9くち 14
だからその時のダンケの表情は、嫌々やっている、と言うのが雄弁に浮き出ていたに違いない。
それでもバートにはそれが嬉しかった。ダンケが優しくしてくれたのがたまらなく嬉しくて、吹っ飛ばされたことなんてすぐにどうでも良くなった。優しくされたことで上書きされたのだ。
バートはすぐに泣き止んで、ダンケにあれこれ話し始めた。ダンケは「あっち行って」だの「やめて」だのと言って、逃げたり追い払おうとするのに、彼のよどみない弁舌には敵わなかった。
自宅学習で友達のいないバートにとって、同じく友達のいないダンケは恰好の餌だ。
二人はバートのごり押しでよく関わるようになった。
次第に彼を拒否する余力も無くなり、ひたすら寝転がってなにもしない時ですら、バートは楽しそうに喋りかけ、気づけばダンケもそれに返事をするようになっていた。
ほとんど「うるさい」だの「黙れ」だのばかりだったけれど、思い出したように「あっそう」と返していた。
バートがメルナード家に通う間は、ダンケの体力が常に底を突き抜けている為、北アイルランドの家に戻る元気も無く、長らく家に引きこもっていた。
息をするだけでこんなにエネルギーを消費するのに、親戚の相手なんかしていたら窒息してしまう。
身も心も弱るダンケだったが、メルナード夫妻にとっては、その方がダンケにとってはずっと良いことだと判断して、ダンケをバートに任せていた。
しばらくするとバートは近所のミュージカルクラブに所属し、メルナード家に通うことも毎日ではなくなったが、変わらず頻繁に出入りを続けた。
変化が起きたのは数年後のことだ。ダンケが十二歳になり、バートが十三歳になった頃。
バートがブロードウェイデビューを果たしたことにより、メルナード家に滅多に来られなくなってしまったのだ。
ダンケはまたあの家に戻るようになり、酷い仕打ちを受けても尚、通うのを辞められなかった。
この家で過ごした時間に思いを馳せながら、納屋の小さな少年が中から扉を開け、この場所に今生の別れを告げることを待っている。
泣いて帰るようなことだとしても、これは、没落しても尚、ドラッグを辞めることが出来なかったイングリスの血によるものなのか、辞められない。傷つくと分かっていても、この場所に安心感を見出して、飛んでくるペイント弾に瞼を閉じていた。
初めの頃は閉じこもった納屋で毎日泣いていたが、次第に涙は出てこなくなった。
前までは止め処なく溢れる激しい感情に揺り動かされ、箸が転んでも激怒した自分が、今では納屋に隠れることもなく、自分を庇うこともなく、衝撃でこけても立ち上がることもなく、浴びせられる塗料など物ともせずに、我が家を見上げるようになっていた。
夫妻はカウンセラーを呼んだが、ダンケは語り掛けるカウンセラーを放置して、呆けて部屋の隅を見つめたまま、静かに息だけをしていた。他人に対する拒絶の反応すら、もはや示すことが出来なくなっていたのだ。