8くち 6
「ましゅくん、昨日は来なかったからどうしたのかと」
マシューがバートの方をちらりと見ると、バートは苦笑して視線を逸らした。
隣から小さく「ウーップス」と聞こえた。
「昨日はなんだか疲れちゃって」
「そうかい。学校は?」
「ずる休みです」
「真面目なましゅくんは今日はお休みかな?」
「今日は不真面目なので一番風呂良いですか?」
「どうぞごゆっくり」
入口を開けてくれた老父・佐々貴さんの横を会釈しながら通り過ぎて入店する。
バートは、「おはよう!」とウインクを一つ寄越してマシューの後に続いた。
老父は「日本語がお上手ですね」と言っていたが、バートは彼がなにを言っているのか、今日もよく分かっていなかった。
マシューは店の奥にいるであろう老父の妻・くめちゃんに、代金をトレーに置いておくことを告げ、奥から返事が返ってくると、小銭を置いて脱衣所へ向かった。
やはりバートもそれに倣ってマシューの後を追った。マシューに続いて脱衣所へ入ろうとすると、番台に出てきたくめちゃんと目が合った。
「おはよう!」
言うと、
「ぐっどもーにんぐ」
と返ってきて、バートはとっても嬉しくなった。
一度その場に荷物を置くと、番台に乗り出して、くめちゃんの体をそっと抱き寄せる。
くめちゃんもバートのハグに応じて、自分も少し身を乗り出してバートの背中を撫でた。
「ありがとう!」
「えんじょい」
日本人が下手な英語を。
アメリカ人が下手な日本語を。
へんてこな会話だけれど、二人の間では特別な瞬間だった。
くめちゃんと散々握手をした後、荷物をまた持ち上げて、脱衣所に向かった。
早朝の銭湯は貸し切り状態だった。
デッキブラシでピカピカに磨き上げられたタイルに、足首に巻いたロッカーのカギが時々当たっては浴室内に響いた。
マシューが向こうの洗い場の蛇口の前で髪を洗っていたので、そちらに向かう。
隣のバスチェアに座ると、「二人しかいないんだからわざわざ近くに来なくていいんだよ」と言われたが、だからと言ってわざわざ離れて座る理由もバートには無くて、でもマシューが嫌がっているので、とりあえず蛇口一つ分の距離を開けた。
「あの夫婦は良い人達だな。とても親切で、素晴らしくて気高い人達だ」
バートが備え付けのシャンプーを手に取って泡立てながら言うと、一足先にシャンプーを流しているマシューは猫背になって返した。
「僕が日本に戻った時から、ずっと良くしてくれるんだ」
「お前の、この街でのグランマとグランパなんだな」
「…あっちが僕を孫みたいだと思ってくれているなら、そうかもね」
「きっとそう思っているはずだぜ」
笑いかけると、照れ臭かったのか、マシューはこちらを筆舌に尽くしがたい面持ちで睨みつけていた。
最近じゃこんな表情を向けられるのも慣れっこだった。