13くち 14
「でもさ、マシューはどうして、自分が日本人だと思うんだ?日本で生まれたからか?」
「たしかにそれは大きいな。でも、日本は出生地主義じゃなくて血統主義だから、生まれが日本でも外国人は日本人にはなれないんだ」
バートは首を傾げた。
家族がなにを言っているのか分からない。
分かるのは、「難しい話なのだろう」と言うことだけだ。
バートが筆舌に尽くし難い微妙な顔をして考えているのを横目で見て、マシューは溜息を吐いた。
「出生地主義っていう言うのは、生まれた国がその人間の国籍登録国になるってこと。つまり、カナダで生まれた日本人の子供は、出生地主義のカナダのルールに則り、血に関係なくカナダ人と言うことになるの。アメリカもそう。だから、アメリカで生まれたバートは立派なアメリカ人ってわけ。で、これが結構悪用されやすいの」
「ふーん。そうなのか」
「ちゃんと分かってる?」
「俺がアメリカ人なのはずっとアメリカに住んでいたから分かる」
住んでいるだけではアメリカ人にはなれないけどな。
ツッコもうとしたが、面倒な方向に話が逸れる気がして、マシューはそれを言うのはやめておいた。
言ったら「なんでなんで攻撃」が繰り出されるような気がした。
「それで、血統主義って言うのが、親の国籍が子の国籍に関わってくるってこと。アメリカ人同士が日本で子供を生んだとしても、日本人の親がいない子供は日本人にはならない。親のどちらかが日本人であるならば日本の国籍を選択出来る。日本は血統主義なんだ」
「じゃあ…つまり、日本人のダッドがいるから、マシューは日本を選ぼうと思っていると」
「そう」
マシューが日本国籍を選ぼうとしていることすら、バートは知らなかったろう。
国籍のごたごたになんて大して関心を向けたことが無いものだから。
つい最近になるまで弟を日本に住んでいるアメリカ人だと思っていたくらいだ。
「あ、言っておくけど、散々日本が好きって言っているけれど、別に育ての国のアメリカを貶しているわけじゃないからね。ただ…」
「分かるよ。大丈夫だから」
気持ちは分からないでもないのだ。
育ての親はいても生みの親が傍にいてくれない違和感と言うものは、親の再婚を経験した連れ子のバートにとって珍しい感覚ではない。
日没前の太陽よりも真っ赤な赤毛の母に加えて、宵闇の月よりも黄金色のブロンドの母が現れてから、この人も自分の母親だと思うまでに時間はたっぷり必要だった。ましてや妹が死んだばかりだと言うのに弟が出来るなどと言われたのだから、時間はより一層必要だった。
マシューを、育ての親も生みの親もセットでくっついている裕福な子供だと思ったことはあるけれど、そうか、彼には、育ての国はあっても、生みの国が身近に無かったのか。
そして、彼には生みの国の方が合ったようだ。
バートにとってアメリカが一番気が楽だと思うように、マシューにもマシューの気性に最も合う場所がある。
「俺達、同じ国で生まれたら良かったのにな」
二人は指先が皺くちゃになるまで長湯をしてから、帰路を辿った。
佐々貴さんに挨拶をして銭湯を出る頃、最後に見た店内の壁掛け時計は十七時を指していた。