さいごのヒトくち 終
後日談。
帰国後、兄のバートラント・メリカン・日国は、二十一歳になる年に芸能活動を再開。
手始めに「ビープ・バン・クラック」の舞台に戻り、最前列に親族を招待した。次に、ドラマ「ノーティー・クライム」の主要メンバーに復帰、映画「N.Y.ブロマンス」の撮影に向けて打ち合わせにも入り、他にも新しい仕事を受けて、久しぶりにニューヨークとサンフランシスコを行き来する忙しい日々を駆けまわっている。
最後に、二十二歳になる年に四度目の「ハミングバード賞」を受賞と共に殿堂入りを果たし、最年少で「セックスシンボル賞」「キングオブアクター賞」にノミネートされた。
ダンケ・I・メルナード・日国は、バートとマシューが帰国した二週間後、バートの家の管理任務を終えて、日国夫妻のいる実家へと帰った。
それからおよそ半年後、自身の二十歳の誕生日と共に日国夫妻の家を離れて、バートラントの家に正式に移り住み、彼の扶養家族となった。
その際、引っ越し祝いにグランドピアノを贈られ、ダンケは運転免許を取ったばかりのマシューと共にホームセンターへ赴き、好みの板と革を購入し、自分ひとりの力でピアノを弾く為のスツールを作りあげた。そしてたまの週末に、メルナードと日国の夫妻を呼んで小さなコンサートを開いている。
彼は現在も翻訳家として、幼少期の癒えない傷を抱えながらも、現状を一つずつ良くしてゆこうと、家族と共に懸命な努力を重ねている。
マシュー・メルナード・日国は、二十歳からアメリカの名門オーア大学に入学。クリエイティブ・ライティングや理学療法を学びながら、日本での処女作「ボックスアンドコックス」に次ぐ新たな自著を出版社に売り込み、同年内に作家としてのキャリアをスタートさせた。代表作「ドラマティックSt.」「YOU'RE;FUNNY;ME」は舞台化と映画化が決定。本人の予想に反して、脚本も担当する運びとなった。
それを皮切りに、趣味が高じた仕事も請け負うことが増え、学生でありながらマルチに就労する日々を送っている。
また、彼が日本にいた当時借りていたアパートの一室は、現在、三年分の家賃が前払いされ、マシュー・メルナード・日国の名義で借りられたままになっている。
まとまった休日がある度に来日したマシューが、その一室で創り出した作品「学ぶまなぶ」は、日本でドラマ化が決定したばかりだ。
三人はバートラントの一軒家にて、タコ一匹、犬一匹、ベラーノの写真を合わせた兄妹四人で、現在もサンフランシスコを拠点に生活している。