3話 お腹一杯
空を飛ぶという、魔女にとっては激しい運動をしたのか、『グウ~~ッ』と音がした。
「お腹、へったなぁ~」
お腹を押さえながらアズが言った。
魔法を使うとエネルギーを消費するんだろう、俺を抱えて空を飛んだんだからなおさらだ、と昴は思った。
「貴重な体験が出来たんだし、おごってやるよ。そうだな、魔女には珍しい、回転寿司がいいな」
と気前よく昴が言った。
小さな体、そんなには食べないだろう。という甘い考えで。
ふと、戻るということは、ここから飛び降りるということだよな。見回しても看板から降りるハシゴが見当たらない。
また、飛ぶんだよな……。もし、飛べなかったら、確実に即死だよ。気が滅入る。
そんな昴の気持ちも知らず、アズは昴の手を引っ張るようにして強引に飛び降りた。
今度は水の中に飛び込んだように、浮いているような感覚。そして、ゆっくり落ちて行く。
顔を強張らせながらも、よし! と喜ぶ昴。だが、方向が定まらない。
「あの~、どこ向かってるんだい?」
か細い声で昴が聞く。
「オレ、操縦出来ないんだぁ」
そ、そうだろうな……。
二人は意思を持たない枯れ葉のようにフラフラと落ちて行く。
頼む、どうか人気の無い所に、無事に着地しますように、と昴は祈った。
二人は、深夜まで営業している回転寿司屋に入った。
ということは、二人は無事に着地出来た訳で、寿命が十年短くなったとばかりにアズを睨むが、そんな昴の視線に気付かない。
店内は意外と空いていたので、テーブル席にアズと向かい合わせで昴は座った。
「わあ~、くるくる回ってるぅ。どれも美味しそうだな」
興奮気味にアズが言った。
アズにとって初めて見る寿司、しかもアトラクションのように各種の寿司を載せた小皿が回っている。
出来たての美味しそうな寿司ネタが、回転レーンから次々と目の前に運ばれて来る。
アズがゴクリと生唾を飲んだ。
「どれも一皿百円なんだ、遠慮なく食えよ」
気前よく、タッチパネルでどんどん注文する。
箸が使えないアズは、手で寿司を取ると、昴に教えてもらった通り、特性ダシ醤油の入った小皿に、ちょんと付けてから口に入れる。
通な食べ方、と言うより、豪快な食いっぷりだ。
マグロやタイ、エビにタコ、色とりどりの寿司をアズは美味しそうに食べる。
どんどん皿が積み上がっていく。
その姿を嬉しそうに見ていた昴だったが、次第にその顔色が変わり始めた。
しかし、よく食うな、どんだけ食うんだよ……まるで大食い女王だよ、と思いながら財布の中をのぞいた。
ヤバイ! 足りない最悪だ――。
当然アズは、この世界のお金という物を持っていない。この場に頼る人間がいない。昴は焦った。
さすがに鈍いアズでも気付いたようで、アズの寿司をつかむ手が止まった。
「あ、ご免、オレ……」
そんな困った目で見詰められると怒る気もしない。そもそも、悪気はないんだから。
「気にすんな。金ヅルがいるんだ」
もう一人のバンド仲間、親友の松岡聖也に電話を掛ける。
『探したんだぞ、今どこにいるんだ?』
松岡が聞くと、
「俺、いや、俺達、回転寿司にいるから、来てくれないか」
と急かすように昴が言う。
『俺達? だって。お前、誰かと一緒にいるのか』
「おう! 探し求めていたボーカルが見付かったんだ。すぐに来てくれよ」
とお金に困っているとは言わず、用件だけ言ってすぐに電話を切った。
松岡はかなりのボンボン。お金に不自由しない身分で、何より松岡には大きな借りがあった。
程なくして松岡が彼女を連れて店の中に入って来た。
松岡は高級ブランド服を身に包んでいて、まさに芸能人のような出で立ちである。その横には、正統派アイドルのような綺麗な彼女がいた。
クラスは違うが同学年の松岡聖也。ギター担当。小学校からの付き合いで、親友でもある。彼の父親は昴の父親が経営するコンビニ本部、親会社である松岡ホールディングの社長で、彼はその次男坊。茶髪でお洒落番長、ちょっとした人気物である。
