5話 変わり者
「そうか、アズちゃん、向こうの世界に帰ったのか……。残念だったな、ボーカル。諦めるしかないな」
放課後、音楽教室で松岡が慰めの言葉を掛けるが、ボーカル? 魔法の力? そこじゃない。そんなの、どうでもいい。アズは、と昴は心の中で強く思った。
昴はサリナ先生の顔を思い出し、
「なんなんだよ、あいつ。なんで人間じゃ、駄目なんだ……」
と、小声で呟いた。
だだ、そばにいてくれるだけで良いんだ。
自分に魔法が使えるのなら、アズに会いたい。もう一度……。
アズのことを思うと、楽しみだった軽音楽部の活動にも身が入らない。心がポッカリと穴が空いような、そんな寂しい気持ちが募る一方だった。
一方、魔法界に、なかば強制的に戻らされたアズ。
校長室に呼ばれ、傍らにはサリナ先生がいた。
「人間界など、子供に行くところではない」
「オレ、子供じゃないぞ」
とアズは口答えするが、
「すいません、私が付いていながら、本当に申し訳ありません」
とサリナ先生が言いつつ、アズの頭を押さえて無理やり謝させる。
「全く、我が校の問題児じゃな。周にどれだけ迷惑を掛けたのか、分かっておらん」
「オレ、人間界に行った時の記憶が無いんだ。なぜか、思い出せない。楽しかったはずの思い出すべてが……」
サリナ先生の魔法によって、昴との記憶が消されていることを、アズは知らないでいた。
教室に戻ると、いつもの授業が待っていた。
「アズちゃん、人間界ってどんなところだった?」
と親友のルイが聞くが、アズにはその記憶が無い。
「じゃあ、スイーツは食べなかったんだ」
今度はレナが残念そうに言った。
「スイーツって何? スイーツ……あ! す、す、す、スバル! そう、スバル、スバルだぁ!」
食いしん坊のアズはスイーツの甘い味だけは忘れようがなく、そこから昴にたどり着く。
思い出したアズが大声を上げながら勢い良く立ち上がった。
「ちょ、ちょっとアズちゃん、今は授業中よ!」
レナが慌ててアズを座らせようとする。
「そこ、騒がしいぞ!」
サリナ先生が言って、立ち上がったアズに睨みを利かす。
「今は授業中だぞ」
サリナ先生の恫喝にもひるまず、アズが言い返す。
「サリナ先生、なぜ、オレの記憶を無くしたんだ」
「人間と関わったからだ」
「スバルは良いやつ。先生は嫌いだ!」
そう言ってアズが教室を出て行った。
レナが追い掛けようとするが、
「ほおっておけ、戻って来る。アズには行く所はないのだから」
とサリナ先生が制した。
一目散にアズは人間界に繋がる古井戸に向かった。
そこでアズは驚愕する。
「えぇーー!」
ガラスのような膜が張られ、何人も入れないようになっていたからだ。
幼いアズの魔力では、強化ガラスのようにおおわれている膜は解けない。
「これじゃ、人間界には、行けない……」
言いながらアズは崩れるように地べたに座り込んだ。
「スバル、スバル、また、会いたい……スバルに、酷いこと言ったのに、……会いたい、会って、謝りたい……」
アズのかすれるような呟きが、虚しく響いた。
授業中にもかかわらず、ずうっとうつむいているアズ。
誰の目にも落ち込んでいるのが分かる。
休憩時間、何日も落ち込むアズを見兼ねた、物知りのルイが知恵を授けた。
「町長さんに頼めばいんじゃない」
「チョウチョウさんって?」
アズが両手を拡げてバタバタさせる。
「空を飛ぶチョウじゃないわよ」
「アズちゃんのために考えているんじゃない。ふざけないで、ちゃんと真面目にやってよ」
とレナが言って口を尖らせるが、アズはいたって真面目である。
「校長先生より偉い、町長さんに許しを得れば、もう一回人間界に行けるんじゃないかしら」
「そ、そうか!」
アドバイスを受けたアズは、まん丸の大きい瞳を輝かせる。
「でも確か、町長さんって、変わり者っていう話じゃ」
「そうそう、人間擁護派だったわよね」
「ヨウゴ? って、なんだ」
アズが聞く。
「人間に寛容、あっ、つまり、人間の味方なの」
「じゃあ、オレ、人間界に行けるんだな」
希望の光が見えた。
そんな気がした。
その日のうちにアズは行動を起こす。
町長に合うために、町役場にアズは、友達のルイとレナの三人だけで遣って来た。
