3くち 7
それに、箸を使うのにも、今日は調子が悪い日だった。
人種のるつぼであるアメリカにも箸を使う習慣はあるところはあるし、日本人の父もアメリカ人の母も箸を使っているけれど、バートは微細運動が苦手なのだった。
微細運動。箸を使ったりボタンを留めたり字や絵を書く、細やかな技術のこと。
だから、その逆に当たる粗大運動と言うのは、走ったり飛び跳ねたり泳いだりすることを言う。
とりあえず、箸を取ってみて、マシューの真似をして煮物を箸で掴んでみる。
ほとんど刺していたが、老父の妻なのであろう"くめちゃん"と言う老母は咎めることもなく、優しい眼差しで二人を見つめていた。
掴んだ芋を口に近づけるよりも自分が近づいて芋に齧りつくも、
「アウッ!」
熱くて芋と箸を手放した。歯についた崩れた芋の欠片を舐めると、ほんのり甘くて、見た目より美味しかった。
隣のマシューは迷惑そうな一瞥をくれただけで、老母は「あらあら」とバートに寄って、水を口元に持っていく。
「ありがとう」
涙目になるバートに、老母は安心させるように笑いかけた。
「お箸は難しかったわね。スプーンとフォークを持ってくるから、それなら使える?」
よく分からないけれど、変な発音のスプーンとフォークだけは聞き取れたので、うんうんと頷いた。
老母が席を立つと、隣のマシューは溜息をついた。
「日国家は全員猫舌なんだから、こんな失敗するなよ」
「箸に夢中でさ。ずぇぇ、ヤケドした」
「…箸、まだ苦手なの?」
「ボタンとかは留められる。時々かけちがえるけど。靴の紐も結べるぞ。よくほどけるけど。今もちゃんと練習しているからな。でも、箸は指の調子次第だから、難しいな」
「粗大運動も苦手だったよね」
「それはほとんど問題ない。サバイバルゲームだって出来るようになったんだ。時々トリガーから指を離せなくなるけど」
「…そ」
マシューは一言どころか一文字を言うと、また食事に戻った。
老母はすぐに戻ってきて、バートはスプーンとフォークを受け取って食事を再開した。
夕食の味は、全体的に不味いとは思わなかったが、バートからしたら不思議な味がした。
いつだったか、日本人の父が日本食をいくつか持ち帰ってきたことがあったけれど、バートは同日に並んだイタリア料理の方にばかり食指が動いて、日本食には見向きもしなかった。
母もあまり日本食は食べなかった。ほんの少し酢の物を齧っていたけれど、それだけだった。ただ、日本の「だし」はあらゆる料理にかけるようになった。
マシューと父は涙しながら箸で掻き込んでまで平らげたことを、ふと思い出したのだった。
二人にとっては長らく引き離されていた母国の味。ソウルフードとの再会だったのだ。