13くち 15
ほんの数週間前までは、この時間になれば空は真っ青か真っ黒のどちらかだったのに、少しずつ日照時間が延びているのを感じる。まだ外は随分と明るい。
マシューがこの生活を好きな理由が分かる気がした。銭湯帰りのこの時間、朝昼以外にも、季節の変化や時間の経過を肌全体で感じられるのだ。
不便だけれど、充分価値のある体験なのだと、バートにも分かるようになってきていた。
マシューは帰路の途中で咲いている桜の木から、花弁が掌に落ちてくるのを待ち、それがやってくるとバートに見せた。
「ほら、これが桜。日本の国花」
「ふーん」
「うわ微妙な反応。こんなに綺麗なのに」
「あんまり花には興味無くてな。分かるだろ?俺はガーデニングじゃなくて、菜園が…食べ物が好きなんだ」
花より団子。
そういえば、昔アメリカで花見に行った時も、父とマシューは桜を真下から見上げて散歩をしていたのに対して、バートと母は「毛虫が落ちて来たら嫌だから」と言って、遠くでハックドナルドのポテトを二人で食んでいた記憶がある。
写真を撮って後で見せたところ、母は日本の義母の真似をして「あらまぁ、あらまぁ」と喜んでいたけれど、バートは植えたばかりのミニトマトと茄子に水をやってばかりで、少しも関心を寄せていなかった。
今も、前髪の一房の間に絡まった桜の花弁を、鬱陶しそうに払い落としている。
手に取って見てみる、なんてことはしない。
「もう少し関心を寄せたって良いと思うんだけどな。一応お前にも日本人の血が半分流れているわけなんだし」
「俺はアメリカ人として生きてきたし、花に耽るようなヤツでもないんだってば」
「はあ、父さんは桜と菊、好きなのにな」
マシューが「信じられない」と言う顔で睨んでくるのと目が合い、バートは呆れたように溜息を吐いた。
やがて、眉尻は下げるのに、口端は上げて言った。
「やっぱり、俺達同じ国で生まれた方が良かったよな」
「銭湯の時も言っていたけど、なに。僕もアメリカで生まれていたら良かったっての?」
「アメリカでも日本でも、俺達が兄弟揃って、自分がどこの誰かをハッキリ自覚出来る居心地の良い場所なら、どこでも良かったさ。そうしたら、お前は今頃、俺達家族が生まれた一国にいてくれただろ?家族がバラバラに生活することも、もう少し後の話だったかもしれない。独り立ちするにしても、国内で済む可能性だって高かった。こうして、悩むことも無かったんじゃないかなって」
バートは勘違いしているのだ。
マシューが、そこで生まれて気性に合うから、育てのアメリカより生みの日本に執着したのだと。
そうじゃない。
それだけじゃない。
そんな単純な話じゃない。