さいごのヒトくち 8
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二月中旬になる頃には、借りていたアパートの部屋はだいぶ殺風景になってきていた。
卒業が近づくにつれて、一部の家具を手放すか、少しずつアメリカへ送り始めたからだ。
元から物が多い部屋ではなかったから、余計に九畳一間の部屋が広く感じられる。
マシューは前回登校してから四日ぶりに制服を着て、朝食に納豆と焼き鮭と味噌汁と漬物を食べていた。
バートは白米に味噌汁をかけた猫まんまと、それでは足りないのでもう一つの茶碗に白米と鰹節と醤油を混ぜ込んだもう一種類の猫まんまを同時に食べていた。
"主食に米、おかずに米"の朝食だが、バートは美味い美味いと言って調子の良い指で箸をしっかり持っている。
その日は、志士頭学園高等部演劇部に所属する三年生部員達の、引退式の日だった。
仮の引退式は昨年の全国大会で済ませたものの、正式な引退式は今日となる。
例年通り、卒業式の前に、最後に全校生徒の前で一つの舞台を披露することになっている。
マシューは正座をして滑らかに伸びた背筋と華麗な箸捌きで焼き鮭から骨を除く。
「そういえば、今日の、最後の舞台はなにをやるんだ?」
「最後だから、今の三年生達にとって思い出深いものを再演しようって話になって」
「うん」
「"汚名なるウェル・メイド・プレイ"になった」
バートは一瞬表情と言葉を失い、次に瞠目した。
瞠目。驚きなどで目を見開くこと。
「もう一度、最後にカフカをやる」
花美先輩は"半端もんのうちにしか出来ない役"だと言っていた、今だけしか出来ない役だと。
マシューにとって、特に思い入れが強く、特別な役だ。
まさに一年前の、バートラントを羨んでいた頃の自分のようであり、到底手の届かない高みにいる他人のようでもあった不思議な役者。
あの頃とはもう気の持ちようはだいぶ変わったはずなのに、今の自分とも、大した違いはないのかもしれないとも思う、鏡のような男。
瞠目して口も半開きでいたバートは、眼前のマシューの柔らかな眼差しを見て、不安交じりに安心もしていた。
「そうか」
「うん」
「俺がすることは変わらないぜ。マシューらしく力を出し切っておいで。俺はいつだって応援しているからな」
「うん」
マシューはその後、黙々と朝食を終えると、古くなった台本と鞄を持って出掛けて行った。
バートは静かに広くなった室内に戻って、「今日も良い日にしよう」と大きく伸びをした。