9くち 8
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ダンケ・イングリスは生まれて間もなく、今や有人の荷物預り所が主流になっているイギリスでは絶滅の一途を辿る、"コインロッカーに捨てられた。"
嬰児であったダンケを救ったのは、彼自身の産声だった。
昔、「泣かなきゃ良かった」と口にしていたダンケも、今、「泣いたことを後悔しているか?」と聞いたら、「笑ったらどうなったろうね」と皮肉めいた口をきくだろう。
両親は人目から離れた森の中にいた。二人とも、数種の違法ドラッグと、相性の悪いアルコールの過剰摂取で遺体となって発見された。
それからダンケは父方の弟夫婦に引き取られ、七歳までを波風立てずに生き抜いた。
波風を立てない、と言うのはその言葉通り、家の中にいても自分は存在しないかのように振る舞うことだ。
一つでも物音を立てようものなら、過敏な父は激昂して、納屋に忘れ去られるまでダンケを閉じ込める。
でなければ別の意味での虐待を受けた。機嫌が良ければ冷たい手で体に触れてきて、機嫌が悪ければ閉じ込めるような親だった。
酷かった時、納屋から出られたのは三日後だ。しばらく家を空けていた母が、食器用洗剤の一ガロンボトルを取りに来て、その時ようやく発見してもらえた。
父の所為だとは言えなかった。言ったらもっと酷いことが起こる。ダンケは口をつぐんで、何故納屋にいたのかと言う質問に対して、帰ってきた母を驚かせようと隠れていたのだと嘘を吐いていた。
更に、父は医療に精通した身内に頼み、それを子供のダンケに行うのは危険であることを分かっていながら、いつも鬱々とした状態でいる目障りな彼が、少しでもマシになるようにと電気痙攣療法を施した。
電気痙攣療法。電気ショック療法とも呼ばれる。
麻酔、筋弛緩剤を投与した後、左右のこめかみに電極を当て、脳に電気を流すことで、鬱病などの精神障害を患う患者の治療を行うと言うもの。"最後の手段"。
父は麻酔をダンケに施すことなく彼の頭に電気を流した。
まともな判断ではなかった。まともな一族ではなかった。
体が内側から爆発して、粉々に砕け散ってしまったような錯覚を起こした。
全身が大きく飛び跳ねた。食いしばったら乳歯が折れた。恐怖と衝撃で失禁した。
陸に上げられた魚のようにのたうち回り、意図せず激しく動く体のあちこちが痛くてたまらなかった。
おかげさまで夜尿症がなかなか治らなくて十一歳になるまでオムツをしていたし、眠っている最中に体が跳ねて何度も起きるはめになり、ダンケの鬱病は悪化した。夜驚症にまでなった。
屈辱的で惨めなあまり、ダンケは感受性を薄れさせることで自分の心を守ろうとしていた。