あとがき2 1
今作は、アメリカ人と日本人の親を持つマシュー・メルナード・日国と、その兄バートラント・メリカン・日国の兄弟の絆と、自分でない他人との繋がり、異文化と、自分らしさについてを描いた物語でした。
今作は「時に自分に悩み、時に誰かに尽くす人」と言う役柄を、マシューとバートの二人が交互に演じる姿と、なかなか噛み合わない様子から取って、「ヒトくちばなしっ!B&C(Box and Cox)」と言うタイトルに決定しました。
※あとがきの文章は「書きやすさ」を重視している為、丁寧さを著しく欠いております。
「自分らしさ」
「らしさ」とは十人十色な世界である。誰かに嫌われ、また誰かに好まれる可能性も含む、個人を象徴する在り方だ。
そして「らしさ」とは時代や人との関わりなどでいくらでも変化してゆくものであり、一定のままでいることは出来ない。継ぎ足し継ぎ足しでも、一新でも、とにかくなにかしら変化し続ける。
今現在の在り方は今後いくらでも変わってゆく可能性を秘めている。今現在の在り方を認められたマシューは、今後は変化してゆく在り方を認めてゆくことになる。
「アメリカ人のマシュー」
作中でマシューは幾度か「自分は日本人だ」と口にする。章タイトルでも「それでも僕は日本人」と言っておきながら、それでも彼はアメリカ人であることを、と言うよりも、家族の傍にいることを最後に選んだ。
バートラントとの区別化や自己肯定感を高めることを第一に、文化や食が肌に合う生まれ故郷であることを第二に日本で生活をしてきたマシューだが、区別化がなされた物語後半以降、本来の「家族想い」な青年に戻り、日本人でいることへの執着を次第に失ってゆく。
作中でも度々「今両親に会いたい」「まともなものを食べないダンケをどうにかしたいけど遠距離だから出来ない」「バートの介護はいつか自分がやるだろう」と、アメリカで生活していないことを歯がゆく思ったり、アメリカでの将来について考えている。
対照的に、日本での将来を、自身を確立したマシューには想像出来なかった。彼が言った通り、日本で仕事を持っていないし、パートナーや家族がいるわけでもない。日本での将来は、マシューにとってあまりに不透明だった。
(余談。マシューがアメリカの大学で理学療法を学んでいるのは、将来、持ち病J'sの影響で満足に体を動かせなくなる可能性のあるバートのサポートをする為である)
以上のことから、マシューは「アメリカに住む家族の傍にいたいと思う自分には、日本に対して責任を果たすことが出来ない」と判断し、日本人にこだわることをやめた。
当初は自分がマシューには日本人でいてほしかった為、彼が否定した「日本人としてアメリカに住む(在米日本人)」の方向で物語は終結した。
しかし、マシューの性格、立場、彼自身の望みについてや今後を考えたら、果たして彼はどこに所属してこそ最も幸せで魅力的であり続けられるのは、日本かアメリカか以前に、家族がいる場所に他ならないと思い直して、今回の結末となった。
※今作のマシューの選択は「社会的にアメリカ人になる」と言う国籍選択であって、彼が日本人の血を持ち、日本人的生活信条を抱き続ける「個人的には日本人でもありアメリカ人でもある」と言う立場は、今後も変わらない。
※今作は「アメリカで人生の基礎を築き、生まれ故郷で兄との区別化を図るべく、日本人として自分を見つめ直そうともがいた、日本人でもありアメリカ人でもあったマシューの立場、事情に限った話」であり、他人の事情には関与しない。