10くち 18
「……だから日本に戻って来たんだ。一度、誰からも離れて、自分だけで自分を見つけるつもりで。兄さんが傍にいると、なにをどんなに懸命になって達成させても、比較せずにはいられなくて、自分なんてちっとも大したことなんてやってないって、…自信がどんどんなくなるから。両親や周りに散々言われてきたように、自分でも、"僕は僕だ"って言えるような個性を見つけたいんだ。自分の事を好きになりたいし、信じたい」
「でも、お兄さんは追いかけてきちゃったんだよね」
「早く帰ってくれると良いんだけど、あっちも事情があるみたいで、…もう最近は一緒に暮らしていくのにも前向きになりかけているよ」
嫌味っぽく言う横で、珍しく、本当に珍しく彼女が笑い声をあげた。
緩く弧を描いた口元から、控えめな声が漏れていた。
楽しい話でもないのになぜか笑い出す彼女に戸惑いつつも、笑顔を見せてくれたことが嬉しくて、マシューも笑顔になる。
「どうしたの」
「ううん。日国くんって、やっぱり優しいんだなって」
「兄さんは優しくないって言うけど」
「優しいよ」
彼女は話している最中、始終笑顔のままだった。
途中、「久しぶりに笑ったから表情筋が痛い」と更に笑顔を見せた。
「誰の話をする時も、その人をフォローするじゃない?」
「していたかな」
「両親は良くしてくれたとか、お兄さんは凄いとか、嫌だけど事情があるから仕方が無いとか、…私のところにもわざわざ来てくれるし、優しいよ」
「……んん」
小首を傾げて紅茶を啜る。
「日国くん、自分のことばっかりだよ」
啜った紅茶を噴き出すかと思った。
マシューにとってはドキリとするような、耳にも胸に痛い言葉だった。
しかし、どうやらマシューの早とちりだったようだ。
「日国くんは、自分のことばっかり悪く言って…、自分に優しくないよ」
「そうかな」
「自分に厳しいんだね」
膝を抱えて玄関の運動靴を見て、彼女は言う。
不登校になってから長らく使われていない靴のようだ。
「お兄さんのことを尊敬するのも良いけどさ、そのさ、…自分のことを日国くんはもっと見ないとって思うよ」
「二番目の兄さんからは、お前は自分のことばっかりで周りを見てないって言われるよ」
「うーん。その人たちこそ、日国くんのことちゃんと見てるのかな」
「え」
「確かに、日国くんは自分の為に日本に戻って来たけど、それは、日国くんみたいな人には、凄く重要なことなんだと思う。なのに、結局はお兄さんに理解を示して、妥協していて、自分のことばっかりの人だとは…私はとても思えないな。…あ、悪く言うつもりはないんだけど…ごめんなさい、お兄さんのこと……良くない言い方して。それに、日国くんのこと、分かったような言い方して…」
「あ…いや……あー」
二人とも黙り込んでしまった。
やけに喉が渇いて紅茶を口に含むけれど、一口分も無かった紅茶は大して喉を潤してくれない。
彼女は、自分がマシューの家族を悪く言ったから、マシューが気を悪くしたと思って視線が泳いでいる。
マシューは、自分が彼女を元気づけるはずだったのに、逆に慰められてしまったことが申し訳なく、自己嫌悪に陥っている真っ最中だった。