その松岡の彼女は、昴と同じクラスの宮崎夕子。キーボードの担当をしている。
彼女と結ばせたのが昴で、大いに感謝されたものだった。
宮崎夕子は学校のマドンナ的存在で、昴も密かに慕っていたのだが、友情に厚い昴はあえてそれを言わず、愛のキューピットに徹した。
一度も付き合ったことのない昴だったが、自分ではなく間接的だから、思い切って言えたかも知れない――。
「あの、付き合って欲しいんだけど」
と昴が勇気を出して宮崎さんに声を掛けると、
「ええ、いいわよ」
と、意外過ぎるほど、あっさり宮崎さんは答えた。
美人過ぎりあまり、誰も宮崎さには声を掛けられない。男にとって美人への告白はかなりハードルが高く、相手にされないのはもちろんのこと、あんな美人と付き合えるはずない、と周りから馬鹿にされるのが落ちだから、誰も言い寄らない。
一方の宮崎さん自身、自分から告白するタイプではないので、これまでの人生を損してきたに違いない。宮崎さんもまた、誰とも付き合ったことが無い一人だったのだ。
「俺じゃないんだけど」
と半ば後ろ髪引かれる思いで昴が言いうと、
「……そう、松本君じゃないんだ」
宮崎さんが残念そうなそぶりを見せた。
――今の仕草、脈ありだったんじゃ……それって、付き合えたってこと、だよな。
逃がした魚は大きく、後悔の念は積もるばかり。
まあ、いいか、愛情じゃなく、友情に徹しよう、と自分に言い聞かせて諦めるしかない。
「隣のクラスの松岡聖也。小学時代からの親友なんだ」
「君達って、バンドしているんだよね。前々から興味があったんだけれど、声を掛けられなくって」
宮崎さんも勇気を出して言ってくれた。
――こうして松岡は、二人を結び付けた昴には強い恩を感じていたのだった。
宮崎さんがアズの横に座った。
相変わらず綺麗だな、宮崎さん――。と思わず昴が見入ってしまう。
宮崎さんを目の前にすると、未だに尾を引いているんだと実感する。
引きずっている自分に、駄目だ駄目だと言い聞かせ、昴は平静を装った。
そんな宮崎さんがアズを見るなり、
「私は宮崎夕子、宜しくね」
と親切に挨拶する。
「ユウコって言うのか。オレ、アズ」
「おれ? ……そう、アズって言うのか、俺は、松岡、松岡聖也だ」
「セイヤか、よろしく」
そう言ってアズが二人を交互に見ながら笑みを見せる。
そんなアズを昴が見て、思わず宮崎さんと見比べた。
見た目が可愛いぐらいで、全く女らしさしい所が見当たらない。月とスッポンだよな、と、何故がガックリする昴だった。
「おい、小学生はまずいだろう。いくらハロウィンに間に合わせようと焦っていたからって、小学生に手を出しちゃ……」
まるで犯罪者を見る目で、引き気味の松岡が言った。
「そうよ。もちろん、私達は黙っているけれど、学校関係者に見付かったら、即退学になっちゃうわよ」
と宮崎さんも心配する。
当のアズには、付き合っている、意味すら知らない様子。
「違うってば。いくらモテないからって、小学生に手を出すかよ」
そんな目で見られているのかとショックを受けるが、アズを見ると無理はない。
昴が慌てて言った。
「こうみえても中坊、中三なんだ」
「へぇ~、でも、中学生も、まずいだろう……」
と言ってアズを見た松岡が、
「あ! この子、見たぞ」
「お前知っているのか? どこで会ったんだ」
「知っているも何も、ほら、これ」
とスマホの画面を昴に見せた。
動画を再生させる。ついさっき、『SHIBUYA109』の看板上で撮影した動画が流れていた。
早くもネットで話題になっている。デビュー前のPV、音楽向けの広告動画のデモンストレーションだと騒がれているようだ。
「こいつ、良い声してるから、俺達、サンダーのボーカルにどうかなって」
「そうだよな、あの吉川さんが『サンダー』のボーカルじゃ、イマイチだと思ってたんだ。アズちゃんの美声だったら、メジャーデビュも夢じゃないぞ。でもな、それはこっちの都合であって、彼女の方はどうなんだ? 俺達もそうだけど、中学生が出歩く時間じゃないだろう。早く家に送ってやらないと」