町役場の中には、まだ子供である三人は当然入れない。例え会えたとしても、話を聞いてくれるようには、ルイとレナには思えなかった。
ぐるっと町役場の周りを回りながら町長のいる部屋を探した。
「あそこに町長さんがいるよ」
二階の大きい窓のある部屋をルイが指差しながら言った。
「あそこか!」
「で、どうやって行くの、アズちゃん」
「決まってるだろう、飛ぶんだよ」
「えっ、あそこまで飛ぶの。でも、捕まっちゃうよ」
「覚悟のうえさぁ」
心配ないとばかりに、アズがにぃーっと白い歯を見せた。
「ここまでありがとうな、ルイにレナ。お礼に、手作りのスイーツを二番目に食べさせてあげるよ」
「二番目? 私達親友じゃない。一番じゃないの」
「一番はスバル。約束したんだぁ、一番に食べてもらうって」
「ふぅーん、人間なのに、スバルさんと仲が良いんだね」
「スバルだけじゃないぞ。セイヤにユウコも良いやつ、あと、妹のマヤに、パティシエのお姉さんも優しくしてれたんだ。何よりスバルは、家族の温もりをオレに教えてくれたから」
「人間って、良い人ばかりなのね」
「うん!」
自信を持って答えると、アズは「じゃあな」と言って勢い良く飛んだ。
少し開かれた窓から、そっと忍び込もうとするはずだったのだが、勢いが付き過ぎて窓ガラスを突き破り、
『ガッシャーーン』
ガラスの割れる大きな音が一帯に響いた。
階下から見守るルイとレナが頭を押さえながら、
「あ! やっちゃったぁー」「まずいよぉー!」
とそれぞれが声を上げ、その場から慌てて逃げ出した。
「いってて、てぇ~!」
窓ガラスがクッションの役割をして大怪我こそしなかったものの、散乱したガラスの破片で指を切った。
「あ! 校長先生?」
見ると、校長先生と見間違うほどの人物がいた。
「ワッハハハ、ワシはネル、校長のライは弟じゃ」
「そうなのか、見れば見るほどそっくりだ」
校長先生とそっくりな顔立ち。だが、町長は立派な髭を蓄えている。ただそれだけの違いである。
「兄弟だから似ているのは当然だろう。お前、頭が悪そうだのう。それにしても、派手な登場だな」
と呆れた口調で町長が言って、
「血が出ているぞ、痛くはないのか?」
「平気だよ、こんなの。人間界に行けるんだったら、オレ、どんなことでも我慢するんだって決めたから」
切った指をしゃぶりながらアズが言う。
『――町長、何かあったんですか?』
部屋の外から町長を案ずる声がするが、「なんでもない、なんでもないよ」と町長は言い返してアズを安心させる。
部屋から追い出されずにアズはホッとした。
「人間界にのう。さては、お主が例の問題児だな。ライから聞いておるぞ、人間界に行ったという生徒の話。しかも女の子と聞かされて、驚いたよ。結構、勇気があるんだな。ワシももっと若ければ、一度は行ってみたかったんだが、この歳ではのう……。で、人間界はどうだったんだ?」
町長のネルが興味深そうにアズに聞いた。
「人間というのは、みんな良いやつばかり、聞いていた話と全然違っていたぞ」
「ほう……」
「スイーツって言う、とっても甘い食べ物があるんだ」
「甘いもの? そんなのはどうでもいい」
甘党ではない町長には全く興味が無く、無下にあしらわれた。
「夜中でも昼のように明るく、24時間営業だったか、朝までお店が開いていて、煙突のように高い建物が一杯あって、もの凄い数の人間がいるんだ。みんな高価な服を着ていた。オレみたいな地味な服装じゃなく、色鮮やかな服、みんな結婚式でもするんじゃないかという服装だった。う~んと、あ、そうそう、噴水のような便器があるんだぞ」
何を言っているのか、町長にはさっぱり分からない。
「スマホという機械で、遠くにいる人とお話が出来るんだ。押したり引いたりするだけで水が出たり、雨のような温水が出てきて、泡が良く出る石鹸で、体が綺麗に、良い匂いがする。馬車とかじゃなく、自力で動く車が一杯あった」
話の内容をまとめられず、思い付いたことを言うものだから町長は困惑する。
「……例え話がズレているのか、お前の説明は、さっぱり分からん……で、煙突のような高い建物じゃと、数百年の間に、どんどん進んでいったんだな」
