8くち 15
「なら変装くらいすれば良いのに」
「でも俺、世界が惚れた歌手兼女優のミランダ・ディガンみたいにバカ売れしているわけじゃないし。それに、国内ならともかく、他国での俺の知名度なんてあってないようなもんだろ。精々ドラマ好きとか舞台好きの人達が見かけたことがあるくらいさ。ほとんどはドラマだろうな。どちらも人気作だから」
「なんで変なところで謙虚なんだよ!さっきの女子高生を見なかったのか?良いから身バレしたくなかったら変装しろ節穴!」
気分転換と言う理由でコンタクトでいたマシューは、念の為にバッグに入れていた眼鏡を取り出すと、それをバートにかけさせた。
視力の良いバートは度の入ったレンズを前にして険しい顔になった。
「うわっ!視界が気持ち悪いっ」
しかしポテトを食べたばかりの油っぽい手で眼鏡を触ったら、きっとマシューは怒るだろうから、目をつむってハンバーガーに食いついた。
「アホ毛はワックスで撫でつけるか?まったく、僕らってお互いの母方似なのに、アホ毛と童顔は父さんの遺伝子強かったのかな。変に目立つよね」
ウェットティッシュに引き続き、ワックスを取り出そうとするマシューに、バートは手と首を振って嫌々をした。
「ああ嫌だ!変装って嫌いだ!俺らしくいられないなんて考えられない!どこにいたって誰を前にしたって俺はバートラントなんだ!変装はしない!必要な時に偽名を名乗るだけだ!」
テーブルの端に丸めて追いやっていたウェットティッシュで慌ただしく手を拭いて、綺麗な手で眼鏡を取ると、それをマシューに押し返した。
マシューはバートの言葉に思うところがあって、それ以上彼に口出しするのを辞めて、眼鏡をボディバッグに閉まった。
「分かったよ。でもせめて、日本人に伝わりやすい言葉で偽名を名乗れるようになれよ。今日のは十点だ」
「アメリカでのA+?」
「自己評価高いな。Fだよ」
ガッカリしたように項垂れつつも、大好物のメガ盛りポテトを食んですぐに笑顔に戻るバートを見て、マシューもギガビッグチキンバーガーを両手で持った。
熱々のチキンが挟まるバーガーに噛みつくと、衣のカリカリとした触感と肉汁が口内に広がり、顔が一気に綻んだ。
その頭の中では、バートの言葉が何度も響いていた。
"どこにいたって誰を前にしたって俺はバートラントなんだ"
その言葉に自分を振り返る。
彼が今もバートラントで、パトリック・パトリオットを名乗る時ですらバートラントなら、今の自分は誰なのだろう。
どこにいても誰を前にしても一貫した自分を、マシュー・メルナード・日国は果たして持っているのだろうか。
窓に映る自分なんか目に入らなかった。街を行き交う人々ばかりが、マシューの視界を埋めていた。