8くち 16
…
夕方になると、マシューは明日の学校の為にバートに帰宅を提案し、二人は荷物を抱えて帰路を辿った。
道中、また銭湯に寄って、もう少しでアパートの前に到着する。
「あー、こんなに歩いたのは久しぶりだ。"きもちいかったぞ"」
「"いかった"じゃなくて"よかった"な」
「そうそれ。指摘ありがとうな」
「…好きな母国の言語だから」
「そうだな。母国の言語って言うのは大切なものだ。日常的に使うからからこそ、粗末に扱っちゃいけないな。時代によって言葉なんていくらでも変化するし、現代に生きている以上、それに順応する必要はあるけれど、今現在、正しい、適切だとされている使い方をするのが一番だ。言語を愛するって言うのはそういうことだと思う。マシューは母国愛が強いんだな」
マシューが立ち止まった。
すぐ後ろを歩いていたバートがその背にぶつかる。
一歩後ろに下がると、神妙な面持ちでこちらを見上げる弟がまばたきをしていた。
「今日はよく喋るな」
「楽しいからな。今日のマシューは優しい」
「普段が優しくないみたいな言い方だ」
「間違っていないだろ?俺がいる時はいつも不機嫌だし、いなくても、今まで手紙も電話も一つもくれないくらいに、お前は優しくないよ」
「うわ腹立つ」
「No news is good news(便りの無いのは良い便り)なんて、なんて、ダッドとマムから耳にイカとか魚の目が出来るくらい聞かされた」
「胼胝な、胼胝」
「もうそんなのにはうんざりだよ。何年会っていなかったと思う?何年話さなかったと思う?マムもダッドもマシューも、俺にはなにも教えてくれなかった。ある朝突然兄弟が家どころか国からいなくなって、ようやくダッドに聞かされたんだ。"マシューには一人で考える時間が必要で、今は自分の望む形で身の振り方を決めようとしている。家族が深入りすることじゃない。これは自分で決めなくちゃいけないことなんだ。あいつだって大人になってゆく。生きたいようにさせてやれ。だからバート、寂しくなるけれど、日本に行ったマシューを一緒に応援してやろう。"って言われた。俺はお前がいなくなることを一人だけなんにも知らなかったのに一緒に応援なんて、あんまりだぜ」
昔の父は母のコーヒーと自分の麦茶を順番に啜って、やがて自分もコーヒーが飲みたくなったと席を立ちあがった。
食卓にはバートと母だけが残り、母は言った。
"「ごめんねバート。けれど、マシューはとても強く望んでいたの。分かってあげて。それに、日本の高校を卒業したら一度アメリカに戻ってきて、その後どうするかを話し合って、どんな選択をするにしても、しばらくはアメリカに留まるって約束をしたから。学生時代なんてすぐに終わるわよ」"