「それが……こいつ、帰る家が無いんだ」
「まさか、家出か? その弱みに付け込んで――」
「馬鹿言うな。そこまでして付き合う価値があるか?」
それぞれがアズを見る。
「それは、ないよな」
と松岡が呟く。
即座に宮崎さんが言い過ぎよっ、と小声で叱った。
当のアズは、自分には関係ないとばかりに、寿司を頬張っている。
「違うってば……言っても信じられないけど、こいつ、魔女なんだ」
「魔女ぉ!」「うっそぉ!」
店内に声が響き渡る。
「馬鹿! 大声を出すな。シーーッ」
昴が慌てて人差し指を口に押えた。
魔女と言ったら、人々を襲う恐ろしい妖怪のようなもの。二人はポカーンとアズを見詰め、それに気付いた昴が言った。
「こいつは魔女というより、単なる魔法使い、って言葉が似合うだろ。俺も最初は信じられなかったんだ。おい、いつまで食ってんだよ。二人に魔法、お前の魔法を見せてやれよ」
「あ、うん。分かった」
昴にうながされ、禁断の魔法を披露することに。
アズが目の前の皿を浮かそうと念を込める。
すると一瞬で店内が真っ暗になった。
アズの魔法によって電気が遮断されたのだ。
真っ暗になり店内がざわつく。
「マジか! ちょっとした魔法でいいのに、電気はまずいだろう。早く元に戻せよ」
松岡が慌てて昴に言った。
「オレ、戻し方、知らないんだぁ」
「こいつ、不慣れで」
「……不慣れって?」
「まだ慣れてないんだよ。まだ慣れてないのに、そのくせ、魔法力は大きいんだ」
「魔力が強くて不慣れって、それ、一番危険じゃないのか」
「そうなんだよ」
「初めて魔法というものを見た。魔法とは、念力に近いものなんだな」
松岡が感心すると、
「アズちゃんが、魔法使いね……あ、だから、人が入れない109の屋上にいたんだ」
と宮崎さんも頷いた。
程なく電気が回復、店内が明るくなる。
何事もなかったように回転レーンが回り始めた。
「ふーーっ。やれやれ、マンガとかに出てくる魔女とはずいぶん違うな、アズちゃんは」
「こいつ、スイーツ欲しさに、この世界んに来たんだって」
アズの食欲ぶりに松岡と宮崎さんは納得。
回転寿司にもデザートがあり、昴がタッチパネルで注文しょうとするが、
「スイーツ食べたさにわざわざ来たんだから、そんな安物じゃなく、本場の、高価なものを食わせてやるよ。この近くに、親父の系列会社が経営する洋菓子店があったな」
「おお、あったあった。確か、今日は特別な日だから、遅くまで開いているんだろ。帰りに寄って、買って帰ろう。もちろん、お前のおごりで。妹の分も持って帰りたいんだ」
「ところで、吉川クンは?」
すっかり吉川先輩の存在を忘れていた。
「もとはと言えば、音楽活動の一環だろう。その言い出しっぺの吉川クンは、一体どこにいるんだ?」
「ナンパだよ。ナース姿のコスプレOL集団に、『俺、病気なんですぅ~』って言って、一緒に付いて行ったよ」
「吉川クンは相変わらずだな」
「ほんと、女子高からOLまで、見境がないんだからな」
「今は、進学とか就職を考えないといけない時期じゃないの」
と宮崎さんが案じると、
「吉川クンの場合、卒業も怪しいんじゃないかな」
呆れる昴に、松岡と宮崎さんが笑った。
回転寿司を出て、四人は洋菓子店に寄った。
「あら、坊ちゃん」
と女性店員がオーナーの息子である松岡を見るなり声を掛ける。
「その、坊ちゃんって呼び方、止めてよ……」
気恥かしさに松岡が頭を掻いた。
ショーケースにはいろんな種類のケーキが並んでいる。
「あれ、なんだ? ケーキの上にウンチが載っているぞ」
モンブランケーキを見たアズが不思議そうに昴に聞くが、即座に、
「馬鹿! 女の子がウンチって言うな」
慌てて昴が言う。
「だってほらぁ、渦がまいているウンチだろう。それに、固そうなウンコも載ってるしぃ」
「女の子が、人前でウンチとかウンコとか言うな」
二人のやり取りにクスッと店員に笑われた。
