14くち 5
「近いうちに」
「……」
「日本を離れる」
「なんで」
上半身を片手で起こして、ずり落ちたブランケットを引き上げた。
「もういいかなって」
「なにが」
「色々と、片が付いたと思うんだ。もうバートと並んでも、きっと二度と自分はダメだなんて思わないって…気がする。当初の目的は達成したよ。どうするかも自分で決めた」
「……」
「日本に来たのはバート、お前から逃げる為だ。お前が怖かった。そういう自分が嫌いだった」
「……」
「馬鹿なことをしていたんだ。間違いだった。最初から良かったんだ。これが僕なんだから」
バートは自分の個性をもみ消してしまう存在ではなかった。
個性や自分らしさを得ようと誰かを睨みつけるばかりで、本当の自分を無視してきたのは自分自身だったと気が付けたのだ。
「頑張って日本人になり切る必要も無いんだ。言う通り、日本人であることは、僕らしくいる為に囚われ過ぎる問題じゃない。なにより、日本人の血が流れていることとか、この国で生まれたこととかは、僕にとっての全てじゃなくて、大きな一部だったんだ。なら、僕はもう、自分のこれからのことを、日本じゃなくても家族の傍で続けていける。アメリカで生きるんだから、日本の常識を持ち込んでああだこうだうるさく言うつもりは無いけれど、どこでも、自分らしく生きていけるって、…そういう自信が…今度は必要だと思うんだ。だから、家族のところに帰ろうと思う。僕は、日本人の血も流れているアメリカ人として、生きるよ」
こちらに背を向けるマシューの顔を覗き込む。マシューもバートを振り返った。
暗闇の中で蒼い瞳を輝かせて、マシューは緩い笑みを浮かべていた。
バートはその笑みが恐ろしかった。
何故なら、
「いつまでもバートにアパート代を持たせるのも悪いし、母さんと父さんから仕送りしてもらった分、働いて利子つけて返して、苦労かけた分楽させたいし…。もう大丈夫だから。お前のおかげだよ、バート。僕が間違えていたんだ。家族を悲しませる自分らしさなんて、大切な人を犠牲にする自分らしさなんて、間違いだ」
何故なら、その涼しい笑顔は、バートから見て…まるで。
身辺整理を終えた自殺願望者のように見えたのだ。
断捨離を終えた自殺願望者は、時に自殺を思いとどまると言うが、マシューの場合は、むしろ、心置きなく、この世をいつでも好きな時に去れると、しがらみから解放された晴れやかな顔だった。