2話 ハロウィン
若者の街、流行の発信地として知られる渋谷は、山手線のターミナル駅を中心に繁華街が形成されている。
コンビニエンスストアでバイト中の神宮南高等学校2年、松本昴・17歳は、時計を気にしていた。
コンビニバイトはシフトの融通が利きやすいため、時間の制限が限られる学生の昴にとっては魅力的なバイトである。といっても、父親がコンビニの店主であるため、手伝いをしているという訳だ。
昴は高校の軽音楽部に所属していて、部活優位一のバンドである。名前は『サンダー』と呼ぶイカした名前だが、かなり名前負けしている感は否めない。
当然、女の子にモテたくて始めた軽音楽部。正式な部活ではなく同好会に過ぎないが、大都会渋谷の街は芸能人とも接する機会が多く、芸能界が身近な存在として感じられるため、いつか自分達の音楽でメジャーデビューを、と夢見て部活動に励んでいた。
昴はギター担当で、作詞を行っているが、イマイチ良い詞が書けない。スランプ状態だと自分では言っているが、そもそもその言葉は頂点を極めた者が言う言葉であって、その資格は無いのだが。
そんな昴は不機嫌な顔をしていた。
ハロウィンはバンドをするうえで刺激になり、新しい詞が生まれる。メンバーと一緒に出掛けることになっていたのだが、約束の時間になっても引き継ぎのバイトが来ないのだ。
「――えっ! 引き継ぎが遅れるって」
「仕方ないだろう、もう少しいてくれよ。これから忙しくなるんだから」
と店主である父親の嘆願。
どうせ仮病だろう、なんたって今日はハロウィンだから……きっと休むんじゃないのか? そう思うも、断れない。
「おーい昴、迎えに来たぞー」
仲間がコンビニに来てくれた。
迎えに来たメンバー、いっこ上の先輩で近所に住む幼なじみの吉川貴志。吉川クンと呼ぶ彼は、軽音楽部の部長でもある。音楽センスはあり、良い曲をつくるのだが、何せチャラい男。担当はドラム。背が高く、見た目がキツいので、よく不良達にからまれるそうで、そのせいもあって常に伊達メガネを掛けている。顔に似合わず、良い曲を作るので、昴の詞と、吉川クンの曲で世界を目指そう、とよく語りあったものだった。
金髪でナルシスト、ちょっと引くところがあるのだが、真っ直ぐな性格で後輩思いの良い先輩なのだ。
「ご免、吉川クン。引き継ぎが遅くなるって、俺。一緒に行けなくなったんだ」
「そうか、仕事じゃあ仕方ないな、後で落ち合おう」
と言って吉川先輩は出て行った。
商品を載せたトラックが着くと、急いで店内へと運ぶ。
雑誌や菓子、乳飲料やパンなどを整理し、それぞれの棚に並べる。カップラーメンなどの商品を梱包していた段ボールなどの、ゴミの片付けも昴の仕事だ。
「おい昴、駐車場の隅に置いてある段ボール、邪魔になるから片付けしておいてくれ」
父親にうながされ、「チェッ」と舌打ちしつつも、仕方なく昴は駐車場に出て行った。
嫌々ながらも昴は、無造作に置かれている段ボールを片付ける。
時折、繁華街の方から聞こえるお祭り騒ぎの声が、羨ましい。
仲間と一緒に馬鹿騒ぎしたいと計画していたのだが、こんな日に限って引き継ぎが遅れるなんて……。
食品の管理は厳しく、時間が過ぎた物は廃棄しなければならない決まりになっている。
賞味期限になった弁当の処分も仕事の一つだ。レジでする簡単な仕事だけではなく、意外と肉体労働を伴った大変な仕事。
ましてや24時間・365日、必ず誰かがシフトに入っていなければならず、経営する父親もスタッフのやり繰りで苦労が絶えず、店内倉庫での仮眠も日常的で、夜も昼も働きっぱなし。労働時間は過労死ラインを遥かに超えている。そのせいもあって、母親が過労のために入院したのだから。
