12くち 11
そうして本番の時が訪れる。
全校生徒と教師陣が講堂を埋め、マシューと同学年の伊野 若松のアナウンスにより、粛々と幕が開かれる。
開幕と同時に拍手が送られるが、舞台上に立っているはずの主演の三年生部員がおらず、代わりに、人によっては見知っていたり見知らなかったりするくすんだブロンドのアメリカ人がそこにいることで、講堂にざわめきが起こった。
しかし、
「"私は知っている。私が目を閉じている時、キミ達からは私が見えていることを。キミ達が目を閉じている時、世界は全てを見ていることを。けれどキミ達は、私がなにを見ているのかを、知らないだろう"」
ある劇団に属するロマン・ハースと言う男が、「華麗なるウェル・メイド・プレイ」の台本を読み上げる最初のシーンが講堂に響き渡ると、場は静まり返った。
リハーサルとはまた違った所作で、ロマンが劇中で演じる役を演じてみせるバートの雰囲気は、普段の彼からは想像も出来ないほど、張り詰めた空気を纏っていた。
まさに、頭の天辺からつま先まで、と言う言葉の通り、瞼を伏せ少し顎を引く仕草。指先をめいっぱい伸ばしたかと思うと、躊躇うかのように指先を内側に織り込み、しかしもう一度広げて見せるところまで。
つま先を伸ばして危なげに、次の瞬間には足の裏全体を舞台の上につけて踏みしめるような、些細な一挙一動すら洗練されており、舞台袖でバートを見守る花美先輩は「立つ姿勢がすごく綺麗」とうわ言を零していた。
堂々としていて、とても繊細で、小さな衝撃一つで、その高尚な空気は大きく損なわれてしまいそうなほど儚い存在であるかのように、マシューにも見えた。
歩む度になびく髪や、伏せた瞼の先で照明に照らされるまつ毛の一本一本さえ。
"粗削りではあるがカフカに並ぶ実力派"と言われるロマン・ハースの全てが、一度目のスポットライトの下で完成していた。
全てが、壮絶な努力の下で彼が習得した集大成なのだと痛感する。
病気を抱え、学校には行けず、大きな手術を経験するまでは外に出ることもほとんど無く、友達も少なく、ペットと家族だけを支えに、地元のミュージカルクラブを皮切りに、スポットライトまでの階段を昇りつめた男が、今そこにいる。
そして彼は、いつ死ぬとも分からないことを人一倍分かっているからこそ、惜しみなく全力を、アマチュアの舞台の助っ人だとしても注ぎ込める。
「プロの役者と言うより、彼はプロの人間だ」と、バートの産みの母親が言っていた言葉と、そっくりそのまま同じことを思った。