2くち 3
一連の動作を見守っていたバートは、いい加減玄関から、九畳一間の生活スペースにあるキッチンにやってくると、蹴り飛ばされて部屋の隅に転がっていたキャリーケースを起こしにかかる。
散らばった中身をケースに押し込んでいると、背後からポットの沸騰を知らせる電子音。
振り返ると、沸騰したお湯をインスタント味噌汁の素が入っているお椀に入れ、出来立てのそれを啜って、ホッとしたような顔をするマシューがいた。
怖い顔をしていない弟を久しぶりに見た気がして、今なら話しかけても良いだろうと、バートは歩み寄った。
「なあ、俺、マシューが帰ってくるまで荷物を広げて待ってるな」
キャリーケースを抱えて、バートは居間を見た。
美しい箸の持ち方を披露して、マシューはそんなバートを睨みつける。
「ダメ。とりあえず家にいても良いけど、冷蔵庫と電気と窓以外は触るの禁止!大人しくしていろ」
「と、トイレもダメ?俺、頻尿だから」
「勝手に行けばいいだろ!」
ちょっと無神経なバートの発言に、味噌汁の最後の一口を咳き込んでしまった。
気管に入ったかもしれない。苦しくなって浮かんだ涙を拳で拭う。
また両掌を合わせて、今度は「ごちそうさまでした」とやはり誰ともなしに告げて、食器を片づけにかかる。
足取りは素早く、バートは休みなくあちこち動き回るマシューを目で追う。
自分がどこに落ち着いたら良いのかさっぱりだったから。キャリーケースを抱え込んで、キッチンでポツンと突っ立っている。
トイレに行ったりベルトやらネクタイやらを締めているマシューを見守り、彼がついに家から学校へ行ってしまおうと鞄を手にしたところで、視線が合った。
視線が合っただけなのに、カメラを向けられたアイドルのように、バートは眉と口角を弓なりに釣り上げた。
対照的に、マシューは真一文字に引き結んでいた口を、弓なりにひん曲げた。起きたばかりだと言うのにゲッソリしていた。
「本当に、余計なことをするなよ。いいね」
「バートに任せろ」
「…行ってくる」
「ああッ待って」
「なに」
「ボタンかけちがえてるぞ。三番目」
「…そりゃどうも」
最後までバートを信用していない顔で、ボタンを直しながらマシューは家を出て行った。
二人の調子は、明らかに噛み合っていなかった。
さて、ここで改めて二度目の自己紹介をさせてください。
僕の名前はマシュー・メルナード・日国。
日本ではクラスメイトが覚えやすいように、日国 マシューと名乗ってます。
志士頭学園高等部二学年に在籍中の、今年度十七歳になる、今のところ十六歳。演劇部と生徒会に所属。悩みは今見て貰った通り。
兄の名前はバートラント・メリカン・日国。愛称はバート。
今年度で十九歳になる、今のところ十八歳。職業はしばらく会っていなかったから知らないけれど、昔は地元のミュージカルクラブに所属していた。
ご覧の通り、日本人の片親がいるものの、コテコテのアメリカ人。
姉の名前はベラーノ・メリカン・日国。愛称はべッラ。
僕が生まれる前にこの世を去っている。今も生きていたのなら、今年度で十八歳で、きっと僕らの兄弟仲なんてどうでも良くしてくれるはずの人。
バートは専らべッラと呼んでいて、僕はべラ姉と呼んでいる。バートの妹で、僕の姉。写真のみの存在。
この三人が一ルームのアパートに住むなんて、ああ、考えたくない。
こんな朝は初めてだ。
うんざりした顔で、早朝の白む街を駆けていった。