店舗脇の駐車スペースの前には巨大なゴミ箱用の倉庫が設置されていて、そこにひとまずゴミを溜めているのだが、店舗から出たごみが回収されるのは週に2回程度。多くのゴミに加えて、賞味期限になった弁当もかなり多い。
ゴミを保管する倉庫からあふれ出る姿。食べ物を粗末にする食品ロスの光景を見るのを、昴はもう、うんざりしていた。
山積みにされた商品の空の段ボールを背にして、売れ残った食料品の片付けをしていると、
「わぁーーーーーーーーー!」というけたたましい声が聞こえたと思うと、『ドサッ』という物音と同時に『ぎゃっ!』という悲鳴が聞こえた。
――なんだ! 空から何かが落ちて来たぞ。
空を見上げながら、昴は声がした方に近付いた。
無造作に積み重なれた段ボールの中から「いてててぇ~」
段ボールの中から一人の少女が出て来た。
彼女がむくりと起き上がると、身長は140センチそこそこの小柄な体。茶色の質素なワンピースで、魔女のコスプレ? をした少女だった。
童顔でふっくらとした顔立ち。ふっくらと言っても別に太っている訳ではなく、丸顔だからふっくらして見えるのだ。そこが子供っぽく、可愛らしさを強調している。
瞳が青い――。
魔女の出身は、確かヨーロッパ、それを意識して青色のコンタクトを付けているのか……。
10月31日のハロウィンの日、松本昴は得体の知れない謎の少女と出会った。
「お前、誰だよ」
魔女の格好をした少女に昴が声を掛ける。
すると少女は酷く恐れたように後退りしながら、
「お、お前は人間だな……」
「人間? はぁ、そんな芝居はいいんだよ、こんな状況で魔女の役をやらなくても」
昴は少女が落ちて来た空を見上げた。
高層ビルが立ち並ぶ渋谷の街。
「……ひょとして、おまえ、自殺を図ったんだろう」
「オレ、魔女……」
オレ? 方言か? 東北地方の、方言のキツい田舎から来たのかといぶかしながらも、言葉遣いが悪い。 ハハッ、きっと、かなりの田舎もんだな、と心の中で昴は馬鹿にしたように笑う。
「魔女だなんて、死に掛けた人間が芝居しなくていいんだよ」
一応、魔女のコスプレなんだろうけど、何か違うな。
寒いのに素足で、サンダルのような皮ひもで巻いた質素な靴。ただ、みすぼらしいだけの衣装。これが魔女のコスプレ? まあ、誰にも迷惑は掛けてないんだし、本人がその気になっていれば良いんだから。でもなあ、やっぱりこいつ、ズレてるよ、と呆れる昴がアズを見詰めた。
――あ、まずい! 魔女と知られたら殺されるんだった。でも、こいつ、意外と良いやつそう。
アズも昴の顔を見ていると、
「おまえ、あれだろ」
ハッとしてアズは顔をそむける。
「お前、一人で家出して来たんだろう。かなりの田舎から来たのか、相当ズレてるぞ」
「オレは魔女だって。正真正銘の魔女なんだ。魔法と言っても、空を飛べるくらいだけど」
「空を……本当か? 俺を馬鹿にしているんだろう」
きっとそうだ。お前、飛べるどころか、空から落ちて来たんだろう、と突っ込みたくなる。
「嘘なんか、付くもんか」
なかば意地になってアズが言うが、昴に信じられるはずがない。
せっかくの祭り、ここは彼女の芝居に付き合おうか、と昴もアズに会わせる。
「そうだ、名前は? 名前はなんて言うんだ」
「アズ、アズだよ」
と言ったアズが、今度は昴の顔を見詰める。
「ん? ああ、俺か。昴、松本昴だ」
「スバル、って言うのか」
にぃ~っとアズが笑う。
聞いていた話とは違って襲ったりしない。
優しそうな人間にホッとし、親しみが湧いてくるのだった。
「魔女って、ホウキで空を飛ぶんだったよな」
あくまでも魔女と言い張るアズに合わせて昴が聞くと、
「ホウキ? そんなもの使わないって。第一、カッコ悪いだろう」
現実らしい話が返ってくる。
「魔女って恐ろしいイメージだけど、お前を見ていると、単に魔法が使える魔法使いっていう言葉がお似合いだよな」
