11くち 13
「日本人にとって宗教は個人的なもので、他人を巻き込んで布教活動をするようなものじゃないし、宗教に対する意識が海外とはまったく違うから、他所から見たら無宗教に見えるのかもね」
"八百万"の文字を見るバートは、頭の中で"はちひゃくまん"と読んでいた。
「とりあえず、身の回りのものほとんどに名前を知らないだけで沢山の神様が宿っていると思って良い。トイレにだって神様がいるくらいだ」
「覚えきれないほどの神様?それって、神に対して大雑把過ぎないか。その神様達はそんな粗末な扱いをされて、怒らないのか?問題じゃないのか?」
バートはきっと、唯一神であるイエス・キリストを敬うクリスチャンの母のことを思っているのだろう。母はこういうところを気にする性質なのだ。
バートは掌にくっつく米粒を舐めながら言った。その手で握られるのは正直嫌だったが、マシューはそれについては何も言わず、あっけらかんと答えた。
「怒んないんじゃない?僕らだって他人を尊重するけど、その他人全員の顔と名前を知っているわけじゃないんだし。それは粗末に扱っているってわけじゃないだろ?」
「…ん、…うん。うん?」
「海外ほど宗教を積極的に信仰するわけではないけれど、信仰心が無いわけではないってこと。いや、積極的なのが一周回って熱心に見えないのかも。宗教的には見えないけれど、神様はいると信じている。宗教に属している意識は少ないけど、神様と暮らしていると思っている。そして、猛烈な腹痛の時、日本人の信仰心は最高潮に達する。って感じかなあ」
「……ライトな宗教観ってことか?」
「うーん、この件については特に、日本人だからこうだって言えないかも。"個人的なこと"だから、それぞれだよ。それで、日本人が一番信仰しているのが、今話した八百万の神を敬う"神道"と言う土着宗教なんだけどな?教典が存在しないから、絶対的真理も、生活に対する制限も無いんだ」
土着宗教とは、その土地に定着した宗教のこと。その土地の文化、習慣の一部。伝統。
「"文化的に生活する為に、どのように生きれば、身の回りの神様仏様の御力や知恵をお借り出来るのか"って言う、教義みたいなものは一応存在するんだけれど、この言葉から分かる通り、神様側が人間にああしろこうしろとなにかを言うことはない。人間側の言葉なわけ。神道を信じる人達の間で"神は黙して日頃の行いを見守っておられる、お天道様は見ていらっしゃる、ご先祖様に顔向けが出来ない、精神の中の良心を裏切れないから悪いことは出来ない"って言う価値観が生まれたのって、結局はそこにいる生物同士で生きる世界だから、そこにいる生物同士で最適な生き方を考えるべきだってことだと思うんだ。この習慣が現在の日本の秩序、道徳心を産みだした"相互監視社会"に発展していったんじゃないかな。最近じゃ、ちょっと監視が過剰な気もするし、勘違いの正義感で小うるさい人が多い印象だけどね」
「つまり、聖書とか教会よりも、今、実際にそこにいる人達が最優先ってことなんだな?」
「僕は神道を学んだ時にそう解釈した。神様は全部じゃなくて一部だと思うんだ。神様は生活の一部に宿る。生活の一部の全てに宿る」
バートは静かに、続きを促すように頷いた。