8くち 7
湯船は別々だった。
水風呂を挟んで、バートが電気風呂、マシューが低音風呂に浸かってリラックスしている。
バートは湯船の中央から、マシューがいる低音風呂に近い縁に寄りかかった。
「そういやお前さ、ガールフレンドとかボーイフレンドはいないのか?」
「はあ?」
「いないのか?家に連れてきて紹介してくれないし、休日にどこかに出掛けることも無いし。デーティングとかさ」
デーティング。
相手のことを知る為に、交際前にデートを重ねるお試し期間のこと。期間中は恋人同士ではない為、他の人ともデートをしても良い。
「いないししないよ。いたとしてもバートがいるなら家には連れ込まないし、人様とそこまで深く関われるほど僕は立派な人間でもない。お前は?」
「俺はデートはするけど、なにかにつけて家族のことを話すから、想像と違ったって振られちゃうな」
「ハンッ、ざまあみそらしど」
「でも、家族ありきの男が素の俺だからな。家族が今の俺を作ったんだ。話さずにはいられない。こういう俺が嫌なら、二人に未来は無いわけだ。振ってくれて正解だよ。俺は俺に合う人だけと良い関係になりたい」
「のくてぇこと言ってんなま!」
「あいてっ」
いつの間に足首からすっぽ抜けていたのか、拾って預かってくれていたらしいマシューの手から、バートのロッカーの鍵が投げられた。
鍵は額に直撃して湯の中に沈んでいった。
揺れる水面に邪魔されて、銀の鍵と、それについている輪っかの形をした透明のスパイラルキーチェーンを見つけるのに手間取っている間に、マシューは「聞くんじゃなかった!なんだか胃がムカムカしてきた!」と言いながら浴室から出て行ってしまった。
バートはずっと浴槽の底に手を這わせてずぇーずぇー鳴き声を上げていた。
マシューがフルーツ牛乳で体を内側から冷ましていると、茹でダコになったバートがびしょびしょのロッカーの鍵を握りしめて千鳥足で浴室から出てきた。
悪いことをしたかもしれないと思いつつそれを鼻で笑い、少し湯冷ましした後、復活したバートは老夫婦に投げキッスを送って、銭湯を後にした。
その足で、二人はいつもの繁華街へやってきた。
ついてくるばかりのバートは、いつも通り食料品の買い込みかと思っているようだが、マシューの目的は違った。
「日曜に買い物に来たばかりだけど、また何か買うのか?」
「いや違う。佐々貴さんにも言った通り、いつもの真面目なましゅくんは今日はお休みだ。いつもと違うましゅくんでいこう」
「ましゅくんって日本でのお前のニックネームか?」
「佐々貴さん達が呼んでくれる極上に特別な愛称だ」
「ふーん」
日本のニックネームのつけ方はよく分かんねぇな、と悪気無く笑うバートを縊って蹴散らしたくなったけれど、公衆の面前であることを思い出して、辞めた。