5くち 15
「リハビリは?」
「ん?」
「ちゃんとやっていないだろ。いつも家の中だし」
「いや、もう舞台に立てる状態にはあるんだよ。体は回復したんだ。微細運動と粗大運動のストレッチはいつもしているし、問題なく動ける」
「じゃあなんで戻らない。復帰しろよ」
「…休むにはちょうど良いタイミングだと思って。お前にも会いたかったし。頼むよ、追い出さないでくれ。日本語、頑張るから!」
そう笑って、父の真似をして合掌する腹違いの兄弟に、マシューは同情した。
瑣末な人間性を披露するならば、"幼い頃から怪物のような魅力と実力を秘めていた兄の、人間らしい挫折を知って、彼も地に落ちるのだと、ほんの少しの優越感も抱いた。"
「分かった。今すぐは追い出さないでやるよ。感謝しろよな」
「ああ、ありがとうマシュー!嬉しいよ!決めた!今日からタバコを一本も吸わないぞ!仲良くやろうな!」
「そうだよ。そもそもが病気持ちでタバコなんて体に良くないんだから、辛いだろうけど辞めるのが正解だよ」
「うん。お前を怒らせるのも失望させるのも、もうごめんだよ」
「本当だ。…じゃあ、今度こそ寝るよ。明日は朝練だし起きられなかったらバートの所為だからな」
「え」
この時マシューは、「ここに留まることが出来る、救われた」と微笑むバートを見て、数時間前の自分も救われるべきだと考えた。救うとしたら今しかない。
タバコを咎められたからタバコを辞めると発言されてしまったのだ。
バートはこの一件を終わらせようとしている。臭いがまだうっすらと残る、この布団の上で。
彼と今後長く付き合っていく必要があるなら、あの時、彼をぶちのめそうとした自分に、ささやかな報いがあるべきだ。あのような自分を認めたくはないが、無視し切ることも出来ない。
「電気消すよ。あと、タバコの件は許さないけど、僕はお前を許さない自分を許して生きる。でも気にするな。この問題は終わったことだから二度と蒸し返したりしない。ただ許さないだけだ。罪は消えないからな。一生反省しろ。おやすみ」
「ずぇええ」
また訪れる暗闇の中で、バートは気を紛らわせる為、天井に星を見ようと想像力を働かせたけれど、上手く思い出せないまま眠りに落ちてしまった。
マシューは隣で寝息を立て始めたバートを見つめ、その頬に拳をぴたりと当てた。
バートは身じろぎもしない。眠るのに忙しくて安心し切った様子で、マシューはしばらくそのまま、瞳を閉じて、彼を殴り飛ばす瞬間を空想していた。
それで自分を満足させたつもりになって、今度こそ眠りについた。
とても不快な気分だった。
足元で首を振って風を「弱」で送る扇風機の音が、二人の寝息をかき消していた。
フランスの作家、哲学者である、アルベール・カミュ曰く、「人間は、現在の自分を拒絶する唯一のいきものである」