「ほら、笑われただろ。全く、お前、なんにも知らないんだな。あれは栗を原料にしたマロンクリームなんだ。固いのは、そのまんまの栗。どんだけ田舎もんだよ……」
呆れた昴が愚痴をこぼす。
「もしアズちゃんがカレーを見たら、なんて言うのかな」
松岡の意地悪い質問。
「それ、リアル過ぎるだろう。これ以上、こいつに下品なこと言わせるなよ」
と昴が釘を刺す。
ツンツンとアズが昴の服を引っ張る。
「あの女の人がスイーツを作っているのか?」
不意にアズが聞く。
「作れない訳はないけど、店の奥にいるパティシエっていう美人の職人さんが作っているんだよ」
「パティシエ?」
「そう、パティシエ。スイーツを作る専門の職人さんだよ。お前と違って、女らしい職人さんだ」
「スイーツ職人、パティシエって、女らしくならないといけないのか?」
「そうじゃないけど、お前みたいな下品な奴には無理だよ。一般的な常識とマナー、それに、お客に対しての気配りや教養なんかも身に付けないとな。要は、品のある女性になることだ」
クスクス、とまた店員さんに笑われた。
「あのぅ、妹さん? じゃあ、ないわよね。彼女さんですよね」
店員が昴とアズを交互に見ながら言うと、
「か、彼女! そんなんじゃないですよ、つい、さっき会ったばかりだから」
「つい、さっき?……」
店員が不思議そうに首をかしげたが、それ以上聞こうとはしなかった。
洋菓子店を出ると、昴が松岡に耳打ちする。
「この後、宮崎さんをどうするんだよ?」
羨ましそうに昴が聞くと、
「何もしないよ。何もしない。ていうか、何も出来ないよ。俺達付き合ったばかりで、今が一番大事な時期なんだからさ。だから、家まで送って行くだけだから」
と嬉しそうに言う。
「その辺は、しっかり考えているんだな。努力して二人を結ばせた甲斐があったよ」
「ああ、お前には感謝しているよ。また何かあったら遠慮なく言ってくれよな。力になるから。で、そっちはどうなんだ? アズちゃん帰る家が無いから、お前ん家で泊まるんだろう。襲そったりするなよ」
「そんなことするか。第一、女として見ていないから」
「お前、酷いこと言うな……」
「なんだ? 二人して何楽しんでいるんだよ」
とアズが昴の方に歩み寄る。
「なんでもない、なんでもないよ。さあ、帰るぞ」
「帰るって? もうどこへも行かないのか」
「中坊が、ウロウロしていい時間じゃないんだよ」
「つまんないなぁ」
急に落ち込むアズ。
「俺達は学校があるんだよ。どうせ、吉川クンは休みだろうけどな」
「じゃあ、部活は休みだな。この分じゃ、授業にも身が入らない。いっそ、休もうかな」
松岡が嬉しそうに言った。
「もう、二人とも、休まないでよね」
と宮崎さんが釘を刺す。
「じゃあな」「また、明日ね」と松岡と宮崎さんが言うと、「バイバイ」「さよなら」と昴とアズが手を振って、二人と別れた。
お祭りのハロウィンから帰宅した昴。
「お、凄いな」
一戸建ての家を見て羨ましそうにアズが言った。
「羨ましがれるほどのもんじゃないよ、小さい方。よくウサギ小屋って揶揄されているからな」
「それでも、スバルの家だろう」
「俺の家じゃないよ。建て替えたばかりだから、かなりのローンが残っていて、あと、学費とかもあるからさ、父さんや母さんが苦労しているんだ。都会に住んでいると、見栄や世間体を気にして無理しちゃうんだよな。いっそ、自給自足の出来る田舎の方で暮らしてみたいとさえ思うこともある。あ、妹がいるけど、父さんは夜勤で母さんは入院中だから、気を遣わなくていいぞ」
「妹がいるのか?」
「ああ、小三の妹、麻耶がな。自閉症って言う、心の病なんだ。女の子同士、遊び相手になってくれよ」
「うん、分かった」
二人が玄関に入ると直ぐ、
「お兄ちゃん!」
と小さな妹の麻耶が眠たそうに目を擦りながら出迎えた。
「だれ? このお姉ちゃん」
「オレ、アズ。よろしくな」
「アズの、お姉ちゃんね」
違和感のないアズ。
まるで友達のような存在に映っているのだろう、自らアズの手を握って居間の方へと案内する。
