10くち 17
そうだ。
誰もやらないなら、やってこなかったのなら、僕がやろう。
マシュー・メルナード・日国がやろうじゃないか。
"「他人とこんなに話したの、久しぶりで、ちゃんとしたい」"
あの時の彼女の声音を、無視することはしたくなかった。
彼女はいつまでも籠っていたいだなんて望んでいないのだから。
翌日もマシューは彼女の部屋を訪れた。
プリントを持たずに敷地を跨ごうとするのは初めてだ。
エントランスからのオートロックインターホンで呼び出すと、初めてそこで会話をした。
「本当に来たんだ」
「ダメとは言われなかったから」
困ったように嘆息して、彼女はエントランスから敷地内へ続くドアを開けてくれた。
どうやら本当に、今まで来訪者の顔も見ずにドアを開けていたようだ。荷物を持って来る人全員に「玄関前に置いておいてください」と言って、さっさと追い返すのが常だったのだろう。
そうしてその日もたっぷり時間をかけて玄関を開けてくれた彼女と、紅茶を飲みながら話をした。
彼女はニルギリがとても気に入ったようで、二杯おかわりをした。
初めて交わしたまともな会話の内容は、とても他愛のないものだった。
マシューは極力学校での話題を出さないようにして、ならば自然と兄のバートの話や、彼女が好きな三人組の女性ユニットの話を繰り広げた。
この話題だけで一週間くらいは盛り上がれた。
二人とも、欲しかった話し相手を見つけられたと言わんばかりに饒舌に話し込んだ。
昨日は彼女の好きな女性ユニットの曲を何曲も聞いて、この曲が好きだ、この声が好きだ、この編曲のセンスが好きだ、と話し合ったからか、今日の彼女はマシューの話を聞く姿勢だ。
「日国くんは、お兄さんのこと、…なんていうか…嫌いっていうか、…うーん…憧れてるんだけど、それが嫌なんだね」
「…んー…ふふ」
言い訳が思いつかず苦笑する。
「好きだけど嫌い?」
「違う。尊敬しているけど嫌い」
そこは譲れない。
「両親に構ってもらえなかったとか、そういうのはないんだ。両親も周りの人もよく見てくれた。僕らを比較もしなかった。お前はお前だって言うような家庭だから。他人や兄弟と競争させるようなことはしなかったよ。過去の自分と競争しろって言われてきた」
「うん」
「でも、僕はそういうの気にしちゃう性質でさ。僕って、日本じゃ見た目が少し派手かもしれないけれど、中身は大したことなくて、スッカスカなんだよね」
「……そうかな」
「うん。兄さんは、一回大きい手術を経験したことがあるくらいの病気持ちなのに、ものともしないくらいの実力に溢れているんだ。悲観なんてしない。笑ってばっかりでさ。自分をしっかり持っていて…」
「あの…そういう人が近くにいるのって、私もきっと、…しんどく思うよ」
「力の差があり過ぎる隣人がいると、自分が情けなくなるよ。身内ともなると尚更」
「分かる。結婚して子供がいるお姉ちゃんが時々帰ってきて、優しくしてくれるけど、すごく、惨めな気持ちになる。そういうことを考える自分が、嫌になるの。大好きな家族なのに」
二人して、眉山を下げた。