16くち 12
さて本題に戻って、バートは引き続き、まだ電話を切っていないダンケとの通話に応じた。
「寝坊したからやっぱり帰りは夕方頃になりそうだ。これから空港に向かうけど、なにか欲しいものはあるか?ニューヨーク発の紅茶とかコーヒーがあるぜ。ハンドルドーナツのコーヒーは格別だぞ」
「じゃあコーヒー。店が売ってくれるだけ買って」
「分かった。マシューには紅茶で良いよな。確認してくれ」
「残念でした、今マシューはいないんだ」
「出掛けたのか」
「うん。今朝一番の便でニューヨークに」
「…ええーっ、あいつこっちに来るのか?なんで」
「来てほしくないわけ?」
「だって、こっちに来てもあいつがすることなんてないだろ。サンフランシスコで観光客に混じってケーブルカーにでも乗って景色を見ながらボーッとした方がずっと楽しいぜ。アメリカの自然、特に西側のは最高なんだから。ああでも、美術館とか舞台があるからマシューはニューヨークの方が好きかも…」
「話があるみたいだよ」
「家でいくらでも付き合うのに」
「バートの仕事のことで話があるんだって」
どう返事をしようか思いつかなかった。
だから、当たり障りのない「そうなのかぁ」の言葉を残して、話題を変えてしばらく雑談(ダンケが見た怖い夢の話だとか、バートが日本で梅干しの種を飲んだけどまだヘソから芽は出てきていない話だとか)をした後、ダンケが眠たくなってきたと言うから、帰ったらまた話そうと返して受話器を置いた。
腕時計を見ると、時刻は十二時を過ぎようとしているところだ。
ならば弟は既にニューヨークにいるだろう。
空港に迎えに行こうかとも考えたけれど、なんだか足を運ぶのが躊躇われた。
タクシーを捕まえようと道路に踏み出しかけた足を引っ込める。
マシューと会って仕事の話を避ける方法が分からない。
マシューそのものを避ける方法しか考え付かないけれど、それはやりたくない。
どうしようか。
自分と相談しながら、コンドミニアムへの道のりを踏み出した。
考え付くこともないまま、コンドミニアム前の石畳を踏んだところで、バートは目先に見慣れた姿を見つけてしまった。
日本では目立つけれど、アメリカでは特別珍しいものではない。
生粋の青い目も。金髪も。
それでも、すぐにマシューだと分かった。
父親譲りの童顔と、染めていない天然のブロンドから一本突き出たアホ毛が、印刷した地図を片手にする彼の歩調に合わせて揺れるのを、よく覚えていた。
思ったより随分早い到着だったようだ。
マシューは現在地と地図を見比べようと顔を上げ、そこでお互いの視線がぶつかり合う。はずだった。
マシューが顔を上げるのと同時に、バートは視線を落として、コンドミニアムとマシューに背を向けて歩き出していた。