「麻耶、ケーキ買って来たぞ。一緒に食べよう」
と昴が言ってテーブルの上に置いた。
ショートケーキにモンブラン、チョコレートケーキにチーズケーキの四つのケーキを見て大喜びの麻耶。
「――こ、これが、これが噂のスイーツ、一体どんな味がするんだろう……」
アズも興味の眼差しを向ける。
「どれか好きなのを取れよ」
昴にうながされ、「うぅ~~~ん」
と、かなり迷った末、選んだのが真っ赤な苺が載ったショートケーキ。一番目立っていて食欲をそそる。
アズがケーキを手に取って口に入れる。
「おいおい、素手で食べるなよ。フォークがあるんだからさ」
昴の注意をよそに、
「おいしいぃ~! すっごく甘くて美味しいぞ、スバル」
手に付いたクリームをペロペロと舐めながら、
「こんなに甘い食べ物がこの世の中にあるのか……オレの町のお菓子は、牛の乳から作ったチーズしかないからな」
あまりの美味しさに、大きい瞳をさらに見開きながら興奮気味に言った。
究極の旨みがギュッと詰まったショートケーキ。フワフワとした甘いクリームにサクサクの生地の食感、ザクッと甘い苺の香りが口の中で広がった。
実に美味しい。アズは至福の時を味わった。
感動したアズが勢い良くショートケーキを食べて、そしてもう一個のチョコレートケーキを取ってほおばった。が、二人の視線に、慌てて口に含んだケーキを手に吐き出した。
「きったないな~、子供かよ」
と昴が突っ込みを入れる。
「普通、食ったもんを人前で戻すかぁ、そんなに欲しいんなら、それ、全部食えよ。あと、俺の分もやるから」
「あ、ありがとう、スバル」
「ケーキ食べたさに、人間界に来たんだろう、遠慮することないからな」
目の前に出されたケーキを見ると我慢出来ないのも無理はない。
そう思う一方で、あれだけ食った後で、まだ食欲があるんだな、と呆れる。
それでも、無邪気にスイーツを頬張り、美味しそうにモグモグと食べる姿を見ていると、こっちまで嬉しくなる。
念願のケーキを食べて満足したアズが、ふと、居間の隅に飾ってあるエレキギターを見て、
「なんの楽器?」
と興味深そうに聞いてきた。
「エレキギターだよ。弦を引いて鳴らす管楽器」
「オレの町にも、似たようなものがあるぞ」
そう言ってアズがエレキギターを手に持って弦を振る。
何故か音が鳴った――。
「電源が無いのに、エレキギターの音が……」
アンプに繋いでいないのに音が出る。
まあ、魔法が使えるんだから不思議じゃないよな、でも、夜中にこの音は近所迷惑だ。
そう思った昴がギターを取り上げながら、
「不器用そうなのに、ギターが弾けるんだな、意外だ」
アズの顔を見ながら言った。
「楽器の原理はどれも同じだよ、少しぐらいならなんでも弾けるぞ」
アズ唯一の特技のようで、自信満々で言うが、
「まあ、向こうにテレビゲームなんて無いからな、管楽器、音楽だけが唯一の娯楽だろうから、アズにも出来るんだろう」
アズにも、と小馬鹿にされるもアズは気にしない。
基本、能天気なのだろう。
お風呂が沸き、母親代わりの昴が着替えを用意する。
「アズの服、洗濯しておくから、脱いだらこの中に全部入れておくんだぞ」
と、ドラム式洗濯機のふたを開けて、その中を差しながら昴が説明する。
「洗濯って、手で洗うんじゃなのか?」
「ああ、この洗濯機が、洗濯から乾燥まで、全自動でやってくれるんだ。2時間ぐらいで乾くぞ」
「そうなのか? 洗濯は、洗ったり干したりと、時間が掛るものなのに……」
信じられない様子でアズがドラム式洗濯機を見た。
「下着は麻耶のでいいだろう」
と言いながらアズの胸の辺りを見て、ブラの必要はなさそうだなと、スバルは思い、
「麻耶の大きめのTシャツがあるから、上着として着るんだぞ。俺は後から入るから、早く入ってしまえ」
麻耶とアズに催促するも、
「スバル、オレこの世界のお風呂の入り方、知らないんだぁ。だから、一緒に入ろう。楽しいしな」
嬉しそうにアズが言う。
「一緒に風呂に入るって、お前、この状況、分かっているのか? 別々に決まってるだろうが」
