17くち 4
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全国大会の舞台まで、マシューは文化祭の準備の時よりも帰宅が遅くなることが多くなった。
志士頭演劇部は正式な引退式が遅い為、これが最後の部活にはならないものの、公に活動出来る最後の経験だ。
一生懸命になっていることだろう。部長として、一人ひとり違う人々を、まったく同じものとして扱うのではなく、個性を認め合い尊重し、それを活かせるように考えて、それでも集団として動けるようにまとめ上げなければならない。生徒会長としてもそう。それぞれの"長"としての責任を果たそうと邁進しているに違いない。
バートにはマシューが無理をしているのではないか、また体調を崩すのではないか、と言う心配はない。
あらぬ方向を指差して、自分はあのどこかにいるのだとトンチンカンなことを言うマシューではない。
自分を見つめ、振り返り、本当に必要なことは何なのかを理解し、取り組んでいる。自分を知り、思う通りの自分を創り上げている。
マシューは自分を置いてけぼりにして迷子にするような男じゃない。
迷子の人にも手を差し伸べて、牽引出来る立派なヤツだとバートは強く信じている。
「きっとぜーんぶ良くなるさ。なあベッラ」
今日も一人、スポーツジムから帰って来たバートは、妹のベッラことベラーノの写真を前にして、昼食に作った焼きおにぎりを食んでいた。
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全国大会が目前まで迫ると、マシューはますます帰りが遅くなり、バートは一人で銭湯に行くことが多くなった。
番台にいる佐々貴さん夫妻に一人で挨拶をすると、二人はお気に入りの「ましゅくん」がいないのに、「らんとくん、お風呂から出たらご飯を食べていかない?」と聞いてくれるものだから、喜んで同席させてもらった。
その席で、マシューが今最も忙しい時期に差し掛かっていることを伝えると、夫妻は「ましゅくんにも」と言って、六角形の形をした一段の重箱にその日の夕食を詰めて持たせてくれた。
すっかり日本人癖がつき始めているバートは、とびきりのスマイルとハグをした後、銭湯の敷居をもう一度跨ぐまで何度もお礼を言いながらお辞儀をしていた。
佐々貴さん夫妻はその姿をにっこりと頬を緩ませて見送り、店内へと戻って行った。
帰宅して、ベランダに出しっぱなしのピンチハンガーを取り込み、洗濯物を畳んで、定額制の動画配信サイトでアメリカの野球中継を見ていると、ようやくマシューが帰ってきた。
疲れた様子を見せず、朝に登校していったのとまったく同じ、キッチリと制服を着て帰ってきた。
バートが「おかえり」と言って間もなく、「じゃあ銭湯に行ってくる」と言って夜に向かって駆けだそうとするから呼び止める。
「暗いんだし、車で送っていこうか」
「すぐだから心配ないよ」
「危ないヤツと会っちゃったら…」
「これでも現代武術道場の家から出てきた父さんに、三歳から柔道と剣道を教わって育ってきたんだよ。行ってきます」
バートの言葉の途中に割り込んで、靴を履いたマシューは、またさっさと家を出て行ってしまう。
「…気をつけて」
それを言い終わる前に、マシューが飛び出していった玄関扉は閉まっていた。