不運
俺はなんてツイてないんだろう。
いつものように採取依頼を受けただけの俺は、現在森の中を全力疾走している。
そしてその後ろには、通常個体より二回りは大きいロックボアが迫っていた。
話に聞いたロックボアに出会うのはまだいい、だが大型個体なんて聞いていない。
日頃採取を行っている森である事と、俊足のスキルによりなんとか追いつかれてはいないが、ロックボアはよほど腹が空いているのか諦める気配はない。
「はぁっ…はぁ…これでもくらえ!」
多めのMPを込めて、初級光魔術を目眩しに放つ。
ロックボアはまともに光を見て僅かに減速するが、一向に止まる気配は無い。
「頼むから諦めてくれよ…!」
魔物はザロクの丘の冷気を嫌うため、そこまで逃げ切れば諦めてくれるかもしれない。
淡い希望を胸に丘への道を駆ける。
汗だくで燃えるように熱い全身を冷気が撫ぜ、僅かに心地良さを感じる。
無事に追いつかれる事なく丘へ到着したが、依然魔物は追って来ている。
こうなったら行ける所まで行くしかない。
意を決して極寒の地へ踏み込む。
空気が冷た過ぎて上手く呼吸が出来ず、息を吸い込む度に噎せてしまう。
祈る気持ちで後ろを振り返るが、無情にも魔物は冷気を物ともせずに向かってくる。
絶望的状況に嫌気がさしながらも、逃げ道は前にしかない。
進む程に急激に冷たさを増す空気に、体力を刻一刻と削られていく。
殆ど丘の中心にまで来てしまった。既に周囲は無音の凍土となり、自らの心音と魔物が発する荒い息遣いしか聞こえない。
もはや立っていることもままならず、凍った地面に倒れるように座り込む。
魔物は既に目前にまで迫っている。
通常のロックボアはここまで寒さに耐性は無い筈だ、この個体が特殊なのだろう。
最後の抵抗とばかりに何の効果も無い魔剣を抜き、這うように後ずさる。
ふと、足元にある半分ほど埋まった出っ張りのような石ころが目につく。
それは握りこぶしほどもあるE級冒険者である自分では見たことも無いような大きさの魔石だった。
売れば金貨十枚は下らないだろうが、命が危ういという状況では何の意味も持たない代物だ。
「くそっ!こんなもの!」
もはや正常な思考すら出来ない状況下で、無意味な宝物に腹を立てて思わず剣を振り下ろす。
ガツリと音を立てて魔石に刃先が食い込んだその瞬間、何の効果も持たない筈の魔剣が紅く輝き、龍のブレスと見紛うばかりの炎が地面に向かって噴き出した。
突然巻き起こった爆風に吹き飛ばされ、体を地面に強かに叩きつけられる。
一体何が起こったんだ?
朦朧とする意識をなんとか保ち、体を起こして周囲を見回す。
先程まで凍える様だった空気は生暖かくなっており、地面は割れ、激しく煙が噴き出している。
そうだ、魔物は?
噴き上がる煙の向こうで、体のあちこちに火傷を負ってはいるが、未だ健在のロックボアと目が合った。
その目は激しい怒りが見て取れ、命の危機が去っていない事を嫌でも理解できた。
しかし俺の体は既に限界を迎えており、朦朧とした意識のまま、こちらに突進してくる魔物をただ呆然と眺める事しか出来なかった。
だが、次の瞬間。
地割れの中から何かが飛び出し、魔物に猛然と飛びかかった。
突然の襲撃に驚き魔物はたたらを踏み、その隙に飛び出して来た人のような何かは、口を大きく開きロックボアの首筋に噛み付いた。
魔物は血を撒き散らしながら悲鳴を上げる。
人影は狂ったように暴れる魔物を物ともせず、齧り取った肉塊を咀嚼もせずに飲み込み、続け様にかぶり付いて行く。
俺は次から次へと発生するありえない現象を理解できないまま、地面に伏せて意識を手放した。