10くち 21
…
家に帰って、銭湯へ行く準備をして待っていたバートを連れて外へ出た。
その日の夕焼けは、朱色と藍色が混ざり合う紫色の空で、彼女もこの空を見ることが出来たら、いいや、この空の下を何の気兼ねも無く歩くことが出来たらと思った。
番台の老父・佐々貴さんに挨拶をしてから入った銭湯は今日も気持ちが良かった。
夏場でも温水を気持ちが良いと感じられるのは湯船。美味しいと感じるのはラーメンだとマシューは考えている。
「なあ」
縁に腕を載せて寄りかかるマシューに、隣の水風呂に入ったりこちらの電気風呂に入ったりを繰り返して鬱陶しいバートが話しかける。
「お前が最近よく出掛ける理由、これまで一度も聞かなかったけれど、ガールフレンドなのか?それともボーイフレンドなのか?」
「これまで聞かなかったならこれからも聞かないでほしかったな」
「だってお前、いつも難しい顔をして帰ってくるヤツが、最近は機嫌良さそうに帰ってくるからさ、気になるだろ?」
「とりあえずバートが思っているような恋人とかじゃないし、そうなりたい子ってわけでもないよ」
「じゃあなんだ?」
追及してくるバートに「放っておいてくれ」と思う反面、きっと自分の今の行いを言えば、また手放しに褒めてくれるだろうかと考える。
いくつになっても、誰が相手でも、下心が無かったとしても、"褒められる"のは嬉しいことだ。
けれど、やっぱりやめた。
「気の合う友達なんだ。とても優しくて素朴で、大切にされるべき人だよ」
「そうなのか」
バートは何故だかにこやかにそう返事した。
彼が笑顔でいるのはいつものことなのに、今日はなんだかいつもより嬉しそうに見えた気がした。
「……なあ」
「なんだ?」
「なんで人って、他人に害を与えるようなことをするんだと思う?虐めとか、さ」
バートは珍しく、少し思案するように湯船の水面を見つめてから、その湯を手で掬って、こぼしながら首回りにかける。
「ざっくり言うと、"無自覚"なんだろうな」
「どこらへんが?」
「自分の行いに対して」
「んん…」
「自分一人のことしか考えていない主観的で場当たり的で感情的なヤツだから、自分の行いを客観的、社会的に認識出来ないんだ。"俯瞰"ってヤツだな。俺も時々出来ない。誰もがまずは自己満足の為に行動するのはそうなんだけど、他人への影響を顧みない徹底した自己満足なんだよ。自分の感情や理想、価値観だけで行動してしまう。周りが全く見えていないんだ。見えていても見なかったことにして断行する。自分に都合の良いように捻じ曲げて解釈する。人間のやることで一番性質が悪いのが、"自分の行いの本質を理解せずにやること"だ。本質が分からないから、罪悪感が沸くことなく、軽い気持ちで実行出来てしまうのかもしれないな」
「……」
「"犯罪ってそうやって実行されるものなんだろ?"」
幼い少年のように、濁りの無い瞳でこちらを見るバート。
そう信じて疑わない目だ。