9くち 19
「俺にはプライドがある。バートラント・メリカン・日国としての名誉があるから、こんな理不尽には黙っていられない。分かるかな、すごく腹が立つんだよ」
けれど、バートは、ダンケが彼らに仕返しが出来ないことを分かっていた。
彼にはあまりに強烈な出来事があり過ぎた。
たったの十二年の間に、子供にとっては果てしない十二年の間に、ダンケは傷つき過ぎて、疲れ切ってしまったのだ。
何に対しても抵抗する気力が、もう彼には一滴も残っていない。彼は生きていこうとする力を、自分を守ろうとする前から奪われてしまった。
お前には価値が無いといつの時も言い聞かせられていたから、信じていたはずの自分の価値を見失ってしまった。弾圧されてしまった。
自分に失望し切り、見限っている。この世にいない方が良いと思うほどに。
そうなるまで諦め切ってしまった存在を、もう一度誇れるようになるまで一から満たすには、途方もない時間がかかる。十二年では足りないかもしれない。
ここまでダメになったんだ。治らないのかも。
大丈夫に見せかけることは出来ても、綺麗に治ることはないのかも。
古代ローマの劇作家、役者であるプブリリウス・シルス曰く、「傷は治っても傷跡は残る」のだから。
それでも、"理不尽には抵抗する"選択肢があることを、バートはダンケに教えなければならなかった。
それが最初の一滴になるからだ。
「いいか、自分に誇りを持て。お前は胸を張って良いんたぞ。俺はお前がとっても大事なんだぜ」
「…」
「ダンケ、自殺の覚悟が今だけのものなら、そのチャンスを最後にもう一度だけ見逃してほしい。俺の頼みを聞いてやると思って、もう少しだけ生きていてくれないか。一緒にいよう。俺のところにいれば心配事なんてなくなるぞ」
「……」
「ダンケにいなくなってほしくない」
「……いつまで」
「お前の判断に任せるよ。俺が決めることじゃないんだ。五分でも良いし半年でも良い。あともう少しだけでも生きてみて、それでもやっぱりダメなら、死んでもいいぞ。その方がよっぽど為になることだってあるだろう。後の事は俺がやっておく」
「……」
「俺の頼みを今すぐ断るのも、お前が決めることだよ」
ダンケは眼球の奥の神経が何故だか酷く痛むのを感じた。
それから目の周りが熱くなって、言葉に出来ない気持ちでたまらなくなった。
生きることを望んでくれるし、死ぬことも許してくれるだなんて、ダンケにとってこれほど欲しかった言葉は無かったからだ。
メルナード夫妻はこの生き地獄の中で、ダンケに必要なものを押し付ける。
ならばバートは、ダンケにとって、欲しいものを与える存在だった。