8話 新学期
凶暴な新種の生物が渋谷に繁殖、暴れ回ったとのニュースが飛び交い、話題になったものの、フェィクニュースとして誰にも相手にされなかった。
と同時に、ネット上で話題になったアズの美声。人の入れない高所での撮影、誰もが新人のデビュー前のデモンストレーションだと思われていたが、待てどもテレビに出ないでいた……。
騒動はあったものの、実際に見ていない者にはフェイクニュースだと信じないだろう。世界に拡散する心配はなさそうだ。
「まあ、全て本当の話なんだけど……」
昴は呟くものの、当然、友達は信じてはくれない。
でも、それで良いんだ。このことは、サンダーのメンバー間だけの秘密だから。
こうして、あの忘れられない日々はいつしか過ぎ去り、今はもう世間の話題に上ることはない。
当たり前のように時間は過ぎ、季節は巡りって春を迎えた――。
あの騒動以来、昴の人生は変わった。
あいさつから始まり、困っている人を助けるのはもちろんのこと、リサイクル可能なゴミをしっかり分別する。食べ物を粗末にせず、残さず食べ切る。熱い時は薄着で、寒い時は着込み、エアコンの設定温度を極力抑える省エネの実行。本当に気に入った物しか買わず、使えるものは最後まで使い切る。
とにかく、無駄を無くそうと、自分に出来ることはなんでもしようと決めた。
昴に触発されて、サンダーのメンバーも誰とはなしに、朝早くから学校の回りの掃除を行った。
こつこつと、日々の積み重ねが節約に、しいては環境改善に繋がるとの思いで、自然と体が動いた。
周りを変えるのではなく、まずは自分達から変えようと……。
新学期が始まった。と同時に、音楽活動の幕が開ける。
「やっと、同じクラスになったな」
と松岡が声を掛けて来た。
クラス替えが行われ、晴れてサンダーのメンバーである、松岡と宮崎さんも一緒のクラスになったのだ。
「オーーイ! 昴、高校最後の一年、宜しくな」
と吉川先輩が明るい顔で言った。
留年したのに、と呆れ顔の昴。
まあ、日頃の行いの悪さが祟ったんだろけど、学校に未練が無いから、辞めてしまうんじゃないかと、昴は幼馴染の先輩のことが心配でならない。
誰か手綱を握ってくれる、しっかり者がそばにいてくれると良いんだけど……。
突然、『スバルぅー!』と後方から大きな声がした。
聞き覚えのある声に反応した昴が振り返る。
そこにアズがいた。
「会いたかったぞ、スバル」
満面の笑みでアズが言った。
「――アズか! でも、なんで? ハロウィンの日じゃなかったのか」
「入学試験の時から、ずっと人間界にいたんだけど、昴を驚かそうと、ずっと我慢して会わなかった。オレ、今日からこの学校の生徒になったんだぁ」
アズが嬉しそうに言って「にぃ、シシシぃ~」と笑った。
「本当か! 生徒になったって。あ、でも、魔法の力で入学したんだろ、そんなズルして…」
「違うよ! 魔法は使わないって、スバルと約束しただろう。だからオレ、必死で勉強したんだぞ。ズルして、入学したんじゃないからな」
意地になってアズが言う。
「分かってるよ、お前が嘘を付くような子じゃないことぐらい。それにしても、いくら頑張ったからって、そう簡単に入学なんて出来やしない。お前、やる気を出せば、なんだって出来る、頭の良い子だったんだな。この学校の生徒ってことは、こっちで暮らせるのか?」
「うん。校長先生の許可をもらって、こっちで生活することになったんだぁ。だからオレ、シブタニ、っていう苗字をもらったよ」
「シブタニ? シブ…渋谷か、良い名字だ。そうか、それは良かったな、アズ。でもお前、変わりもんだから、イジメとかに会わないか……。まあ、アズには跳ね返す元気があるからな」
と意地悪く言ってアズを見詰める。
言葉遣いの悪さは相変わらずだが、それがかえって心地良い。
「良く頑張ったな、アズ。んん?……少し会わない間に、たった半年の間に、お前、変わったんじゃないか?」
「そうかな? そういえば、急に背が伸びたんだ、5センチだけど」
「お前は、よく食べるからな」
と昴が茶化す。
成長期だから、急に背が伸びたんだな。でも、それだけじゃないだろ、まるで別人のようだ……。何か、ほっそりとして女らしくなったよな。あの、お転婆だったアズが制服を着るなんて。ん? 意外と似合ってる――。
新鮮なセーラー服姿のアズに目を奪われるが、それだけではない。幼い少女から脱皮した、大人の魅力が備わっていたのだ。
その顔、だいぶほっそりして、まるで別人のようだ。それに、申し訳ない程度にしかなかった胸の膨らみも、少しだけ大きくなっている。
マジマジと昴に顔を見詰められ、
「な、なんだよぉ、そんなに見られると、恥ずかしいだろう。照れるじゃないか……」
初めて聞く恥じらいの言葉、女の子らしい言葉に面を食らう。と同時に、昴の心がキュンっとした。外見だけじゃなく、中身も変わったのか?
