さいごのヒトくち 2
着替えが済むと、二人とも考えていることは同じで、財布に五円玉があったかを探り始める。
「僕は無いや。バートはある?」
「俺、小銭はあんまり使わないから沢山あるぜ」
そう言いながら自分の財布の中身を見せてくる。
財布にはお札が数枚。カードが数枚。小銭入れがパンパン。
「ドル硬貨とかセント硬貨は使うのに、なんで円硬貨は使わないの」
「指の調子が良い時は使うんだけどな。日本にいると、ストレッチをしていても家の中にいるんじゃあまり動かないから、すぐに関節が硬くなっちまって、レジでモタついちゃうんだよな」
「なんならカードを使えば良いのに」
「でも、せっかくカード文化が浸透し切っていない日本にいるんだから、日本のお金を使ってみたいじゃないか」
そう言われて悪い気はしなかった。
海外で生活をする楽しみの一つは、その国の通貨に触れて使ってみることだろう。
ところで、J'sの影響で、放置や加齢と共に関節の可動領域が狭まる、筋力が著しく低下すると言うものがある。バートの指の調子が悪かったり良かったりするのがその証拠だ。
関節や筋肉が衰えないようにするには、日々のストレッチ、マッサージと共によく運動をすることが必要だが、最終的には、加齢でほとんどのJ's患者が杖での生活になったり、腕や足ががまったく動かせなくて車椅子や寝たきり、と言う状態になるらしい。だいたい、三十代から五十代の間に自立した生活が出来なくなるJ's患者が多いと聞く。
運が良いといくつになっても元気に動き回る人もいるようだけれど。
バートの生みの母親からそう聞かされた時、マシューは"その時"が訪れたら、両親は将来的に介護施設か介護士に任せるか自力でどうにかしてもらうにしても、バートの世話は自分がする必要があるだろう、と随分前から考えていた。
人好きだし人懐っこい性格をしているバートだけれど、きっと「他人」に世話をされるとなったら「嫌だぜ」から始まり、出来っこないのに「自分で出来るぜ」で終わるに決まっている。
アメリカのバートの自宅で「他人に家の物を触られたくない」と言って、ダンケのメイド案を拒否したのだから違いない。
そう言ったら"マシューやダンケだって、バート本人ではないのだから他人と言えば他人"なのだが、ここで言うところの「他人」とは、「身内」と言う属性をこれっぽっちも有していない、まったく関わりのない「赤の他人」と言うことだろう。
「家族と言う他人」を第一にする性格だからか、「まったくの他人」にはちょこっとドライ。家族とその他に対する絶対的境界線がある。
他人の懐にはズケズケ踏み込むくせして、相手に踏み込まれそうになると「入るな」と門前払いをするような、嫌な男なのだ。
しかし家族相手ならばいくらでも踏み込まれることを歓迎するし、自分はそれ以上に踏み込もうとする。家族の立場からすると心身共に距離感に困る男なのだ。
「他人を易々と信じるな」「見ず知らずの人間についていくな」と家族から言われてもよく理解出来ないバートが、それらの言葉を彼なりに解釈した結果なのだとも思う。
「よく分からないが他人とはあまり近しくならない方が良いらしい。その分家族と近くあろう。家族相手なら自分の全ての信頼と信用を委ねられる」
そんなところだろうか。
大雑把なようで面倒な男だ。
面倒な人生を生きねばならない男だ。