8くち 4
マシューは、自分だったらきっと自暴自棄になるかもしれない、と思った。死を受け入れるには、この世には手放し難いものがまだ多く残っている。
しかし、シムノンはこうも言っている。
"私は生きることが大好きだから、死を恐れない。ただ、出来るだけ遅く死にたいだけだ"
それがバートにとっても望ましいことであれば良いと思う。
「まあ…、その、……必要以上に親を泣かすなよ」
「そうする」
バートはあまり病気の心配をされたくない。
と言うよりも、病気の話をしても、本人は理解した上であっけらかんとしているから、事の重要性や周囲が心配していることを説いても仕様がない。
「こうなんたぞ」と言っても「ああ、分かった。そんじゃあな」と言う態度で返されてしまうから続けようがない。
違う角度からツッコんでも同じ反応しかしないのだ。
だから何を言ったら良いのか分からなくなる。
言葉に詰まる。
そうして、あ、これは沈黙するパターンだ。
と、この国に一年もいれば身につく技術「空気を読む」により、話を変えざるを得ない。
「………え、えーと、その、今さっき言っていたペットはどうしているのさ?バートがいない間…」
「ダンケが住み込みで俺の家とペットの管理をしてくれているんだ。俺がいない間は、共同口座の金で好きに生活しろって言ってある」
僕ら、ダン兄に頼り過ぎじゃないかな。
家族になったって言っても、元は親戚だし、都合もあるんだから、もう少し遠慮した方が…。
やはり日本語勉強は自分が付き合うべきか、とは思うものの、思うだけで精一杯なのが現状だ。
心の中で、もう一人の兄に謝罪するしかなかった。
「しっかし、生活力の無いあいつでも中華とかピザのデリバリーくらいはするだろうと思っていたんだけど、昨日、ダンケにちゃんとした飯は食べているか?って聞いたら、洗面所の薬品戸棚に入れておいた睡眠薬と胃薬を食べてた」
尚の事申し訳なくなった。
そんなものを主食にして自分たち二人の頼み事を聞かなくちゃならないのだから。
「一昨日は庭の人口芝生を食べたみたいでよ。好き嫌いが無いのも問題だな」
「そういう問題じゃないんだよ」
味覚障害だからなんでも食べられるのだ。
その内、砂まで食べ始めたらどうしよう。人口芝生を食べているしもう手遅れか。
今日は夜になったらダン兄に連絡を入れよう。義理だろうが弟からの頼みだとでも言って、食事を作るかデリバリーを頼むかはしてくれるように言おう。
ダンケには人間としてのプライドが大きく欠けている。自分が人間であると言う自覚があるのかすら怪しい。自分に対する自信が皆無だ。だから自分を蔑ろにする。
せめて自分を大切にすることは出来るようになってもらわなくては。自分を大切に出来ないで、どうして生きられると言うのか。