アズを見ているとそう思えてくる。
「今、何してたんだ?」
アズが興味本意で昴に近付いた。
「賞味期限が切れた弁当やおにぎりを処分しているんだよ」
「これ、全部捨てるのか? まだ食べられるのに、もったいないなぁ」
アズが愚痴るも、
「廃棄弁当は本部との取り決めで、お客に渡しちゃならないんだよ」
廃棄商品は必ず処分すること、といった規定により、当然客に渡すことは出来ない。
「仕方ないよ、規則なんだから。賞味期限切れ食品を善意で渡して、そこで食中毒が発生すれば食品衛生上、オーナーであるうちの親父が責任を問われる。客が店を訴えたら営業停止になり、売り上げや評判が落ち…だったら、捨てたほうがマシってなるだろ」
「ふう~ん」
分かったようで分からない返事をアズがする。
「オレの住む町では、食べ物は貴重なものなんだぁ。豚や牛に鳥の大切な命をいただいているから、一片のお肉も無駄に出来ない。だから粗末にすると、もの凄く怒られるんだけどなぁ」
ふぅ~ん。かなりの山奥か、不便な離島で暮らしているんだろう。だから、嫌気がさして家出を……。可哀想な奴だ。俺が守ってやらないとな。
「それ、昔聞いた話だな。今はどれだけ生産して、どれだけ消費するか、その中で多くの利益を得る。だからこんな無駄な、食べ物のゴミが溢れてしまうんだ」
「食べる分だけ作ればいいのに、もったいないなぁ」
「ほんと、俺もそう思う。いつか、そのしっぺ返しがくる気がするよ」
21時を過ぎたころ、やっと引き継ぎのバイトが来た。
休みでなくて良かった、と昴はホッと胸を撫で下ろす。
自称・魔女、家出の少女? を連れて昴は友達に会うべく街中へと急いだ。
ハロウィンのメーン会場というべきスクランブル交差点に。
「わぁ~! オレとおんなじ魔女がいるぞ。それに、妖怪やお化けが沢山いる」
と仮装した若者達に興味津久のアズ。
離れないように昴の後ろにしっかり付いて行く。
人混みを進んで行くと、
「お、昴! こっちだ」
昴を見付けた吉川先輩が声を掛けた。
しかし、人の流れに押され、立ち止まることが出来ない。人の群れに押し流されてどんどん離されて行く。
その時だった――。
「君! そこの君達」
見周りの警察官に呼び止められた。
――君 たち? あ、そうか、後ろの家出少女。マズイいな!
対象は付きそうアズ。どう見ても同じ高校生には見えない中学生。しかも見た目が小学生だからなおさらだ。
時間はとっくに21時を回っている。小学生にしか見えないアズが補導の対象だった。
これはマズイぞ!
慌てた昴がアズの手を握って、人込みをかき分けながら走り出す。
「なんで走るんだ?」
事情を知らないアズが昴に聞くが、
「いいから! 警察に捕まるとマズイだろ。将来の、受験とかに影響がでるんだ、ヘタすりゃ高校に行けなくなるんだぞ。ましてや、女の子ならなおさらだろ」
「そうか、悪いやつなんだな。でも、飛んだ方が速いぞ」
飛ぶだって――。
そう言ったアズが昴と握っていた手を強く握り締め「えい!」と声を出す。
と、同時に強力なゴムで引っ張られるように二人がフヮーっと飛んだ。
「――なんだ! 空を飛んでる、一体……」
驚きの悲鳴を上げた昴がアズを見る。
『なんだ、あれ!』『人が飛んだぞ!』『イリュージョン! 何かの演出か?』
一帯に巻き起こる騒ぎをよそに、
「だから言っただろ、オレは魔女だって」
さも当然のようにケロッとしてアズが言う。
この状況、信じない訳にはいかない。リアル魔女に驚愕する昴。
体の周りが、まるでシャボン玉の中にいるような空間に包みこまれている感覚。
しばし、現実に起こっていることを受け止めることが出来ないでいた昴だったが、
こいつ、魔法を使いこなせてないんじゃ――。てことは、ヤバイ!