動揺を隠そうと目を逸らした昴に、アズが嬉しそうに言った。
「スバル、また、ぎゅーっとしてくれ」
アズが催促する。
「――え、ここでか」
人目も気にせず思ったことはなんでも言う、大胆さは、変わってないんだ。
相変わらずのアズのまんま。
「分かったよ。人前でも、アズのして欲しいことなら…」
とアズを抱き締めようとする昴の後ろから声がした。
『そこの二人! 学生の分際で、校内での男女交際は禁止だぞ』
また、聞き覚えのある声――。
昴が振り返ると、そこにサリナ先生がいた。
「さ、サリナ先生!」
今度は吉川先輩が声を上げた。
何故か、サリナ先生自慢の赤い髪が黒髪に変わっている。
「ただ、染めただけだ。生徒を指導する教師が、校則を破っては示しがつかないだろう。便利だな、髪をどんな色にも染めることが出来るのだから」
どっちの色にしても、美系のサリナ先生は似合っている。
でも、そこじゃない――。
「生徒を指導する教師?」
「そうなんだ。サリナ先生はここの先生として、オレと一緒に、この人間界で暮らすことになったんだぞ」
「そうか、それは心強いな、アズ」
「でも、先生はオレと違って、ズルしてここの先生になったんだ」
「ズル? ああ、魔法で――」
「こら! 余計なことを言うな。学生のアズとは違うのだ。教員試験は半年やそこらでは受からん。全ては、人間界で一人暮らしすることになったアズのためだからな」
と苦しい言い訳をする。
そこは追及しないでおこう――。
――今から遡ること半年前。
「いがみ合っていた二つの世界、魔法界と人間界。アズが二つの世界の懸け橋になってくれると私は思っている」
と町長のネルが、アズに期待を込めて言った。
「オレが?」
「そうだ。アズは人間界でも生きていける」
「町長! 野蛮な人間界に大事な生徒を行かせません」
サリナ先生が引き留めようとするが、
「……サリナ先生は、まだあの時のことを引きずっているのだな」
校長先生が間に入った。
「あのことって?」
アズが興味深そうに校長の顔を覗き込む。
「アズには関係のないことだ」
とサリナ先生が拒否するが、
「でも、オレ、どうしてサリナ先生が人間を嫌がるのか知りたいんだ」
どうしてもサリナ先生の過去が知りたい。
「いいではないか、サリナ先生」
と校長が諭す。
「しかし……」
「サリナ君が、アズが同じくらいの年の頃だった話だ。丁度、サリナ君の担任をしていて、今のアズと同じ好奇心旺盛の少女だった。目を離すと直ぐにいなくなる。ある日、一人で人間界に行って迷子になったところを助けてくれた人間がいてな。ひと際目立つ赤髪の女の子。困っていたサリナ君を自宅に招き入れ、親切にしてくれたそうだ。
でも、真面目で正直者のサリナ君はその人間に嘘は付けない。自分が魔女であることを告げると、その人間は豹変して、バケモノと罵ったそうだ。好きになった人間に裏切られ、サリナ君は泣いて帰って来た。それ以来、心を閉ざしてしまってな。そのことがあってからワシは、こんな可愛い生徒を泣かせる人間を恨むようになったのだ」
「それで、ライは人間を酷く憎むようになった訳か……」
町長が呟く。
「私は、アズに、あの時の辛い思いをさせたくないからこそ、人間界に行くのを反対したのです」
「サリナ先生、オレ、辛くなんかないぞ。人間界に行けることが嬉しくてしかたないんだ。夢も出来たしな」
と言って、にぃっと笑みを見せた。
「ただし、人間界で暮らすには、一つだけ条件がある」
と校長先生が言った。
「本当か! オレ、なんでもするぞ」
「人間界で行われる、高校の入学試験に受かることだ」
「高校入試……オレ、勉強だけは苦手なんだよなぁ」
「つべこべ言わず、覚悟を決める! やる前から弱音を吐きおって」
サリナ先生が脅しを掛ける。
「私が付きっ切りで教えてやる」
「そこが、嫌なんだよなぁ」
「ん? 何か言ったか」
「いや、何も……」