「なぁんだ、一緒に入って、見せ合いっこしょうと思ったのにな」
「見せ合いっこだぁ、あのな、年頃の女が言うことかよ。よくもまあ、恥じることなく言えるよな。お前には、女としての自覚は無いのか?」
もっと、異性を気にしろよ、と呆れる一方、俺、男なんだぞ、少し傷付く昴だった。
アズと一緒に入る訳にもいかず、
「このおねえちゃん、シャワーの使い方知らないから、一緒に入るんだぞ」
麻耶に言った後、
「お前の髪はパサついているから、ちゃんとリンスも使うんだぞ」
とアズにも言った。
アズは麻耶と一緒にお風呂に入った。
浴室の中から楽しそうな声が聞こえる。
大はしゃぎして、すっかり打ち解けている様子。入院中の母親がいない間、寂しい思いをしていた麻耶にとって、アズは母親代わりなのだろう、甘えたい年頃かもしれないな。自然と昴の頬が緩んだ。
「おぉーい、もう出たか? ドライヤーで髪乾かせてやるから、入っていいか」
昴がドア越しに聞くと、「おう」とアズが返事する。
昴が脱衣所の中に入って、驚いた。
パンツ姿の上半身裸状態だったのだ。
「馬鹿! 隠せ、ちゃんとシャツ着ろよ。なんで年上のお前だけがパンツ一丁なんだよ」
慌てて目を逸らす。
幸い、湯気で見えなかったから良かったものの、この状況、マズいだろう。一応、思春期真っただ中の中学生なんだぞ、普通、会ったばかりの男に見せるか?
脱衣かごに乗っているTシャツを投げ付けると、後に向きながらアズに言った。
「いくら胸が出てないからって、ちゃんと隠せよ。どんな神経してんだよ」
「男だって胸ぐらいはあるだろ、スバルと同じだよ。気持ち良かったぞ、な、マヤ」
麻耶も楽しそうに頷く。
「いいから、早くシャツ着ろよ!」
「はあーい」
と素直に返事し、言われた通りにアズはTシャツを着た。
麻耶にとっては大きめのTシャツだが、アズが着ると、ちょっと小さい。
でも、こいつ、野山を駆け巡っているせいなのか、アスリート体系だな。なかなか似合っているじゃないか。不覚にも見入ってしまった。
まあ、本人が気にしてないんだから、セーフだよな。
「このパンツ、伸びるんだな。布が伸びるなんて、魔法が掛っているみたいだ」
伸縮性のある小学生用の下着、魔法界には無い珍しい物のようで、スバルの目の前で引っ張って見せた。
「そんなに引っ張ったら、大事なところが見えるだろ!」
麻耶は子供だから仕方ないとして、アズは中学生、少しは気にしろよ。こっちが気を遣うだろうが……。
「親からもらった大事な体、もっと大切にしろよな」
昴が親の身になって忠告する。
「オレ、親はいないんだぁ」
「親がいないって、どういうことだよ」
「オレの学校の生徒は、みんな親がいないんだよ」
「……そうか、お前、孤児なんだな……寂しくはないのか?」
「校長先生が親代わり。先生とは姉妹のように仲が良いから、寂しくはないよ」
とアズが言って、にぃ~っと笑う。
見た目と違って、こいつ、しっかりしているんだな。少しアズを見る目が変わった。
びしょびしょに濡れたアズと麻耶の髪を乾かそうとドライヤーを当てる。
「あ、はは、くすぐったいよぉ~」
言いながらアズが暴れる。
「おい、じっとしていろよ」
昴が注意するも言うことを聞かない。
案の定、髪が変な形に乾いてしまった。
それでも、全くアズは気にしない。むしろ、角が生えたと無邪気に笑っている。
そこ、笑うとこか? 女らしさが微塵も無い。色気もあったもんじゃないな。
次は歯磨き。
「甘い物食ったら、虫歯になるからな」
三人並んで一緒に歯を磨く。
洗面台の大型一面鏡に映った三人の姿を見て、まるで妹が一人で来たみたいだな、としみじみ昴は思った。
「スバル、一緒に寝るのか?」
『ウッ――』
思わず白い泡を吹き出す。
「お兄ちゃん、きったなぁい」
「馬鹿、誰が一緒に寝るか! 俺は自分の部屋で寝るよ」
「なぁんだ、スバルも一緒に寝れば良いのに。夜遊びは楽しいぞ」
まったく、警戒心の無い奴だ。
