12くち 4
……
マシューは誰より先に登校し、講堂の席から舞台を見渡し、舞台の上から席を見渡し、誰より先に化粧を始めた。
化粧をしている最中に他の部員もやってきて、自分の役割を熟すべく、それぞれが別々に行動を始める。
鏡を前にして、最後に髪を整え、衣装の襟を正していると―――
「日国」
鏡越しに、今日もブリッジの歪んだ眼鏡を「オシャレ」だと言ってかけている花美先輩と目が合った。
「はい」と返事をするマシューが振り向くよりも先に、花美先輩はマシューの背後に立ち、二人は鏡越しに目を合わせた。
「今まで裏方端役脇役ご苦労ちゃん。お前さんを最後の最後まで主役にしなかったこと、悪いとは思っていないけど、恨まれたくないから言わせておくんな。お前さんのこと、嫌いだったわけじゃないよ」
「平気です。俺が素質の見えない扱いにくいヤツだったって話です」
「うん。お前さんは取っ手の無いコップで、私はそのコップを取ろうと、高いテーブルに対して、背伸びをして腕を目一杯伸ばす幼子のようだったよ。それに、ちょっとつまんだだけじゃダメだね。鷲掴みにして呷ってみないと、中身が見えない。お前さんはまだ"なみなみ"と入ってもいないし、底も浅い」
花美先輩は詩人のように、本の中の文章みたいな語り口調でマシューから目を逸らさなかった。
痛々しい喋り方だと最初は思ったけれど、彼女の人を見る目は確かだ。
オーディションが開かれた後の彼女の配役で外れたことなど一度も無い。
「とっつきにくい無個性ってことですか」
「透明で純真じゃないとも言いたい。だったらもっと単純で、簡単だった。一生端役しかやらせない。お前さんはそこいらにゴロゴロ転がっている良い子ちゃん症候群の可哀相な子にしか見えないが、その実、野心まみれだよ。でも、それも莫大な個性とは言えない。あたしにとって良い子ってのは、当たり障りのない無難な言葉と正論で自分を隠す野心家のことなんだもん。丸出しにしろとは言わないけれど、ひた隠す子は表に出るのに向いていないし役者として信用出来ない。だったら"いい性格"した悪い子の方がまだ信用出来る。だからカフカを作った。お前さんの為の人物なんだ。こんな悪待遇をしたヤツも好待遇をしたヤツも、お前さんくらいさ。だから、全力で良い子ちゃんに化けてほしい」
「……僕は、良い子なんでしょうか」
「うん。そうだね。でも、お前さんは良い子は良い子でも、良い子としての一貫性が無い。下手したら気分次第で極悪人に鞍替えしそうな強欲さと危うさがあるのよ。それを味に出来る役者だって、期待したいわけ。お前さんはポテンシャルまみれだからね。輪郭は見せるけど細部は隠す。あらすじは明かせどさわりは語らない。そんなお前さんのコップから呑み込む度に、夢見たんだ。色々妄想したわけ。そうしたら、良い子に見せかけた悪い子日国は、楽しい男だって気づいたんだよ。だから、準主演はお前さんにしよって思ったの」
「そんなこと言われるなんて、妄想の中でなにをやらされていたんだか…」
「想像力逞しい成人女作家の妄想だからね~。考えない方が良いと思う」
「……」
「要約すると、日国もカフカも、扱いにくい超期待で自慢の大根役者だから、今日を凄く楽しみにしていたってこと」
マシューが瞼を伏せ、申し訳程度の作り笑いを口元に見せると、花美先輩も意地悪をする虐めっ子のように笑って取り繕った。
マシューはそれが嘘か本当なのか、察することが出来なかった。