「お前は気付いていないだろうが、この世界を創った創造主の末裔、希望の星だ。今のお前を見ていると、きっと叶えてくれる。魔女と人間が共存する世界を創ってくれると、ワシは信じておる」
今度は町長が言った。
「ちよっと、待って下さい。頼りないアズを一人で行かせては、危険過ぎます」
「もちろん、アズ一人ではない」
「一人ではない、とは?」
サリナ先生が首を傾げる。
「付き添い人は、サリナ先生だな」
と町長が指名する。
「え! 私ですか――」
人間界に行けと言われた途端、険しかった表情が緩んだ。
「ほう、人間界で暮らせるのが、嬉しそうだな。さては、気になる男でもいるのかな」
町長が興味の眼差しで見ると、
「いません!」
とキッパリ言った。
「あらゆる壁を乗り越えていかないとな。もう、待ったなしじゃ」
町長がそう力強く言ってサリナ先生とアズを見た。
魔法界での引き継ぎを済ませたアズとサリナ先生を、町長と校長が二人を見送った。
こうして、アズは人間界へ、マサリナ先生と一緒に――。
猛勉強の甲斐あって、アズは見事、神宮南高校の受験に合格し、入学を果たした。
「先生も、シブタニって言う苗字なんだ」
「サリナ先生がしぶたに……じやあ、渋谷サリナか。アズとおんなじ苗字ということは」
「そう。一応、オレの姉ちゃんなんだ」
「身分証明書を取得するのに、姉妹という関係は後々都合が良い。身分証明所が無ければ、スマホも車も持てないからな」
まあ、そうだろう。証明書が無くては、この日本では生活出来ないからな。
「先生も、アズちゃんと一緒に、こっちで暮らすんスか?」
キラキラと目を輝かしながら嬉しそうに吉川先輩が言った。
「――何故、お前がいる。卒業したんじゃなかったのか?」
サリナ先生が不思議そうに聞く。
「俺、卒業しなかったんスよ」
「だろうな、遊んでばかりいるお前だから。私には、留年することは分かっていたがな」
まるでこうなることを予期したようにサリナ先生が言って、
「今の言い方、聞き捨てならぬ。しなかった、ではなく、出来なかった、の間違いだろう。言い直せ」
「違いますよ、こいつらと一緒に音楽がしたくて」
「その脳天気さは、死んでも治らないようだな」
「先生にフラれて、失恋の影響で勉強に身が入らなかったんスよ」
「人のせいにするな!」
ほんと、そう思う。あれがいつもの吉川くんのスタイルだもんな、と昴も同じ思いだった。
「お前のお陰で、アズがやる気を出した。礼を言う」
サリナ先生が改まって、スバルに頭を下げた。
「俺のお陰? 何かしたかな」
と昴は気付かない。
「アズに勉強を教えていて思ったのだが、アズは貪欲に知識を吸収する。要は切っ掛けさえあれば、どんな難しいことでもやり遂げ、成長していくタイプなのだろう」
「……そう、だよな。なんにも知らない人間界で、高校に入学出来たんだから、ほんと、凄いよ、アズは」
「アズに切っ掛けを与えたのが、お前だ」
そう言ってサリナ先生が昴を見た。
「先生がこの神宮南高校の先生かぁ、じゃあ放課後、俺に付き合ってもらえますか。この校内を隅々まで案内しますよ。ついでに、喫茶店でお茶しましょう」
吉川先輩が得意げに言うが、
「学生の分際で、一年早いわ」
即座に却下された。
「一年かぁ~、ん? 十年じゃなく、一年! 短くなったんじゃ……一年ということは、俺が卒業すれば、付き合ってもいいと、そう言ってるんスか!」
興奮気味に言ってサリナ先生に目を向けると、
「無事に卒業出来たらの話だ。お前は、この世界に関する知識に長けている。詳しいんだろう、そこだけは手助けになるからな」
「手助け、だけって、そこだけがちょっとキツいけど、俺、頑張って卒業します。そして、サリナ先生と釣り合うような人間になります!」
と自信を持って言った。
「ほう、大した自信だな。だが、私は人間が恐れる魔女。お前も物好きだな、そんなバケモノを好きになるなんて」
