15くち 6
ダンケ・イングリス。正式な名前はダンケ・I・メルナード・日国だ。
「俺がどこでも眠れるようにこの家の土足文化をお前の金で撤廃した。良いでしょ?」
「良いけど、マシューの家と違って自分の家だから油断してたぜ…。せめて事前に教えて欲しかった」
「だって金は好きに使って良いって言ったでしょ。それとも、ピザのデリバリーも、頼む度に報告した方が良かったの」
玄関土間とピザを並べて語るのかこの兄は。
没落しても元貴族。他人の金でも容赦が無い。
不貞腐れた顔で見下ろしてくるダンケに、バートはなにかを言ってやろうと酸素を口から吸ったものの、鼻から吹き出して、結局なにも言わなかった。
バートにだって、ピザと玄関土間じゃ「度合」が違うことくらい分かっている。
家族だとしても自分でない人間に、自分の金銭を自由に使って良いと言う十九歳の男などこの兄くらいのもので、十分に世間とは違って感覚が鈍いのだろうが、それくらいは分かるはずだ。
鈍いだけで、狂っているわけではない。バートは頭は良くないが、馬鹿ではないのだ。
それでも言わなかったのは、感覚どころか人生が狂っていたダンケを、頭ごなしに叱りつけたくなかったからなのかもしれない。
きちんと目を見て、床か椅子にでも座って、落ち着いてよく話したかったからなのかもしれない。
自分が悲観的だった頃、育ての母に、そうしてもらって育ってきたように。
「なにかいけなかったの」
「いや今はいい。近いうちに話そう。それより、俺が空けている間、家のことをありがとうな。そうだ、バーゼルの狂犬病予防注射は行ってくれたか?ちょうど三年目だったから」
「サー(日国家の父)に行かせた」
「そうか。助かるよ」
はいはいとおざなりな返事を寄越して、ダンケはマッドルームから奥のダイニングルームへと引っ込んでいった。
それを追いかけてダイニングに入ると、仕事道具のパソコンと相棒のコーヒーを持って、食事用テーブル前の一人掛けソファに腰かけるダンケがいた。
マシューはその光景を見つめて、確かに、いつかのバートが言ったように、ダンケは良い方向へ変わっているのだと気がついた。
マシューがまだアメリカにいた頃とはまったく違うのだ。