ゆきが見たい(或る手紙)
ゆきが見たい(或る手紙)
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iZuka
2019/05/13 21:57
列車は霧の中を北へ向かって走っています。日記でもつけようかと持ってきたノートを下敷き代わりにして、この手紙を書いているわけですが、電車が揺れるたびに手元が震えてまっすぐ書くことができません。変に曲がったり歪んだりしている字があちこちにあって見苦しいですがお許しください。
あなたは、見かけによらずどこか飛び出して、いなくなっちゃうからびっくりするわ、と前言いましたね。もしかしたらアクティブなのかもね、とも。確かに私の消息が掴みにくいのは私自身も重々承知のことですが、アクティブと呼ぶのは厳密に言えば間違っていると思います。恐らく、世間一般の定義に照らし合わせれば、アクティブというのは、何かしらの目的を掲げ積極的な行動をする人物のことを指すと私は思うのですが、私のいつもの彷徨はそういった意味から最も遠い場所にあります。私は終の住処を探しに、今より快適な死に場所を日本のどこかに見つけるために、わざわざ遠方まで出かけることを繰り返しているのです。
一応、便宜上のため、旅とでも名付けておきましょうか、私の奇妙な旅は四年前の夏に始まりました。私は高校卒業後、都会の大学に進学したのでどうしても毎日満員電車に乗って郊外から人ごみの街へ出掛けていかなければなりませんでした。ベッドタウン育ちの私にとってそれは目が回るほど大変なことでした。暫くすれば都会の喧騒にも慣れて人並みの生活を送れるようになると考えていたのですが、逆に日が経つにつれ私の身体は変調をきたし始めました。
最初は頭痛や吐き気といったかわいらしい症状にとどまっていました。薬を飲めばどうにでもなりますから。私をろくでもない旅に駆り立てたもの、そうせざるを得なくした最大の原因は、皮膚の下の痒みでした。特に手足の指先の皮膚がむず痒くてたまりませんでした。普通の人が、背中に痒みを覚えたとしても、それは彼の手の届く、指で触れることのできる、きちんと知覚の通っている範囲にあって、爪でも棒でも何でもいいので一度掻いてやれば痒みは引っ込むものです。しかし、私の困った痒みは、皮膚の表面ではなくその裏側にあったので掻くことはおろか、指で撫でることさえできなかったのです。
私は途方に暮れてしまいました。朝から晩まで起きているうちは体のどこかに痒みがあるのですから、ひと眠りして右手薬指の痒みがなくなったかと思えば、すぐに隣の人差し指に移ってしまいどうすることもできませんでした。医者も相手にしてくれないので、このとち狂った痛みとおさらばしようと、一度台所の包丁を手にしていたこともありました。しかし、あなたがよく知っているように私の指は今も全て揃っています。私にはそうする勇気さえなかったのです。
私はこの奇病の原因が都会の生活にあると考えました。どこへ行ってもついてくる人々の話声、あまりに眩しくて下ばかり見てしまうネオン街、決して休むことのない駅の案内表示板――挙げればキリがありませんが――私はそういったものに疲れて一時的に精神がおかしくなってしまったのだと考えました。そうだとするなら話は簡単で、都会からできるだけ遠くに離れなければなりません。あの痒みに苦しめられずに済む永住の地を探すことにしたのです。学生の私には時間だけはありましたから、四国の山奥や山陰の小さな港町、九州の南端と電車で行けるところは全て訪れました。そうして、私と一番相性の良い土地が今まさに列車が走っているこの東北なのかもしれないのです。北を向いた列車に乗ると痒みが消えるのです。
この手紙の冒頭で書いたとおり、今こうしている間にも列車は動き、それに乗った私の身体もくっついたように移動をしています。今日はまさに冬至の日に相応しく窓の外は一面の雪景色です。といっても今まで見たこともない濃霧が立ち込めており、地面に降り積もった雪と白霧の境目がすぐには分からないくらいです。私が毎夏訪れていた避暑地も霧が酷いところで二日に一日はまちが白く包まれていましたので、他の人より霧には慣れているかと思ったのですが、この度初めて霧というものを目の当たりにした気分です。ただでさえ煙たい空気中を細かな雪がちらついているのですから車窓が曇っているのかと勘違いしてしまう程です。
それでも、私は、滅多に見ることのできない北国の冬化粧を目に焼き付けてやろうとがたがた振動している窓ガラスに額を付けて、後ろへ次々と流されていく景色を眺めていました。
