで心地いい。

「おやすみなさい少年。世界よ止まるな時は去れど進見続ける」

「はい、おやすみなさい」

 何だか分からない詠唱やら呪文やらを先輩は唱える。そして僕はそのまま眠りの世界へと落ちて行った。漆黒の闇、けれど恐怖心を覚えることはない安心する闇が呼んでいてそこへ向かうのだった。

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