9くち 10
次にダンケを引き取ったのは、アメリカに住むメルナード夫妻。
マシューとバートの祖父母であり、マシューの産みの母親にとっての両親のこと。
ダンケを納屋から連れ出し、彼を哀れに思った警官が、親戚を洗いざらいあたり、遠い親戚であるメルナード夫妻に行きついたのだ。
ダンケが七歳なら、この時、バートは八歳。マシューが六歳だった頃のこと。
イギリスを離れ、アメリカのメルナード夫妻の許へと向かった。
その頃には既に、短期間に様々な場所に赴き、移動の度に変わる家族関係にダンケは疲弊し切っていた。
出会った瞬間からぐったりして不愛想なダンケであったが、メルナード夫妻は彼に優しく穏やかに接した。酷く優しかった。苦しいほど優しかった。
これまでの生活との落差が激し過ぎるあまり、ダンケが思わず嘔吐するほど優しくて、どう生活したら良いのか分からないほどに。
夫妻が手を挙げた瞬間に、強く目を閉じて歯を食いしばったのに撫でられた。転んだのに、不機嫌そうな顔一つもせずに、服の汚れを払い落としてもらいながら何度も心配された。夫妻が愛した小動物や熱帯魚を殺した時は、叱りもせずに、命を奪ったこの手を泣きながら強く握りしめて離さなかった。嘘を吐いても穏やかに諭して、足や拳が飛んでくることは無かった。床を排泄物で汚しても、一言たりとも責められなかった。
夫妻の自分への扱いに不安感が募り、自分の部屋が用意されても、夜になったら納屋に向かってしまうほどだった。
その内、再び嘔吐した後、痙攣しながら白目を剥き泡を吹いて熱を出し失禁した挙句蕁麻疹が出て一週間も寝込んだのに、彼らは迷惑そうな顔一つしなかった。
誰も自分には耐えられないと思っていたのに、彼らは随分と辛抱強くてしぶとい。生みの親でさえ我慢出来ずに産んだ直後に自分を捨てたと言うのに。彼らの自分の扱いは変だった。
優しさの暴力だ。強暴な優しさだ。
あんなに気持ちの良いベッドで眠ったのも生まれて初めてのことで、これにも体が拒絶反応を示してすぐに床に転がり落ちた。ベッドの下から突然針が突き出て刺される夢を見てからは、もう二度とベッドでは眠るまいと心に誓った。
ベッド下の狭くて暗くて固い空間の方が幾分かマシだ。人間相手よりもベッド下のダニやクモとの方が上手く共存出来るに違いない。
ダンケが落ち着かないのならば仕方がないと、メルナード夫妻は家内で土足でいる習慣を辞めると、家中の床を徹底的に清掃した後、ダンケの部屋には一等清潔で手触りの良いカーペットを敷いてくれた。
それすらもダンケは最初の頃は落ち着かなくて、慣れるまで一か月も要した。カーペットと床板を行ったり来たりした。
ダンケにとっては、ここも新手とも突然変異とも言える一種の地獄であったが、気持ちと体が少しずつ家庭に馴染むと、熱帯魚の水槽に手を突っ込んだり、小動物のケージを振り回すこともしなくなった。床で寝る時、枕を頭の下に置くのも躊躇いが無くなった。避難所の納屋を探すことも無くなっていった。