女の子としての教養を受けていないのか? と疑問に思う。
母さんのパジャマ。やっぱり、小柄なアズには大き過ぎてダボダボだ。
昴が麻耶の部屋一面に、来客用の布団セットを敷き、ふかふかの布団に麻耶と一緒にアズが潜り込む。
自分の家にいながら、修学旅行の一場面を見ているように、こっちまで楽しくなる。いや、楽しくさせてくれるんだ。
「良いなぁ、人間界って便利なものが一杯あって。夜でも昼のように明るいから、全然眠たくないよ」
「こっちからしたら、魔法が使える魔法使いの方が凄いだろう。なんでも出来るんだぜ」
「魔法を自由に扱えるのは、ほんの一握りの上位者だけなんだ。でも、この世界は魔法なんかに頼らなくても、空を飛べたり、早く走ったりする乗り物があるだろう。身の回りの全てが、便利な物で一杯じゃないか。羨ましいよ」
「世の中、便利になったのはいいが、一方で困っている人が沢山いるんだぞ。そんな不安定な土台の上で、社会は成り立っている」
「その困っている人って、スバルなのか? 怒ったりとか、しないのか」
「そりゃあ、不正不満はあるよ。でも、文句を言ったところで何も変わんないし、動いてなきゃあ、生きていけないからな」
「ふぅ~ん、オレの町も、みんな貧しくて、それが当たり前だったから、そんなの気にしたことなかったな……オレ、ずっとこっちにいてもいいか?」
不意にアズが聞く。
「ずっといたいって……馬鹿なこと言いうな、そのうち迎えに来るだろう。もう、遅いから、二人とも早く寝ろよ」
麻耶の部屋を出ると、シャワーを浴びるために浴室に向かった。
そんな昴の後を追うように、麻耶が浴室に入って来た。
「どうした?」
「アズのお姉ちゃんって、魔法使い?」
不思議そうな顔で麻耶が言った。
「――あいつ……」
慌てて麻耶の部屋に入った。
「お、スバル、一緒に寝るのか」
「違う! 言い忘れたことがあったから」
そう言って、昴がアズの肩に両手を乗せ、麻耶に聞こえないよう小声で言った。
「いいか、アズ、魔法を使っちゃ駄目だぞ。魔法界ならともかく、こっちじゃ大騒ぎになる。この世界にいられなくなるんだ」
アズに言い聞かせる。
「この世界にいれなくなるんだな。うん、分かった。約束するよ」
アズの言葉を聞き、昴は振り返ると麻耶にも言い聞かせた。
「このお姉ちゃんは、マジシャンなんだ。今、手品の勉強をしているんだ」
「そうか、あれ、手品なんだね」
と、納得した麻耶。
いくら仲良くなったとはいえ、アズが魔女だと知れば恐れて近寄らなくなるだろう。その言葉を聞き昴は胸を撫で下ろす。
「二人とも、もう寝ろよ」
強制的に電気を切って、昴は部屋を出た。
シャワーを浴びた昴が、そぉーっと麻耶の部屋に入ると、アズがスヤスヤと眠っていた。
魔法で体力を消耗しているのか、実に寝付きが速い。
魔法界に帰れないのに、悩み事なんか無いように無邪気に眠っている。
こんな小さな体なのに、空を飛ぶ魔法を使ったり、一人でこの世界に来たりと、一体、この体のどこからそんな勇気が出てくるのか不思議でならない。
こんなあどけない寝顔を見ていると、アズが魔女には見えず、単なる女の子にしか見えなかった。
はだけた布団を直しながら、まあ無理もない。色んなことがあったからな~、無邪気に眠っているアズを見詰めた。
すると、「むにゃむにゃ」アズの寝言。
「むにゃむにゃ、もう、お腹一杯、スバルぅ、もう、食べれないよぉ~」
と寝言を言っている。
「こいつ、寝てる時も、食べる夢を見てるんだな」
と呆れる昴。
麻耶と顔を見合わせて、一緒に笑った。
あまり笑わない麻耶がよく笑うようになった。
すっかり打ち解けアズになついている。
やっぱり、女の子同士だと麻耶も心を開いてくれるんだろうな……。
「ねえ、お兄ちゃん。アズのお姉ちゃん、ずっといてくれればいいのにね」
「そうだな……」
昴も、心からそう思う。
不幸続きの松本家にとって、アズは天から舞い降りた天使。幸福をもたらす存在のように思えたのだった。