6くち 3
…
学校に到着して、生徒会の挨拶運動に参加してから教室に向かったマシューは、その間にも何度も何度もバッグの中の台本のことを考えていた。
生徒会で同じく「書記」の役職につく女生徒と、次の会長についての話をしている間にも台本のことが頭から抜けず、英語の授業中も、実際には到底使わない教科書英語や、日本人教師の舌足らずな少年のような発音を指摘したくなりながらも、それよりもやはり頭の中は台本のことばかりだった。
休み時間になると何度もバッグから取り出しては読み込むのを繰り返し、友人に話しかけられたら閉じなければならないのが惜しいくらいだった。
ああ、彼らに自慢出来たら良いのに。でも内容を明かすわけにはいかない。
あの「世侃特攻隊」のような、いや、それ以上の仕上がりを求める為には、ほんの一行のネタバレだって許してはならないのだ。
じれったさを噛み殺して、飲み込んで、放課後を迎えたら生徒会の会議に参加するも、すぐにお開きになり、ようやっと解放されると、早歩きで講堂へと向かった。
マシューが通う志士頭学園は運動系の部活を主体としている為、体育館か校庭に向かう生徒が多い中、マシューのような人数の多くない芸術系の部活は教室内や講堂での活動となる。
講堂を使って活動する主な部活は、演劇部や吹奏楽部などだが、吹奏楽部の面々も一緒に使えば良いのに快く譲ってくれる為、ここ数年は演劇部の貸し切り状態が続いている。
講堂の引き戸を開けると、部員たちは既に集まって稽古をしている最中で、引き戸の外のマシューに一斉に視線を向けた。
その中で一人、ブリッジの歪んだ眼鏡を「オシャレ」として好んでかける女生徒が、やおら手を上げ左右に振った。
「日国、遅いから」
「生徒会で遅れるって先週に言いましたよ」
「あー聞いてないよそんなの。ゲイのクジラに性器がついていなかった話なら聞いた」
「してません」
「違ったかな。ウチのイナリヤ半兵衛って名前の犬の話?あいつ最近尻からネズミを食べて口から排泄したみたいなんだ」
「聞いてません」
「それともあれかな。今朝、米を研いでいる時に濁り水を流していたら米粒をいくつか流してしまって、一粒の米に宿る八十八人の神様を少なくとも千人は殺したことから、私が自分のことを"神殺し"と思い込み始めた話かな」
「米一粒には七人じゃありませんでした?」
「あの米のどこに八十八人もいるんだろうね。神様ってバクテリアサイズなのかな」
他の十数人の演劇部員が静まる中、彼女は掴み所が無い言葉のボールを投げかけてはマシューを困らせた。キャッチもリリースも出来ない為、ひたすらぶつけられるだけだ。
ブリッジが歪んで目線と合っていない眼鏡のテンプルを持ち上げ、講堂の舞台を前にしてパイプ椅子に座る女生徒の名前は、盃 花美。
志士頭演劇部がこれまで公演してきた全ての舞台の脚本を担当している。その全てが、"完全創作脚本"だ。
"初代演劇部創設当初からの部員で、留年を繰り返して今も尚活動し続けている現在二十一歳の文豪。"
志士頭演劇部は、実力のある役者だけでは成り立たない。この部が評価される最大の理由は、彼女が手掛ける"創作脚本"と言われるほどの実力の持ち主なのだ。