10くち 16
「でも、無理して来なくて良かったよ」
彼女は扉をまた少しだけ開けて、俯きがちに続ける。
「前の子も迷惑そうにしていたから、届けるの。日国くんも先生に頼まれているんでしょ。別にいいよ、プリントも教科書も…いらないから、無理しなくても。そこらへんのゴミ捨て場にでも捨てて良いから。時間潰すことないよ」
「……」
「今日のが最後でも、また頼まれるでしょ。今度は、そうしなよ。忙しいでしょ。いいよ、いらないから」
「……」
彼女は元気じゃない。
それは、初めてここに来た当初からちっとも変わっていない。
彼女は、アメリカの家にあるガレージほどの広さしかない小さなマンションの一部屋に籠もって、マシューの気遣いなどしている。
余命宣告された患者のような顔をしながら、他人の気遣いだなんて。
なんなんだ、これは。なんなんだ、彼女は。
こんなのあんまりじゃないか。
光明の無い世界で自立出来る人間なんていない。
彼女は今まで、誰にも助けて貰えなかったのだ。
あの担任ですら、封筒を届けることはしようとしても、それでおしまいにしようとしていなかったか?「元気か」なんて聞いて、決して無関心では無いと言う体裁を保とうとしているだけではなかったか?
前の子は迷惑そうだった?なら他に、彼女をなんとかしてやろうとする人はいなかったのか?友達は?両親は?
ただの一人も?
見ていただけ?
一人にさせておく期間も必要かもしれないけれど、他になにか対策は?放置していただけ?なら彼女の将来はどうなる?放っておけばいつかは一人でどうにか出来るとでも?
見殺しにするどころか、見てすらいなかったら?
手を差し伸べられることもなく、今まで陽の下を諦めて、暗い部屋に籠ってきたと?
自分一人じゃ難しいから、誰かの支えが必要なのに。
助けてもくれない傍観するだけの他人なんかの心配をして、一人弱っている彼女に、本当に今まで、誰一人協力者がいなかったなんて。
少し優しくされただけで泣きそうになるだなんて、虚しい価値観を持った彼女が、あまりに哀れでたまらなかった。
「無理していないよ」
「…そうかな」
「本当だよ。キミさえ良ければ明日も来るから」
「いいよ、迷惑だろうから」
「無理でも迷惑でもないよ。そうだな、もうプリントは無いから、紅茶を持ってくるよ。美味しかったって言ってくれたでしょ?」
「本当にいいんだってば」
「でも」
「そうまでしてもらうことないよっ」
彼女は扉を閉めてしまった。
鍵もかけられた家内から、扉越しに嗚咽が聞こえる。
「……」
マシューは踵を返してエレベーターへと向かった。
"お前みたいなヤツがリーダーに向いているんだよ。変化を恐れず、今を見て、先のことを考えて、周りの為に、自分の意見を主張出来るヤツ。誰に出来た?誰がやった?お前だよマシュー。"
いつかのバートの言葉が思い出された。
嬉しかった。
"誰に出来た?誰がやった?"
"お前だよマシュー"
いるだけで自分を嫌な気持ちにさせる兄の言葉が嬉しかった。
嫌いなヤツからの言葉だけれど、憧れにしている人物からの言葉でもある。