「バケモノ? 先生のことを言ってるんスか? サリナ先生をバケモノだなんて、俺、一度も思ったことないっスよ」
「お前達人間にとって、私達魔法使いは得体の知れない魔物にしか見えないんだろう」
「そんな……、先生のことをバケモノ呼ばわりする奴がいるんなら、俺がこの身を挺してでも守ってやるよ、先生」
「うっ……。お前達は良い奴だ。私が魔女だと知っても、他の者達と同じように接してくれるのだからな。近い将来、そんな偏見や差別が無く暮らして行けそうな気がするよ」
「ちょっと、失礼」
吉川先輩が言いながら、サリナ先生の眼鏡を無理やり取った。
ホッとしたのも束の間、あんた、何をやらかすんだ! と昴は心の中で叫ぶ。
「貴様! 何をする」
案の定、サリナ先生がキレた。
「眼鏡、掛けない方が断然良いっスよ。俺の伊達眼鏡と違って、目が悪いのならコンタクトにすればいい。サリナ先生は素顔の方が断然綺麗ですから」
吉川先輩の言葉に、皆が素のサリナ先生を好奇の眼差しで見詰めた。
サリナ先生の素顔が露わになり、「おおー」と声が漏れる。
それまでの厳しかった雰囲気が一変し、優しそうな顔立ちのサリナ先生。
みんなに見詰められ、「な、なんだ?」と顔をそむけながら、
「私も飾り物のメガネだ。教師たるもの、厳しくてはならぬからな。そう思って掛けているだけだ」
「そ、そうなんスか! じゃあ、そのままで良いじゃないスか。売れっ子女優にも引けをとらない美貌。ますます、守ってやらなきゃって思うじゃないスか」
「そう優しく言って口説くのが、お前の手なんだろう」
「そう思ってくれても構いません。ただ、サリナ先生には幸せになってもらいたいから。先生には笑ってもらいたい。責任感が強いサリナ先生だから、きっとなんでも一人で全てを抱え込んでいるんでしょう。生きるのに精一杯な先生、少しでも俺が先生の重荷を取り除いて、笑えるように努力します」
それは嘘偽りのない言葉だった。
「スバル、ヨシカワくんも魔法使いなのか?」
不思議そうにアズが聞く。
「吉川クンは少し変わってるけど、単なる人間だぞ」
「でも、ほらぁ」
とアズに言われて見ると、さっきまで怒っていたサリナ先生が笑みを見せている。
「恋の魔法ってとこかな。吉川クンの得意技。でも、さっきのは本気のやつだ」
と昴が小声でアズに言った。
さすがのサリナ先生もグラっときたんだろう。
まだ学生だってことではぐらかされたが、全く見込みがない訳ではなく、むしろ、サリナ先生の、吉川クンへの興味は増したような気がする。応援するよ、先輩。
難敵を攻略したな、と昴。そうだ、俺も勇気を持ってアズを軽音部に誘おう。
そう思った昴、楽しい学園生活が待っているんだと胸躍らせる。夢は待つものじゃなく、叶えるものだと昴は強く思い、
「アズ、よかったら、その、軽音楽部に入らないか? 俺達と一緒に音楽しょう」
「スバルと一緒ならオレ、なんでもするぞ」
「あ、そうだった。お前、将来、パテェシエになるんだったな。そっちの勉強に忙しくて、放課後の音楽活動なんてやってられないよな」
「オレ、パテェシエの勉強もするし、部活もするぞ」
意外な言葉が返ってきた。
「お前……」
少しの間に、こいつ、見た目だけじゃなく、中身もしっかりしてきた。大人になったんだな。としみじみ思う。
「ケーキを作ったら、一番にスバルに食べてもらいたいんだ」
「もちろん、一番に食べるよ。お前の気持ちのこもったケーキ、例え美味しくなくても、じっくりと味わって食べるから」
すると、アズの頬がポッと赤くなる。
明らかに異性を気にした表情。
見たことのないうっとりした表情でアズは昴を見詰めた。
早くもアズは先の進路を決めたらしい。俺は? あと一年で高校を卒業するんだ。未だに先の進路は決めていない。まあ、俺は大学に行くからまだ猶予はある。慌てないでじっくりと決めればいいんだよな。
でもこれだけは言える、素晴らしい学園生活が待っているのだと。