「うん、人間界は戸惑うばかり。でも、すっごく魅力的な町だったぞ」
「あと、酒はどうだ? 美味しい酒はあるんだろうな」
「オレ、お酒は飲まないから知らない。とっても甘い飲物はあったぞ。たしか、ジュースっていう、口の中でシュワシュワっとすると刺激のある飲物」
「おお、そうだったな。まだ子供だから」
「体はちっちゃいけど、オレ子供じゃないぞ」
子供呼ばわりされるのが嫌いなアズが言い返すと、
「そうだな、一人で人間界に行ったんだから、立派な大人だ」
自慢の髭をさすりながら、アズを見た。
「聞かされていた話と違って、人間は怖い生き物じゃなかった。特にスバルは思いやりがあり優しい人間、オレ、またスバルに会いたい、会いたいんだぁ」
「もう一度、人間界に行きたいか……」
と口ごもった町長が重い口を開いた。
「この世界は結界で守られているとはいえ、一つの地球の中にある。魔法界がもつのも、時間の問題だろう……」
そう町長が窓の外の景色を見ながら言って、アズの方に顔を向けると、更に続けた。
「昨今の天変地異は、この世界の終焉が近付いている証拠、早く人間界に移住しなければならん。頭の固いライには、それが分からんのだ。学問好きのライには、人間達が我々のご先祖様にした仕打ちが許せないのであろう」
「てんぺんちい? しゅうえん? なんだ、それ」
難しい話にアズが付いていけない。
「おお、そうだった。頭の悪いお前でも分かるように説明するとな、人間界との境界が崩壊し掛けているのだ。ご先祖様が悪しき人間から逃れるために、持てる全ての魔力を費やして築いた魔法界、その魔力が無くなり掛けている。どうやら人間界での環境破壊が影響しているのだろう。確か、温暖化、とか言っていたな。今、人間界では気候変動による海面上昇によって、綺麗な島がどんどん消えていているそうだ。この世界は、人間界と繋がっている、いわば運命共同体のような世界。長年のひずみに加え、温暖化の負の蓄積が限界に達しようとしているのであろう。近年の災害、異変はそのせいでもある。そもそも魔法界は、人間界の土台の上で成り立っている世界、真っ先に影響を受ける、もろい世界なのだよ」
「この世界が無くなるのか?」
不安そうにアズが聞く。
「ああ、そうだ。だからこそ、ワシらは人間界に行く必要があるのだ……。よし、人間界に行くことを許可しよう」
「オレ、人間界に行ってもいいんだな!」
大喜びのアズに町長が言った。
「喜ぶのはまだ早い。決めるのは校長であるライだからな」
「じゃあ、オレ、人間界には行けない……。校長先生はサリナ先生以上に人間を嫌っているんだもん」
と、急に落ち込むアズに、
「まずはライを説得せねばなるまいが、必ず行ける。いや、行かざるを得ない。何せ、ワシに秘策がある」
「ひさく?」
「けっこうな荒療治だがな」
と言って町長が笑みを見せた。
一通りの仕事を終えた町長は、アズと二人で移動用の馬車に乗って、校長のいる学校に向かった。
町長自ら校長室に乗り込んで嘆願する。
「実は、問題があってな」
と町長が言うと、懐に仕舞ってあった水晶玉を取り出した。
それは魔女の定番のアイテム。
「ほれ、これを見ろ」
机の上に水晶玉を置くと、校長とサリナ先生が見詰めた。
「この水晶玉は、代々、町長職に受け継がれる秘宝。災いがあると、事前に知らしてくれる優れものだ。百年に一度の大災害の時も知らしてくれてな、おかげで多くの命を救うことが出来た。その水晶玉がまた輝き出して、ワシに知らせてくれているのだ」
皆が注意深く水晶玉を覗き込んでいると、路地裏らしき映像が見えた。
石やレンガで整えられた道ではなく、アスファルトやコンクリートで隙間なく舗装された道。自動販売機も見える。明らかに魔法界とは別の世界であることが分かった。
「ここは、スバルのいるシブヤの町だ」
瞳を輝かしながらアズが言った。
その映像の場所は人間界のようで、アズには見覚えのある場所、渋谷の街だった。
「ほう、これが人間界の町か……」
校長が注視して水晶玉を見ていると、地面を黒い影が動いた。
街中を奇妙な黒い物体が動き回っている。
「あ、ゲジゲジ」
アズが言った。
黒い影が、それも何匹も這っている。
「あの特異な形状は魔法界の生き物。どうして人間界で生息しているのだ?」