「ひぃ~、助けてえー!」
真っ青な顔をしながら昴が情けない声で叫ぶ。
観衆の視界から、飛び立ったアズと昴が消えた――。
昴の心配をよそにアズが言った。
「あそこがいいな」
アズの見る方向には、円筒状の建物の頂上にある『SHIBUYA109』の大看板が見えた。
二人はビルの一番上の看板の上にちょこんと降り立った。
「ふぅーっ、助かった……お前、一体……」
驚き過ぎて動揺する昴をよそに、
「スバル、あれはなんだ?」
上空で赤く点滅する航空灯を指差しながらアズが言った。
「ああ、あれは飛行機。羽田空港から飛び立った旅客機で、衝突防止灯が点滅しているんだよ。本当の魔女のお前に言っても信じられないだろうけど、あの中に何百人もの人が乗っているんだぞ」
「ほぉー、凄いぁ。ヒコウキって言うのか。ここに来る途中で見た、馬車のような乗物も、早かったしな」
今度は人間界の発展ぶりにアズが驚く。
「ああ、車のことか」
俺からしてみれば、魔女の魔法の力に驚かされるよな……。
大看板の上に二人は座って、しばしハロウィンの絶景を独り占め。
「人があんなに、一杯いる。オレの町の一番賑やかな広場でも、こんなに人はいないもんな」
初めて見る人込みの多さに興奮気味のアズが言った。
しかも、時間が経つほど人がどんどん増えてくる。人の流れが途切れることはない。
「そりゃそうさ、この時間帯、世界で一番人口が密集しているんだから。渋谷って、人を引き付ける珍しい場所なんだぞ」
「でも、変わったお祭りだな。ただ、歩いているだけじゃないのか?」
「ハロウィンは仮装行列、各々のコスプレを見せるための祭りなんだよ」
「ふぅ~ん」
しばらくハロウィンの光景を見ていたアズが、足をぶらぶらさせながら、口ずさむ。
民謡なのか童謡なのか、ゆっくりとしたテンポの曲、何より心の奥底に届くアズの声。
探し求めていたボーカルが、いた――。
バンドのメンバーに連絡を取ろうと、昴は慌ててポケットからスマートフォンを取り出した。
「なんだ? それ」
当然、アズにはスマホがなんだか分からないはず。
「スマホだよ。携帯電話」
「スマホ? なんだよそれ」
「本来の役目は電話なんだけどな。今じゃメールや写真が主な機能だから、これ一つあれば、なんでも出来る優れ物なんだぞ」
「オレのところは伝書バトが活躍してるぞ。魔法を使いこなせるのは限られた人たちだけで、魔法は便利だけど、反面、体力を使うんだぁ」
「で、伝書バト……、それはまた、ずいぶんと遅れていること」
呆れるほどの時代遅れに、今度は昴が付いていけない。
「まあ、いいから、歌、聞かせてくれよ」
「うん」
昴にうながされアズは歌った。
一人で聞くのはもたいない。誰かに聞かせてあげたい。そう思った昴は無意識のうちに録画ボタンを押した。
歩行者天国を見下ろす高所での撮影、しかも歌っているアズの透き通った美声。
SNSを通して、瞬く間に世界に拡散した……。
毎週、土曜日に投稿します。仕事終わりになるので遅くなるかもしれません。