3くち 8
…
「ごちそうさまでした」
「がちょーそ…っした!」
「はあ…最っ低」
完食後も隣に倣って掌を合わせるバートだったが、発音はめちゃくちゃだった。
マシューは散々老夫婦にお礼を言い、バートは手を振りウインクと投げキッスを見舞うと、すっかり陽が落ちた夜の街を歩いて帰った。
街では平然と若い女性が膝より高いスカートを履いて住宅街を一人で歩いていたり、半ダースもロック機能が無い横開きの玄関扉に寄りかかって友人と話している老人がいて、それもバートにとっては不思議な光景だった。
「安全な国って言っても、犯罪はあるだろ?皆不用心過ぎないか?心配性のマムが見たら蕁麻疹とヒステリーを起こしそうな光景だ」
「それは僕も同感。日本の平和なんて、今や世界と比べたら"マシ"って程度だよ。そりゃ、グレネードや銃が毎日国内を行ったり来たりするわけじゃないけれど、"平和"だとは思えないな。時代も人も変わったことを皆知らないんだ。本当なら、どんな場所でも、こんな時間でも、好きな格好で安心して歩けるべきで、不利益を被るなんてあっちゃいけない話なんだけどね。だけど世界と他人は思っているよりずっと怖いし、相当変なんだ」
「でも、思い込み過ぎるほどじゃない。だろ?」
「ああそうだな」
そうこう話している内に玄関まで辿りつき、鍵を開けてアパートの自室に帰ってきた。
バートを先に入れてからマシューもそれに続く。
扉を閉めると、すぐに内側から鍵とドアガードをかけ、最近取り付けた丸落としで更に施錠した。
居間へと出て、マシューが学校へ行っている間へ置いたのだろう、箪笥の上に置かれたベラーノの写真に、バートはすぐに駆け寄った。
「ただいまべッラ」
生まれたばかりの、真っ赤な顔をした赤ん坊の写真だった。
そのすぐ隣に、マシューが持ってきた家族写真が並んでいて、マシューは慌てて家族写真をバートの横から取り、懐に隠した。
「どうした?」
「……別に」
家族写真なんて飾っているところを家族に見られて、ちょっぴり恥ずかしくなってしまった。
そんなことを言ったって、学校に行っている間に散々見られたのだろうし、今更隠したところで遅過ぎるけれども。
「一緒に置こうぜ?俺も家族の顔は見たい。大事な人達だから」
「……」
「なんだか、とっても嬉しかったよ。マシューがそういうのを持っていてくれて」
「……」
「バートは嬉しいよ」
「……」
「今度、お前が映っている写真も撮りたいな。家族みんなで、また撮ろうな」
恥ずかしい。
いちいちそんなことを言わなくていいよ。
思っていることを全部言わなくちゃいけないバツゲームでもやっているのだろうかこの男は。
恥ずかしさから、段々バートへの苛立ちが募ってきて、観念したマシューは両手で握りしめていた家族写真を、力いっぱい箪笥の上に叩きつけて元に戻した。
隣のベラーノの写真が衝撃で飛び跳ねた。
「さっさと歯でも磨いて来い!」
顔を真っ赤にして怒鳴るマシューに、バートはきょとんとしてから、無邪気に笑ってみせた。
「うん。俺、歯ブラシ持ってきたんだぜ」
「歯磨き粉は…口腔洗浄液は…」
「使っていいか?」
「……勝手にしろ」
「ありがとう」
キャリーケースを漁って、洗面所へとバートは廊下に出て行った。
居間に残ったマシューは、赤ん坊のベラーノだけが映る写真の隣に置かれた、自分が持ってきた家族写真を睨みつける。
が、すぐに悲しい顔になって自分の頭を両拳で叩いた。
「この馬鹿!」
小さな叫び声は、居間の中だけで消えてしまった。
その後、「日本人って本当に床で寝るんだな」と言いながら、自分が持ってきたキャリーケースを枕にして、マシューのブランケットをかけて寝転がるバートを隣に、マシューは布団で眠りについた。