校長が首を傾げて言うと、
「あのゲジゲジ、井戸の中にいたやつだな。きっとあの時、オレと一緒に人間界に行ったんだ」
「やれやれ、全くしょうがない問題児だな」と町長が言うと、「全く、お前という奴は……」と校長先生も同時に言った。
アズと一緒に人間界に紛れ込んだムカデが、残飯あさりをして増殖していたのだった。
責任者である校長が頭を抱えた。
「たかがムカデと侮ってはならぬ。問題なのは噛まれた後の感染症。人間界に放たれたムカデが突然変異し、どんな災いをもたらすか計り知れない。かつて人間界では、黒死病が蔓延したために多くの命が失われたそうだ。被害は未知数、どんな被害が出るか想像出来ない。何せ、人間には耐性が無いのだから」
町長がアズに脅しを掛ける。
「ど、どうしよう、オレのせいでみんなが死んでしまうなんて……」
「お前の責任だ。人間界に行って、一匹残らず処分してこい!」
と町長の芝居がかったセリフに、
「えっ! 人間界に行ってもいいのか!」
アズが応えるように言った。
「町長! アズを人間界に行かせては」
慌ててサリナ先生が引き留めようする。
「人間は、何も変わってはいない。平気で物を捨てるし、物を壊す。町を平気で汚す自己中心で卑しい奴ばかり。私はこの目で見て来たのです。野蛮な生き物の住む人間界にアズを一人で行かせては危険です」
「違うよ、先生! スバルは良いやつ、オレに優しく接してくれたんだ」
必死でアズは反論する。
「心配なら、先生も一緒に行ってもらおう。何せ唯一、人間界に行ったことのある経験者だからな。もっともな適任者だろう」
釣られるように校長が決断した。
「私ですか!」
「たった一人で人間界に行かせる訳にはいかぬだろう」
「はぁ……」
サリナ先生が大きく溜息を付く。
町長と目が合ったアズがにぃ~っと笑みを見せると、町長も二ィッと笑みを見せた。
「人間界へ行くのは年に一回と決まっている。それは、ワシらが行っても目立たないお祭りがあるからだ」
「ハロウィンだろう、町長さん」
鼻をすすり得意げにアズが言った。
「そう。だが、そう待ってはいられない。この世界の生き物が人間界の環境にいるとどう変化するのか分からないからな。もう、待ってはいられないのだ」
と町長が言うと、
「危険な人間界に行くのだから、秘密兵器を持って行くがよい」
校長先生も言った。
「秘密兵器?」
「そう、魔女本来の力が発揮出来る道具だ」
校長がアズに魔女の定番である道具を渡した。
黒いローブにとんがり帽子、そして空を飛ぶホウキ。マントは攻撃を防ぐための防御マント。それらは上級者に与えられる装備で、言わば魔女の七つ道具だった。
「これかぁ、スバルが言っていた魔法道具」
「あと、もう一つ、取って置きのものがある。付いて来るがよい」
アズが校長先生の後に付いて行くと、校舎の庭に出て来た。
「お前がこの学校に入学した時に皆と一緒に植えた木だ。地上の栄養を十分に吸い取った木は、聖なる木へと成長する。もう、こんなに立派に成長している。卒業式の後、各々がこの枝を折って記念とするものなのだが、魔力を増幅してくれる、言わば魔法の杖となるものだ。まだ卒業には早いが、その枝を持って行きたまえ。きっと役に立つ」
校長に言われた通り、何本も生えてある枝の中から、アズは一番長い枝を折った。
「これがムカデを倒す武器になるのか」
「ああそうだ。とんがり帽子は集中力を高め、扱えない魔法も思った通り使えるようになる。マントは攻撃を防ぐ盾となり、魔法の杖は一発で獲物を仕留める破壊力を持つ。だが、そのいかにも魔女である、という格好は目立ってしようがないな。人間の活動が収まる真夜中、人間達が寝静まる夜に行動を起こすのが良いだろう。子供のアズは寝るんじゃないぞ」
「オレ、子供じゃないし、一日中起きているぞ」
自信を持ってアズが言い返す。
「くれぐれも騒動を起こさぬようにな」
と町長が厳命し二人を送り出した。
人間界に行ける。そう思うと嬉しくて仕方がない。
はやる気持ちを押さえて、静かにアズは夜を待つ。
そしていよいよ、その時がきた――。
サリナ先生と共に、再びアズは古井戸から人間界に向かって飛び降りた。