最初に見えてきたのは灰色の電信柱です。線路沿いに等間隔で配置されたそれは、山霧の中から幽霊のように現れたかと思うと次の瞬間、また新しい一本が前のものと入れ替わって眼前に迫ってくるのです。その柱と柱の間に何やら同じ形をしたものが時折見えまして、何とお伝えするのがいいのか困ってしまいますが、西洋の墓石を頭に思い浮かべて下さい。日本風の縦に長い墓石ではなくより四角に近い墓石を。ちょうど海外の映画によく出てくるやつです。その墓石が、雪しまき窓の外に見えるのです。私はてっきり無縁墓の一種かと思いました。
何せ列車が走っているのは家屋さえ滅多に現れない山奥なのですから。たまに停車する駅も当然無人駅で人の気配すらないのです。列車のスピードに眼が慣れてくると墓石の正体は切り株であることが分かりました。切り倒されて短くなった木が暗い空から降る雪に埋もれて、わずかに頭だけを出しているのが西洋風の墓石に見えたらしいのです。私はいっそのことそれが墓石だったらどんなに気分が楽だったか嘆いたのは言うまでもありません。
一見単純で、モノクロの極めて精緻に構成された雪景色をぼんやりと眺めていると頭が冴えてきました。長い間顔を冷え切った窓にくっ付けていたので額がひんやりとして気持ちがいいのです。どうやら、人間は濃い霧に覆われた白銀の中でも日が暮れていく気配を感じ取れるようです。相変わらず窓ガラスは震えています。
私は、旅の最中、動く列車から風に靡いている薄たちを見るのが好きでした。余すところなく陽光を捧げられた金色の穂が暮れゆく野の中でゆらゆらと揺れているのを見ると私は何も考えられなくなります。ただ見つめているだけでした……。先ほども冷たい雪と風に身をほぐされている薄の群れが車窓の後ろへ流されていきました。静まり返った厚い雲の下では薄の動きは大袈裟な感じに思われました。
ついさっき、列車はとある駅でしばらく停車しました。そこで私は、この手紙の終わりに相応しい鮮烈な光景を目にしたのです。木造の駅舎は窓から橙色の燈火が漏れておりひっそりとしていました。雪の中で雪を見ることに飽きてきた私にとって、深い山中で突如現れた幻想的に浮かび上がる駅は、しばし夢見心地にさせるには十分なものでした。
もうすっかり夕日が落ちて夜も雪も深くなっていました。列車が惰力走行から完全に停車したとき、それまで椅子の陰に隠れていて全く存在に気付かなかったのですが、車両の先頭の方で一人の少女が立ち上がったのです。美しい少女と言いたいところですがごく平凡な高校生くらいの女の子でした。黒い制服に身を包み、裾の長いコートを羽織っており足元にはキャメルのブーツが見えました。寒さをこらえているのかコートに埋めた顔は表情が硬く、口をぎゅっと結び大きな両目だけはぱっちり開かれていました。
風船にいっぱいに詰めた空気が抜けていくかのような音がして、列車の扉の一つが開き、その少女は足早に列車を降りていきました。すると、彼女が私の座っている方へ駆け足で向かってきたのです。それもそのはず、改札のある駅舎はちょうど私のいるホーム中央部にあるのですから、先頭の扉で下車した彼女はこちらに向かってこなければなりません。私は、彼女が転ぶのではないかと不安になりましたが、あまりに軽快な足取りで雪を踏んでいるので実に愉快な気分になりました。
少女は改札の向こうの闇へ消えていきました。再び駅は静かに雪に抱かれて静まり返りました。私は途中になっていた手紙を書きあげてしまおうと車内に視線を戻そうとしたとき、少女の足跡を視界の端に認めました。それは、白熱灯に照らされた雪の結晶が敷き詰められたホームの上に点々と端から中央まで伸びていました。一寸も乱れることなく真っすぐに小さな足跡が続いているのです。しかも、その足跡は私の乗っている列車の車体と平行になっていました。車体の線は停車したホームの角と平行になっているので、三本の直線が雪の中で交わることなく引かれているのです。私はそれに気づいたときおかしくてたまりませんでした。今まで都会で抱き続けてきた違和感が、寂しい東北の駅舎で氷解した気がしました。ああ、確かにその通りだと。雪は少女の上にも神経質な私の上にも分け隔てなく降り注ぎます。私たちは同じ列車に乗り共に北を目指していました。彼女は途中で降りてしまいましたが、私はもう降りるわけにはいきません。ようやく、真っすぐ道を進むということが分かったのですから。
外の樹々は凍りつき元の形が分かりません。列車は霧の中を北へ向かって走っています。田んぼの時は止まり、畑は荒れ果てています。真下には川が激しく流れ絶えず動いています。少女はとっくに見えなくなりました。新しいまちの光が優しく近づいてきました。旅はもう先へ続きません。この手紙は次の駅で乗り込んでくる誰かに渡すことにします。もう額の感覚がなくなって見ているのが辛くなってきました。年末ご多忙の折ではございますが、お身体にお気をつけて良き新年をお迎えください。
(2016年12月21日)




