13くち 13
いつも通り、体を念入りに洗ってから湯船に浸かる。
今日はいつもより早く銭湯に来たから、その分ゆっくり浸かっていられる。
最近は「早く家に帰ってあれしてこれしてそれしてどうしなければ」と義務感やら使命感やらに急かされて、湯船に十分も浸かった記憶が無い。
一週間前の今日は湯船に浸かることなく、体を洗ったらバートを残し、走って家に帰ったくらいだ。
なにもかもに急かされていた。
でも今日は三十分は上がらないと心に決めた。
「なあマシュー」
「なに」
「暇だからワードチェインしようぜ」
「やだ」
ちなみにワードチェインとは英語圏での「しりとり」を意味する。
他にも、「ラストアンドファースト」「オメガアンドアルファ」「グラブオンビハインド」など様々な呼び方が存在するも、日国家では「ワードチェイン」の名で親しまれている。
「なんで」
「つまんないから」
「じゃあ日本の話をしよう」
「いいよ」
「なんで」
「超楽しいから」
最近になって、マシューが以前から時々口にする「超」だとか「ヤバい」だとか「マジ」だとか「ガチ」だとかの言葉の意味が分かるようになってきた。
ダンケも言っていたけれど、いくつもある日本語は一つの単語にまとめることが出来る。
日本の若者が使う「超」「ヤバい」「マジ」「ガチ」は、「凄い」と言う意味だ。
余談だけれど、日本で言う「私」「俺」「僕」「自分」と言う一人称は、英語では全部「I」だ。
ダンケからこのことを聞いた時、「なるほど日本人でも日本語を使いこなせるはずがない」とバートにも頷けた。
「ひらがな」「カタカナ」「漢字」
おまけに膨大な語彙。
全て日本語の一部で、全部合わせて日本語だけれど、これじゃあ三つの言語を扱っているようなものだ。
この三つの言語を習得し切るには、日本語と言うものは、あまりに複雑で、曖昧で、繊細過ぎるのだろう。
さながら、その言語を扱う日本国民のように。
バートとマシューは日本と言う国について深く語り合った。
他国の文化の宗教的意味合いを無視して、旨いところだけを上手いこと楽しんで、「日本式」に変えて吸収するところ。
情緒ある季節により生活様式を変え、風情を楽しみ共生する人々。
身の回りを囲う八百万の神の概念の発展なのか、なんでもない周囲の人間をも気軽に「神」としてしまう大雑把な価値観。
国土のほとんどが山林なのに大して人口が多過ぎて、どこもかしこもこじんまりしていて、近過ぎる人との距離。
地震、雷、火事、親父。ついでに台風土砂雪崩諸々。畏るべき自然。
浴槽の縁にもたれて、マシューは「ここは、日本は、僕が望ましいマシューでいられる場所だ。気が楽なんだよ。肌に合うって言うのかな。昔の嫌な事を忘れて、今に集中出来るんだ。だって、まだ途中だけど、僕はここに来て、ずっと良いマシューになれている。本当だよ?」と弁舌をふるった。
声色は眠たいのか気だるげだったけれど、よどみなく続く日本語に、バートは静かに頷いていた。
納得しかねることも理解出来ることもあったけれど、ただ頷くだけに留めた。
とにかく、マシューは日本が好きなのだ。大好きなのだ。
それが伝わってくるだけで充分だった。
「だから、僕は日本人なんだ。この国で生きる為に必要な責任はちゃんと果たす、日の丸背負った日本人なんだ」
まるで夢見心地だ。寝言だと言われても信じるほどに、ぼやぼやした口調だった。
バートは一言「そうだな」とだけ返事した。




