3くち 3
…
アパートから十分もしない距離に、目的地の銭湯はあった。
日没で紫色に染まる街の中で、煌々とした明かりが溢れ出ている。
昔馴染みの番台に座る老父と、自動ドア越しに店先で目が合って、マシューは礼儀正しく、柔らかに微笑んで、軽く会釈しながら店内に入る。
バートはそんなマシューを不思議そうに見つめながら後を追った。
自動ドアの向こうの店内に入ると、アパートのものよりずっと、もっと広大な土間があって、さてどこで靴を脱ごうか、と一瞬だけ迷ってみる。
マシューは既に上がり框にくっつくほどの距離まで歩いて行って、脱いだ靴を靴箱に入れていた。バートは入店するや脱いだ靴を、片手にぶら下げて土間を横切り、マシューに倣って隣の靴箱にしまった。
正解だよな。俺がやっていること、当たっているよな。
目で問いかけて来るバートを知らんぷりして、マシューはさっさと番台へ歩いて行ってしまう。
「こんばんは佐々貴さん。今日は二人で」
番台に猫背で座る、人の良さそうな老父は二人分の勘定を求め、マシューはそれに応えようと財布を漁りだす。
小銭が擦り合わさる音が響くばかりの無言を、老父は有効に使おうと、皺の寄った唇を持ち上げた。
老父は顔をバートに向けた。
「ましゅくんのお友達?」
「ううん、…家族。兄です」
言葉を探すようにして言って、代金を手渡しすると、バートが横から入ってきて声を張った。
「Hello!I'm Bertland!Call me Bert!I'm from the USA!」
パチンとチャーミングなウィンクを老父に送り、ダイヤや星を散らすように笑顔を振りまきながら、ハンドシェイクをしようとサッと手を前に突き出した。
老父も笑顔ではいるものの、困ったようにオロオロとしていて、釣られるように自分も手を差し出そうとする。
そんな二人を見て、マシューは見ていられないと言わんばかりに手で目元を抑えた。
「あー…"こんにちは、僕の名前はバートラント。ぜひバートと呼んでください。アメリカからやってきました"と自己紹介をしていて、握手を求めています」
「そうなんですか」
老父はホッとした顔になって、先ほどよりずっと気が楽になった微笑みで、控えめに手を差し出した。
バートはそのしわくちゃな手をすかさず強く握り込み、軽く振った。笑顔は一層輝きを増した。
「すみませんねぇ、外国語はさっぱりなもので」
「いえ、こちらこそ。日本なのに英語だなんて…。簡単なものだけでも早めに覚えさせます」
「どうぞゆっくりなさってくださいね」
二人がなにを話しているのかさっぱり、と言った笑顔で、バートは老父とマシューを交互に見ながら、どこまでも満足そうに老父の手を振り続けた。