5くち 7
なんてことはなくて、ダンケはいつもこんな顔をしている。先ほどの"少々厄介な事情"の所為で、ダンケは若くして世間に対する希望や、他人に対する期待を失ってしまったのだ。自信もそうだし、神に対する信仰まで失ってしまった。ほんの数年前、「祈りを捧げる時間があるなら他のことしなよ。時間の無駄」と言い放った相手は、マシューの産みの親であり、バートの育ての親である"クリスチャンの母"だ。母が、"ダンケが一日でも早く、忌々しい過去から解き放たれ、新しい生活に馴染めるように"と、神に祈っている最中のことだった。
今は家族に対してだけは、さながら神を信仰するかのように接している。態度や表情には見えないが、彼の行動からは家族への敬意が滲み出ている。少なくとも、バートはそう感じている。
今に至るまでに、苦労の多い人生を歩んできた弟である。
そうして三時間も経過した頃には、バートは銭湯に行って、風呂に入ることもなく、老父の佐々貴さんへの挨拶もそこそこに酒などを買ってきて、ダンケと二人で画面越しに酔っ払っていた。
二人とも未成年ではあるものの、それを律儀に守るような性格はしていない。
イギリス出身のダンケは五歳から飲んでいたのだから、尚の事気にしない。
「ダンの日本語ワケわっかんねへへ!!」
なんとなく分からない日本語と、なんとなく分かるような気がする英語を使う銭湯の老父が勧めてくれた日本酒で気分が良くなったバートは、テーブルに肘をついて瓶から直接酒を呷った。
対するダンケは缶ビールを片手に、ケラケラと珍しく笑っている。仏頂面が緩み切っていて、彼も気分が良いのだと一目で分かる。
「お前、バートからバークに改名したらどうなわけ?バークラントォ…。ああもう最高、眠たい」
「まだ昼だろぉ?あっついよこっちは…」
「アメリカと日本の時差考えろバーク。こっちが暗いならそっちは明るいんだよ」
「へー。…お前なんかあったっけ…」
「仕事だよ」
「なんだっけ」
「翻訳だよ。今契約書のヤツを…くああ…」
「締め切りか?」
「眠いだけだっつーの一回で聞けバガー」
「ふーん、じゃ、寝な。おやすみー…。また明日」
「ta-ra」
そうして、グダグダに日本語勉強は終わり、酔っ払ったままに、バートは今日教わったことの復習をノートに書き始める。
頭は全く働いていなくて、曖昧な意識の中で、手が勝手にひらがなとカタカナを書き込み、口も勝手に「あめんぼあまいなあいうえお」と歌っていた。
気が向けば、酒瓶をまた手にしては口元に運ぶのを繰り返して、意識が戻った時、自分と同じように、けれどまったく違った意味で真っ赤な憤怒の形相をこちらに向けるマシューが、そこにいた。