5くち 12
マシューは最後に、自分の胸元に手を軽く当て、上目でバートをちらりと見てから、溜息と共に、心の中で呟いた。
"もういいや。知らない"
あとは、"いつも通り"のマシューに戻るだけだった。
「バーカラントどころか家全体が臭いんだよ。わかるか?タバコ一本吸うだけで、同居人がこれだけ迷惑するんだ。百害あって一利なし。知ってる?タバコに含まれてる"アンモニア"と"スカトール"ってウンコの悪臭成分にも含まれているんだよ。つまり喫煙家はウンコを自主的に吸っているスカトロフィーバーな連中ってわけだ。つまり、お前はウンコ臭い!口まで肛門化した奴と同居なんてまっぴらだね。禁煙して。いや、しろ!この非常識口腔大便野郎!」
そうこの態度だ。
いつものお小言マシュー。
シリアスじゃなくて、所謂"シリアル"。
ガチギレじゃなくて、ギャグでキレてるみたいに。
こうすれば、バートは、自分もいつも通りに戻っても良いのだと判断出来る。
単純な奴だから。
複雑なことは理解出来ないから。
「マゾヒストの愛煙家が聞いたら諸手を挙げて喜びそうな言葉だ。で、でも、喫煙でビタミンB3が補給されるから、一利くらいはあるぜ。九十九害だ」
まだ本調子でないが、へへと笑うバートに、「ほら見ろ」と心の中で呟いた。
「他にも言うことあるだろ!」
「……えっとえっと、は、肺活量凄いな!一息だったぞ!」
ゲィンッ!
今日二度目の衝撃音が、バートの頭の中で鳴り響いた。
マシューの拳骨だった。
ギャグ(本気じゃない)なら、こいつを殴れるのに。
一度、こいつの歯か鼻を折るくらい、しこたま殴ってみたかった。
そんな勇気、一生かけても出てこないけど。
「誓うんだよ!"分かりました、タバコはこれから一日外の喫煙所で五本にします。それから三本、一本と減らして、一ヶ月後には完全に禁煙をしていると誓います"って、紙に書いて拇印押して、誓うんだよ!」
「せめて二ヶ月…!」
「なに?半月で足りる?良い子だなバートラント・メリカン・日国。ご褒美にアメリカ行きの片道チケットを贈ってやるよ、お前の金でな」
「ずぇええええ…ッ」
結局、バートがアメリカからカートンで持ってきたタバコの半分以上が処分され、残りはマシューが管理することとなった。
落ち着いた頃、家中に消臭スプレーを撒いてから二人で銭湯に行き、まだ湯気が立ち上がる体のままで老母のくめちゃんと夕食の卓を囲み、家に帰るとマシューは予定より短時間の予習復習を、バートも残りの時間を全て日本語勉強に費やして、二十二時には、二人とも布団を並べて敷いていた。
「電気消すよ」
「うん」
スイッチを押すと、部屋全体の照明が落ちて真っ暗になる。
暗闇にまだ慣れていないバートの目だが、枕元をマシューが過ぎてゆき、隣の布団に入ったのが音で分かった。