15くち 19
「一年も離れていたんだ」
「そうだな」
「日本での生活が思いの外、楽しくてな。またここで楽しめるのか分からなくて、一生懸命、考えてみたかったんだ」
「なにか考え付いたか?」
「なんにも。だから、外に出ようと思ってな」
「それで居眠り運転でもされたら困るんだけどなあ。僕はまだ免許を持っていないから、バートが寝ても負ぶってやるしか帰る方法が無いよ」
バートはハハハと陽気に笑って、「頼もしいなあ」と言う。
付け加えて、「ダンケも一応免許は持っているから、いざと言う時はあいつを呼べ」と言っていたが、サンデードライバーであるダンケの頼り無さそうな運転技術を考慮するよりも、近くの公衆電話でタクシーを呼ぶ方が利口だとマシューは考えた。
「舞台監督にも他の関係者にも、沢山の人に迷惑をかけているし、そろそろ帰ろうとは思うんだけどな。別のところに行こうかとも考えちまうんだ」
「うーん」
「お前が卒業する頃には、俺も考え付いていないとな」
「……まあ、あと半年あるし。時間はあるんだから、今日は家に帰って寝ようよ」
「そうだな」
さざなみに想いを馳せて瞼を伏せるバートに、向こうのビルから光が差しこむ。
バートの閉ざした瞼の裏には、太陽と同じ朱色がいっぱいに広がっていた。
じんわりと辺りを染めてゆく太陽にマシューも目を細め、顔の前で太陽との間に手を翳す。
掌を透かして、マシューにも同じ朱色が見えた。
「なあバート」
「うん?」
「秋の文化祭で、演劇部で新しい舞台を公演するんだけど、来ないか?」
「助っ人は…」
「観客で」
「…俺に?」
「ああ」
「いいのか?」
「いいよ」
感激したように、瞳の中に今や沈むばかりの満点の星を煌めかせてこちらを振り向いたバートと目が合う。
その勢いに気圧されつつ、マシューは続けた。
「そうしたら、今度はバートの舞台を見せてくれよ」
バートの表情から笑顔が消える。
満点の星は、向こうの日差しに消えていった。
こちらに向けていた顔を逸らすバートの背を、マシューは軽く叩いた。
「僕も応援しているから」
眠気もあってか、バートはまた瞼を伏せ、新しく、口元にぼんやりと笑みを湛えた。
「ああ」
その後、二人は黙して日の出を見届け、バートはお互いの手にあるものがゴミだけになるのを確認すると、また運転席に戻っていった。
遅れて、開けっ放しのトランクを閉めたマシューも助手席に戻っていった。
朝焼けの中、ルーフを開けた一台のコンバーチブルがサンフランシスコを駆けてゆく。
家に戻ると、バートとマシューと、珍しく夜通し翻訳の仕事をしていたダンケは、三人とも十二時になるまで、自室から出てこなかった。




